11 移籍
「お前、歌がうまいんだって?」
今月分の返済金を数えながら、山崎は舞子に問いかけた。
「歌は好きですけど、うまいのかな……」
「歌ってみろ、俺が判断してやる」
「え、今ここでですか?」
「おう」
今ここで、およそ歌とは似つかわしくない、このサラ金業者の事務所で。思いつきで言った山崎だったが、ふと浮かんだ曲があった。
「……あれ歌ってみろ『夏が来ぅれば思い出す』ってやつだ」
山崎の意外な選択に、舞子だけでなく同室にいた強面の男たちも、思わず山崎の顔を見た。
舞子も知らない曲ではない、中学生の時に音楽の授業で歌った記憶がある。
「えっと、ではいきます。『夏が来~れば思い出す~はるかな尾瀬……』」
一番を歌い終えた舞子はチラッと山崎の顔を見た。あれ、下手だったかな。舞子が当惑するほど、山崎はまるで別の場所を見ているような顔をしていた。でも、聞き終えた男たちは「おお~」などと言いながら拍手した。「舞ちゃん、綺麗な声だね~」と誰かが言う賛辞にも皆でうなずく。
「ありがとうございます、なんだかちょっと照れますね」
「おう、確かにうまいな。流石は元子役だ」
山崎の態度は明らかにおかしかった。舞子に声を掛けはしたが、心ここにあらずといった様子だ。舞子が事務所を出て行くときも、山崎は難しい顔をしたままだった。
山崎は、誰もいなくなった事務所で、しばらく動けずにいた。
後日、TikTikに上げる動画を撮ることになったが、舞子は一応芸能事務所に所属しているため、許可が必要になった。
「舞ちゃんて芸能人だったの? ごめんね、俺知らなくて」
「いえ最近はこれといった活動はしていないので。オーディションにも落ちまくってるんです」
(そうか、だから仕事を持ってきてもらえるのは羨ましいと言っていたのか。いくらひどい内容の仕事でも、指名してもらえる事には感謝しないといけないんだな)
怜は舞子の苦笑を見ながら自らを省みていた。それにしても舞ちゃんには意外なところで驚かされてばかりだ。
舞子が事務所の許可を得るまで、一旦撮影はお預けになった。舞子には専属のマネージャーはいないので、まずは沢本に相談しようと連絡を入れた。
「舞子ちゃん、丁度良かった。僕も話したい事があって連絡しようと思っていたんだよ。今、大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
「実はね、僕ほかの事務所に転職しようかと思ってるんだ。引き抜きの話を持ち掛けられてるんだよね」
「そうなんですか! どこの事務所ですか?」
「スターフォックスエンターテイメントなんだ。それで話したい事っていうのがね……」
沢本は新しい事務所に舞子も一緒に移籍しないかと誘ってきたのだった。
「その事務所はどういう所なの?」
沢本から誘いを受けた舞子は、悩んでいることを怜に打ち明けた。
「日本では大手です。有名な俳優さんがたくさん所属していて、最近は役者だけでなくアイドルとか歌手にも力を入れているみたいです。私が今所属している星川エージェンシーは若い子が多くて、アイドルも多いし若手のバンドも沢山抱えてます。だからその方面に強い沢本さんが引き抜かれたんだと思います」
「なるほどねぇ、じゃあさ、俺も一緒に移ろうかな」
「ええっ?!」
「俺、韓国にこだわりは無いから。ちょうどそろそろ契約も切れるし、だめかな?」
「じゃあ、一緒に沢本さんに会いましょう。私は星川社長にお世話になった恩があるので迷ってるんですけど」
迷っている事も含め、沢本さんに会って話をしよう。二人の結論はそこに落ち着いた。
前回のカフェの件を踏まえ、三人の会合場所は個室がある場所になった。
「ええっ、RAYくん? いやRAYさんと呼ばなきゃ失礼か。あのイノセントのRAYさんですよね?!」
沢本の愛嬌のある丸い目がさらに大きく見開かれた。
「本人です。でタメ口で大丈夫です。俺の方が全然年下だし」
「いやまぁ、そう、だね」
舞子に連れがいるとは聞いていたが、まさか韓国のトップアイドルを連れて来るとは。しかも舞子と一緒に事務所を移りたいというのだから、沢本の驚きは倍増した。
「韓国側の事務所はなんて言ってるの? RAYくんに抜けられたら大打撃じゃないかな?」
「そう言って貰えるのは嬉しいんですけど、向こうは俺を放出できて喜んでますよ」
