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世界でひとつ、君の歌声〜命を諦めた彼と、夢を賭けた私の再生譚〜  作者: 山口三


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13 仮住まい


「沢本め、やりやがったな」


 星川は今更ながら舞子を手放したことを後悔した。あの韓国人と売り出す計画を黙ったまま、舞子を連れて行きやがって。


「星川社長~RAYさんは韓国人じゃないですよぉ。お母さんが日本人なんですぅ」

「お前、自分のマネージャーが移籍先に自分じゃなく、舞子を連れて行った事に腹が立たないのか?」


 シェーナは今年で二十八。かったるい喋り方や見た目こそ二十代前半に見えるが、どちらかというと遅咲きだ。


「社長が売れっ子の私を手放すはずがないって、沢本さんはちゃんと分かってますよぉ」

「そりゃその通りだ、お前にはバリバリ稼いでもらわんと」


 そう言いながらも、舞子が居ればここにもたらされる筈だったであろう利益の計算を、星川は頭の中で弾いて舌打ちした。




 星川の考えている数倍の仕事が、スターフォックスには舞い込んでいた。RAYが韓国でイノセントを脱退した後に、復活の場として選んだのは日本。一方、舞子は子役時代から再ブレイクしたタレントだ。その変貌ぶりに、驚きと称賛をもって舞子は再びこの世界に迎え入れられた。話題性抜群の二人のユニットを世間が放っておくわけがない。


 RAYとM-Y、桐生怜と上田舞子、どちらも殺人的な忙しさに日々追われていった。二人にとってそれは時計を見るたび、日付が変わっていたほどだった。


 舞子はあまりの忙しさに自宅へ帰らず、現場近くのホテルに宿泊する事が多くなっていた。そんなある日、久しぶりに旧スナック店舗の部屋へ帰ると大家が舞子を待っていた。


「上田さん、連絡したんだけどなかなか繋がらなくてね」

「大家さん、すみません。忙しくてスマホ見る時間も無くて」


「あのね、この建物、取り壊すことになったのよ」

「えっ、いつですか?」


「それが来週なのよ、知らせなくちゃと思って、ずっと連絡してたんだけど……」


 荷物と呼べるような物は着替えくらいしか無かった。だが、この寝る間もない多忙の中、あと数日で新しい部屋を見つけるミッションは、舞子には不可能に思えた。




「じゃあ仮住まい用にホテルを押さえよう」


 沢本はそう言うが、舞子はお金の心配があった。これだけ働いているから収入は良くなるだろうが、借金はなるべく早く完済してしまいたい。


「安いビジネスホテルはだめですか?」

「いやぁ、防犯上それは怖いかな。僕の所は1DKで狭くて無理だしなぁ」


「じゃあ俺の家はどう? 元の家主のミュージシャンが、関係者が寝泊まりできるように二世帯住宅仕様にしてるんだ。沢本さんも二か所に迎えに行かなくて済むじゃないですか」


「若い男女が一つ屋根の下で? まずいでしょ」

「同じ屋根の下とはいえ、入り口も何もかも別ですよ」


「二軒の家がくっついてる感じ?」

「そうそう、舞ちゃんの表現がぴったりかな」


 沢本は目を丸くした。立派な家だとは思っていたが、そこを一人で使っているとは。


「イノセントで稼いでたんだねぇ」

「でも祖母に少し援助してもらいました」


「へぇ~おばあ様はニューヨークにいるんだっけ?」

「そうです。しばらく会っていなかったので、会いに行くことを条件に」


 怜の母方の祖母はアメリカ人だと、舞子はその時初めて知った。そうか、だから目があんな風に綺麗な色なんだ、薄茶色に緑色のふちどりだもの。色白だし、ステージで一緒に並ぶと私は見劣りしすぎて恥ずかしい。


 もじもじし出した舞子に沢本は不思議そうな視線を向ける。「舞ちゃん、トイレかい?」

「はっ! ち、違います」俯いて赤面する舞子。


「舞ちゃんって純粋だね」


 怜は正直な感想を述べたつもりだが、自分の中にある舞子への感情が顔に出ている事には気付いていなかった。


「舞ちゃんは芸能界に居たのにすれてないよ。ほんといい子だよね」


 舞子が純粋なのは沢本も同感だ。あの両親に育てられたとは考えられないくらいに。そういえばあの二人は今どこで何をしているのだろう? 舞ちゃんにこんな借金を背負わせて、苦労させて。でもこれからは僕が舞ちゃんの傍にいる、彼女をサポートしてあげられるんだ。


 



