14 近づく距離
映画はつまらなかった。怜の意識は隣に座る舞子に常に向いていて、映画に集中できなかった。舞子の荷物が旅行バッグひとつだった事がやけに頭から離れない。
「こんなこと聞いてごめんね、借金の話はゾイサイトで聞いたんだ。お金の為に水商売で働いているって」
「大丈夫です、私も怜さんに聞いてもらいたいかも」
舞子は借金の経緯をすっかり打ち明けた。
「私、両親に捨てられたんです。本当の両親でなかった事すら知らなくて……私は独りぼっちです……ううっ」
堰を切ったように涙があふれ、嗚咽が止まらない。沢本に話した時でさえ、こんな気持ちにはならなかった。今まで見ないようにしていた孤独が、はっきりとした形になって舞子を覆い尽くす。真っ暗な孤独の中で自分はひとりぼっちだ。
「舞ちゃん、可哀想に。そんなこと、誰だって耐えられない」
怜は優しく舞子の肩を抱いた。自分と三つくらいしか変わらないのに、そんな苦労をしている舞子が不憫だった。それ以上に普段はそんな素振りを見せない、明るい舞子を愛おしく感じている自分がいた。
「舞ちゃん、これからは俺がいる。俺がそばにいるよ」
「本当? 本当に?」
「ああ、約束する。俺は舞ちゃんと一緒だとすごく楽しいんだ。それに素直で飾らない自分でいられる。俺には舞ちゃんが必要なんだよ」
「私も怜さんと一緒にいると楽しい。話しやすいし、なんだか安心して……だから…………」
怜の声は穏やかで優しさにあふれていた。孤独の暗闇の中に聞こえてくる怜の声は舞子を安心させる。舞子は落ち着きを取り戻したが、泣き疲れてそのまま眠ってしまった。
翌朝、舞子は思い知らされた。お酒は恐ろしいと。借金の経緯を話すのはいいとしても、あんな風に泣くなんて。あそこまで感情を揺さぶられたのは、きっと、絶対、アルコールのせいだ……。
目を覚ました舞子は視線の先にテレビがあることに違和感を覚えた。自分の部屋にテレビはないはず。それよりももっと変なのは自分の枕だ。こんな硬めの枕では……舞子は飛び起きた。
「あああっ」
「うう、ん……舞ちゃんおはうお」
「怜さん、何言ってるか分かんないです! ってごめんなさい!」
舞子は怜の膝枕で朝まで眠ってしまっていたのだ。怜も舞子を起こさず、座った体勢のままで寝たようだ。
「ああ~まだ眠い、寝る」
そう言って、今度は怜が舞子の膝に頭をこてんと乗せて寝てしまった。
「うわぁあ」
朝から心臓に悪い。寝起きの顔までキラキラしたイケメンが舞子の膝で寝息を立て始めた。怜さんはほんとにカッコいい。かっこよくて、優しくて、歌も上手い、曲作りの才能もある。昨日は私の話を聞いて同情してくれ……。
「わぁぁあ」
酔ったうえに泣きながら身の上話をするなんて、恥ずかしすぎる! それに最後の方の会話は、なんだか告白みたいになってなかった? 『舞ちゃんが必要なんだ』なんて! きっと仕事のパートナーとして、だよね。
……そう思わないと困る。嫌だな私ったら。怜さんも、私のことが好きなのかと勘違いするところだった。え……怜さんも!
赤面した頬を両手で隠すと、少しましな気がした。このまま怜さんの寝顔を堪能していたい。でも今日は夕方から仕事が入っているからそうもいかない。舞子は怜の頭にそうっとクッションをあてがって立ち上がった。
「あ、朝ごはん作らなきゃ!」
その日、夕方からラジオの収録を終えて舞子が戻って来たのは23時を少し回ったころだった。
ずっと切ってあったスマホの電源を入れると、怜からNINEが来ている。
『舞ちゃんお疲れさま、部屋に戻ったら遅くてもいいから連絡ちょうだい』
『怜さん、今戻ってきました』
ソファの分厚いクッションに背中を預けながら、すぐ返事を打つ。
『お腹空いてない?』怜の返事もすぐ来る。
言われてみると、スタジオ入りする前に軽くパンをつまんだきりだ。意識した途端にお腹が空腹を訴える。
『空いてます!』
『下においで、冷麺を用意してるから』
怜から預かっている合鍵を取り出したが、玄関のドアは開いていた。リビングに入るとキッチンから怜が手招きする。
十人は軽く座れそうな大きさのテーブルには、冷麺とチキンが乗っている。チキンは真っ赤でイチゴジャムみたいにつやつやだ。
「よし食べよう!」
冷麺は売り物にできるくらい完璧な仕上がりで文句なし。チキンもおいしそうだがその凶悪な赤色! 韓国料理のチキンでこの色は……。
「冷麺おいしいです! 韓国の冷麺は白じゃないんですね、細麺だし」