この前の仕事を蹴った件で社長はカンカンだった。マネージャーのイを日本にまでやって仕事を取って来たのに、我がままを言ってクライアントを怒らせる始末。グループを組ませても協調性が無い、ソロでは傲慢で仕事を選り好みする。そんな奴はこっちから願い下げだ、と思っているだろう。
「それならRAYくんの事は僕がスターフォックスに掛け合ってみる。でも二つ返事でOKが貰えると思うよ。で、舞ちゃんは悩んでるんだって?」
「はい、モデルでデビューした時から星川社長にはお世話になってるので」
「舞ちゃんは義理堅いもんな。でも正直に言うけど、星川社長はあんまり舞ちゃんに期待してないみたいなんだよね。あの人すごく現金なところがあるから」
「確かに大きい仕事は何もしてないから、居ても居なくても同じかもしれません」
(前回星川社長と会った時も、私に期待しているような言動はなかったかも)
舞子は思い出して寂しい気持ちになったが、仕方のない事なのかもしれない。弱肉強食のこの世界は浮き沈みが激しいんだし。
「舞ちゃん、気落ちしないで。俺はスターフォックスで舞ちゃんを売り出す自信があるよ! 星川さんに『手放したのは失敗だった』と思わせてやろうよ」
沢本は舞子の表情を読み取って、元気づけようとしている。
「俺も、舞ちゃんはブレイクすると思うね。俺が一役買うんだし」
怜も舞子の肩を軽く叩きながら、ウインクしてみせた。
沢本は星川社長が舞子を簡単に手放すだろうと考えていた。ところが、実際には激しい拒絶が待っていた。
「沢本が抜けるのも納得できないのに、舞子を連れて行くなんて絶対に認めないぞ」
沢本をここまで育てたのはこの星川エージェンシーで、この俺だ。それを簡単に裏切って大手に引き抜かれるなんて、恩知らずめ。
舞子に価値があるかどうかではない。沢本の思い通りにだけは、させたくなかった。こうなったら意地でも舞子の移籍は認めん。星川は意固地になっていた。
沢本はそんな星川の心情を察知し、参っていた。失敗だ、先に舞ちゃんを移籍させてから自分も星川エージェンシーに辞表を出すべきだった。社長の考えを読めなかったのは自分の落ち度だ。
「そうかぁ、星川社長が反対してるか」
スターフォックスエンターテイメントの取締役は最近になって代替わりしていた。先代は会長に退き、その後を継いだ次男がこの目の前の伏見だ。そろそろ四十代に届くはずだが、十歳は若く見える。高身長でスマート、細面でキリッとした、俳優だと言っても通じるような端正な顔立ちをしていた。
沢本は伏見に初めて面会した時にも思ったが、この人にはどこか浮世離れした所がある。お坊ちゃん育ちのせいか、元々の気質なのか。でも偉ぶった所は皆無で、気さくなところは好ましかった。ここに移籍してもいいと思った要因の八割はこの人が占めるな。
「だけどRAYくんが日本の芸能界に興味があるとは思わなかった。母親が日本人だし、子供の頃は日本で暮らしていたらしいから第二の故郷って感じなのかな」
「ただ以前のようなアイドル活動は出来ないと思います。違う路線を打ち出さないと。激しいアクションは無理かもしれないですが、役者でも行けるんじゃないでしょうか」
「見た目があれだしね、英語も堪能らしいからハリウッドを狙えるかもしれない」
「はい。ただちょっと性格に難があるという情報も聞こえて来てます。イノセントの時も諍いが絶えなかったとか」
「そこは様子見だね」
伏見は舞子と怜の資料をデスクに戻し、やけに爽やかな笑顔で沢本に約束した。「星川さんのことは私に任せてくれ、うんと言わせてみせる」
あんなに頑なに首を横に振り続けていた星川が、伏見の電話一本で舞子を手放すことに同意した。この知らせを受けて沢本はすぐ怜の自宅のスタジオに向かった。
舞子もすでに地下のスタジオにスタンバっている。沢本は打合せ通りにわざと家庭用のビデオカメラの少し性能がいい物を用意して、それを回し始めた。
あらかじめ録音してあった伴奏が流れる、RAYはピアノを弾きながら歌い出した。舞子パートが始まっても舞子の姿は映さない。後ろ姿をほんの一瞬だけ入れる程度だ。舞子のパートは多い。その度に楽譜を持つ手やシャツの襟だけが切り取られた。
それにしても舞ちゃんがこんなに歌が上手いとは知らなかった。彼女の優しくて素直な性格そのままの澄んだ歌声。でもそれだけじゃない、音域もかなり広いし、あの小柄な体格のどこにこんなエネルギッシュな声量を秘めているのか。
感情表現と声量を両立させている。シェーナという才能あるシンガーソングライターを担当した沢本は、経験から直感した。舞子の歌は本物だと。