 舞子は相変わらず借金の返済を直接、事務所に支払いに行っていた。借金を踏み倒して逃げる恐れはないと判断した山崎が、取り立てに行くのはやめたのだ。


「お。今日は随分多いな」

「三か月分持ってきました。忙しくて来られない時があるかもしれないので」


「うんうん、いい心がけだねぇ。他の債務者もこうだといいんだが」


 事務所の強面達も、いつの間にか舞子には笑顔で接するようになっていた。


「舞ちゃん、この間の『ソング・ソング』見たよ。すっごい良かったよ~」


「化粧品のCMの舞ちゃんが俺は好きだね。顔に蝶がついてるのがさ、色っぽくてそそられる」


「お前、下品な事言うなよ! それにありゃシールだろ?」

「ふふ、あれフェイスペイントなんです。イラストレーターさんが直接描いてくれました」


 サラ金の事務所が、まるでホームドラマみたいに和気あいあいとした雰囲気に包まれている。上田舞子は逃げもしないし、踏み倒すこともないだろう。だが山崎は返済を銀行振り込みにしようとは言わなかった。



 舞子の引っ越しはものの数分で終わった。大きめの旅行バッグ一個、これが舞子の全てだった。


「えっ、これだけでいいの?」


 舞子が使う部分の掃除を終えて、玄関先に迎えに来た怜が驚いている。


「ええと、これしかないと言った方が正解で」

「わお、すっごい身軽なんだね」


 舞子側の部屋は二階の1LDKだった。表玄関の東側にもう一つドアがあって、そこから二階にあがる。リビングとキッチンを合わせて二十畳ほど。浴室とトイレは別で、そのほかに十二畳のベッドルームがある。


 怜の使っている一階のリビングは二十四畳あった。一人で暮らすには、夢みたいな家だった。地下にはジム設備もあって、その地下に行くときだけ、怜側の家に入らなければいけない仕様だ。


「なるべく急いで引っ越し先を見つけますね。それまでよろしくお願いします」

「うん、でも別々の家って感じなんだから、ずっと居てもいいと思うよ。あとこれ鍵ね。こっちが一階でこっちが二階。俺がいない時でもスタジオとか使っていいからね」


 怜は意外なことにきっちり自炊していた。だがここ最近は多忙過ぎてデリバリーが多くなっている。今さら健康に気遣っても仕方ないという気持ちもあった。


「今日は引っ越しで休みを貰ったから、夕食は何か作るよ。舞ちゃん、何が食べたい?」

「あっ、それなら私が作ります。これからお世話になるのに……」


「いいよいいよ、舞ちゃんには明日の朝食をお願いしようかな」


 舞子がリクエストしたのは韓国料理。怜が韓国にいる時に普段食べていた料理に興味があったのだ。


「OK、じゃあ買い物に行こうか。最近家で作ってなかったから冷蔵庫がすっからかんだ」


 二人は帽子を目深に被り、マスクをしてスーパーへ出かけた。周囲に二人に気づく人はいない。夕飯の材料は怜が選んで次々とカートに入れていく。その量に舞子は目を丸くした。


「朝食のリクエストはありますか?」

「そうだなぁ、久しぶりに舞ちゃんの作ったおいなり寿司が食べたいかも」


「おいなりさんですね、了解です。ん、私って怜さんにおいなり寿司の差し入れした事ありましたっけ?」

「あっ、うん。確かあったよ! うん、あったあった」


 危ない危ない。怜が舞子をはじめて見たのは、あの丘の寂れた神社だ。だがそれをまだ舞子に明かしていない。それは今じゃなくてもいいだろう。


 怜の手料理はなかなかの出来だった。手際も良く、舞子の手伝いはほぼ不要だった。


「じゃあ舞ちゃんの引っ越しを祝して~乾杯、チャン!」

「ありがとうございます、チャン?」


「韓国語で乾杯だよ」

「なるほど、チャン~!」


 二人はマッコリで乾杯した。舞子はマッコリの乳酸菌飲料割り。マッコリはスプーン一杯しか入っていない。それでも舞子がほろ酔いになるには十分なアルコール量だった。


「ふあ~酔いました」

「リビング行って映画でも見ようか。眠くなったら寝ちゃってもいいし」


 ベッド代わりにしていたスナックのソファと、怜のリビングのソファでは雲泥の差だ。革張りのソファは、舞子ならベッドにしても十分な大きさがあった。(確かにここで寝ちゃいそうなくらいに居心地がいい)と舞子は思う。


「舞ちゃんてすごく倹約してるけど、それって事情があったりする?」



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