「うん、日本の盛岡冷麺よりコシはないかも。チキンは見た目ほど辛くないよ」
ほどほどの辛さならいける。舞子は薦められたとおりに手づかみでチキンをガブリといった。
「うん、そんなに辛くな……ああっ、辛い! これ後からくる!」
猛烈な辛さは痛みに変わる。舞子の目尻に涙が浮かんできた。
「わっ、ごめん。そんなに辛かった?」
怜は慌てて冷蔵庫から取り出した冷たい牛乳をコップになみなみと注ぎ、舞子に手渡す。ごくごくと飲み干すと、舌に残った辛さが牛乳のおかげで少し和らいだ。
「ふう~落ち着きました。でも辛いけどすごく美味しかった。韓国料理にはまっちゃいそう」
舞ちゃんが韓国料理を気に入ったなら、と怜は度々キッチンに立った。時間の都合が合えば二人で買い物へ出向き、舞子は怜から韓国料理を教わった。
分刻みでスケジュールが入る多忙な日々の中、一緒に料理をしたり、地下のスタジオで歌を合わせる時間は、二人にとって何よりの息抜きと癒しになっていた。
「わっ、もうこんな時間!」
「三時かあ~ちょっとサビの入りにこだわり過ぎたね」
「明日の撮影が延びたからって、油断しちゃいました」
「CM撮影でロケだっけ?」
「はい、明日は雨の予報だったので延びました」
「ああ~俺、なんか冷たい物が食べたくなってきた。アイス買いに行こうよ」
こんな真夜中にアイス! と驚く舞子を、怜は半ば強引に外へ連れ出した。この時間に開いているコンビニは五分ほど歩いた所にある。途中には小学校がある平和な住宅街だ。この時間に人通りは無く、街灯は誰もいない歩道を静かに照らし出している。
「はぁ~っ、息が白い!」
「今夜はマイナスになるって言ってたな」
コンビニでアイスは買った。このコンビニが得意なソフトクリームをふたつ。加えて怜はおでんも購入した。「アイスを食べたら寒くなるから、おでんを食べて温まろう!」と言って。
「そこの公園で食べよう」
「えっ、この寒い中で?」
「だからいいんだよ~」
風はないが、空気は鋭く冷え切っている。公園のベンチを照らす淡い街灯の光が暖かさを錯覚させた。だが木のベンチに下ろした腰を浮かせたくなるくらい、それは冷え切っていた。
「おでんを食べながらソフトクリームって初めてです」
「俺も……あっ、だ、だめだ。おでんも冷めて来た。帰ろっか?」
待ってました! とばかりに舞子は勢いよく立ち上がった。怜は忍び笑いを漏らしながら「はい」と舞子に手を差し出す。舞子の冷たくなった手を握り自分のポケットに突っ込んで、怜は歩き出した。この幸せなひと時を邪魔する頭痛は、冷たい物を食べたせいだと自分に言い聞かせながら……。
舞子にとって怜は歌い手としての才能を開花させてくれた恩人で、仕事のパートナーでもある。だがそれだけに留まらず、怜の存在は舞子の中で確実に大きくなっていった。そして怜に対するその感情は明らかに恋愛的な好意だと、舞子は気づき始めていた。
それは怜も同じだった。舞子は怜の心に再び音楽への情熱を燃え上がらせたディーバ。それだけでなく、ただ一緒にいるだけで心を穏やかにしてくれる人でもあった。
(舞ちゃんの笑顔を見るとどんな仕事の疲れだって吹き飛ぶ。もう君に辛い思いはして欲しくない、その笑顔を守りたい)
怜の方ははっきりと舞子への想いを自覚していた。その思いは日に日に強くなっていく。
舞子には最良の物件を、と沢本が厳選していたため二人の同居は三ヵ月ほど続いた。だが沢本が危惧したようなことは二人の間には起こらず、怜は舞子がずっと一緒に住んでくれても構わないと思ったが、さすがにそれは沢本に反対された。
「それはまずいよ。マスコミに知られたら、根も葉もない事を面白おかしく書かれてしまう。今まで見つからなかったのが奇跡みたいなんだからね」
「俺は気にしませんけど。むしろ外堀から埋めても……」
「ええ?! 何言ってるの。だめだめ、今はだめだよ。さ、この後も怜くんは韓国雑誌のインタビュー、舞ちゃんはソロ曲のMV撮影があるんだから急いで出るよ」
当然だが、沢本は絶対に首を縦に振らなかった。
舞子がM-Yとしてデビューしてから半年ほどが経過した。RAYと一緒に出したのはシングル五曲、アルバム一枚。M-Yソロでシングル一枚を出し(怜が作曲、舞子が作詞)これはソロでもチャート一位を獲得した。
相変わらず忙しい日々を過ごしていたある日、舞子へ真島亜紀から主演舞台のチケットが届いた。




