10 曲作り
「出来た……」
あれからずっと曲を書き続けた怜が、五曲目を作り終えた時には翌日の昼になっていた。無我夢中で湧き上がってくる音を曲にしていて、夜が明けた事すら気づかなかった。
ソフトが起こした楽譜を再度チェックして精度を上げる。その作業の中で浮かぶのは、あの子が俺の曲を歌う姿だ。これを二人で歌ったら? と想像した曲もある。何にせよ、曲を作ったのは本当に久しぶりだ。音楽に対してこんな情熱が湧き上がる事はもうないと思っていた。曲作りがこんなに楽しかったのもいつぶりだろう?
徹夜明けのだるい体と、妙に冴えた頭。「明らかにテンションがおかしくなってるな」独り言ちながらリビングに行くが人気はない。カウチソファの前のガラステーブルにメモ紙が1枚、母親は出掛けた後だった。
「『あまり無理してはダメよ、お昼はキッチンにあります』か、どれどれ」
食事をしたら、歌詞もあててみるか。いま無理しないでいつするんだ、きっと俺にはそんなに時間がないはずだ。それから部屋を探しに不動産屋へ行こう。母さんは心配するかもしれないけれど、音楽をまたやりたいというこの気持ちを押さえられない。
怜が再びゾイサイトを訪れたのは二週間ほどが過ぎた、年明けすぐの事だった。舞子を指名したがまだ来ておらず、舞子と仲のいい女の子をテーブルに呼んで欲しいと希望を出した。
「まみで~す。よろしくお願いします~」
まみは大喜びで怜のテーブルについた。イノセントのファンではなかったけれど、間近で見る怜はドキドキするくらいイケメンだった。
いいなあ舞は。いつもこんなイケメンに指名されちゃって。RAYは星の数ほどいるここの客の中でも、間違いなくナンバーワンだわ。
「まみちゃんは舞ちゃんと仲がいいの?」
「そうですね~この店の中ではいい方だと思いますよ」
「舞ちゃんはここで働いて半年くらいって言ってたけど、その前は知ってる?」
「えーと学生だったんじゃないかな、お金が必要になって学校は休学してるって言ってた。なんだか親が借金してたとか」
「ふう~ん」
「ねね、舞のこと、教えてあげたんだから、私も質問していいですかぁ?」
せっかく怜のテーブルにつけたのに話題は舞のことばかりで、まみは少しがっかりしていた。
「質問によるかな」
まみは少し怜に顔を寄せて囁いた。
「あの『イノセント・b』のRAYさんですよね? ここだけの話にしますから!」
「あ~、うん。まぁ、元ね」
「やっぱり! でもプライベートなんですよねぇ。ここにもよく芸能人は来るけど……あとでこっそりサインなんか貰えたりしませんかぁ?」
まみの押しに負けて、サインはしたが写真のお願いは丁重にお断りした怜だった。ほどなくして舞が入店した。
「こんばんは、怜さん。いつもご指名ありがとうございます」
「久しぶりだね、この間のステージ見たよ。素晴らしい歌だった」
「あれ、見てらしたんですね。ルナちゃんが復帰するまで、あれからずっとステージに立ってたんですよ」
「そうなんだ、うわぁ見逃しちゃって損したな。ところでさ、ちょっと相談があるんだけど」
「はい?」
「舞ちゃん、バイトしない? 俺の作った曲のコーラスを担当してほしいんだ」
「わあ、怜さん曲を作るんですね。凄い! あっそうか、怜さんは歌手なんですもんね」
「それはオフレコで頼むよ。先に曲を聞いてからでもいいからさ。何時がいいかな?」
数日後、カフェで待ち合わせた二人は店内でも目立たない隅の席で向かい合った。怜は目深にキャップを被り、マスクをしているが舞子が来るとマスクを外した。
「好きなものを頼んでね。曲の仕上がりを見て、舞ちゃんがOKならTikTikに上げようと思ってるんだ」
「はい」
「それから……」
二人は熱心に話し込んでいたが、マスクを外した怜に若い女性客たちが気づき始めていた。
「ねぇ、絶対あれそうだよね」
「でもここ日本だよ」
「RAYって母親が日本人じゃん。居てもおかしくないよ」
「そっか! どうする、声掛けてみる?」
ひそひそと話しているが、視線はしっかりと怜を捉えている。
「舞ちゃん、ごめん。場所を変えよう、気づかれちゃったみたいだ」
怜は再びマスクを付けてカフェを出た。有名人である事の苦労は舞子も子役の頃に体験済みだ、そのあたりは理解できる。
「俺の部屋へ行こう。スタジオもそこにあるんだ」
怜は母親の家を出て、部屋を借りていた。正確には部屋ではなくて家。高い塀に囲まれたその家は、以前の持ち主がミュージシャンで、地下には広いスタジオを装備していた。
「うわぁ~広いですね。天井が高い」
「適当に座ってて、今飲み物を持ってくるから」
リビングに物は少なかった。U字型の大きなソファ、テーブルが窓を背にして中心に置かれている。ソファの向かいの壁には大型のテレビがはめ込まれ、右の壁向こうにはキッチンが見える。
「部屋数はそんなに多くないんだけど、地下のスタジオが気に入ってさ。音響設備が本格的なんだ」
キッチンからグラスを持った怜が戻って来て言った。
「スタジオ、見てみたいです」
「うん、曲もそこで聞いてもらおうと思ってた」
リビングの左側に地下に降りる階段があった。階段を降り切った先で、怜がスイッチを押すと暗闇の中にスタジオが現れた。真っ先に黒光りするグランドピアノが目に飛び込んで来た。壁には数本のギターが立てかけられている。ドラムセットはないが、それを入れても十分な広さがスタジオにはあった。
ガラスの大窓がついた隣部屋はレコーディングスタジオになっていて、本格的なミキシング装置が完備されている。怜はピアノに向かって座り、用意してあった楽譜を前に鍵盤の上で指を躍らせる。
「こんな感じの曲」
少し照れ臭そうにしながらピアノを弾く手を止め、怜は舞子に振り向いた。
「いい曲です、とっても! なんだか優しい気持ちになる曲ですね!」
「うん、歌詞も付けたんだけど、もしおかしな日本語だったり、こうした方がいいと思う箇所があったら遠慮しないで言って欲しいんだ」
曲を聞いた舞子の瞳は、好奇心と期待でキラキラと輝いていた。
クラブの人工的な照明の中で見る、ホステスとしての舞子も綺麗だったが、こうして化粧っ気のあまりない、素の舞子も可愛らしいと怜は思った。むしろ、こういう飾り気のない姿の方が、舞子らしいと感じる。
怜の曲はデュオに近かった。初めは怜が舞子のパート部分も歌って聞かせた。怜は声量があり、音域も広く艶のある声をしている。何度か歌い合わせて録音した物を聞いてみたが、二人の声の相性は思った以上に良かった。優し気で透明感のある舞子の声は曲の雰囲気とも合っている。
舞子は日中はパン屋でバイトをして夜はゾイサイトで働いていた。怜との曲作りはパン屋が休日の日に集中して行われた。初めは自分のパートを歌うだけだった舞子も、だんだんと曲作りに夢中になっていった。
舞子が出す抽象的なアイデアを、怜は見事に形にしてみせた。逆に怜が要求する表現を、舞子も的確にこなしてみせた。
「この曲でさ、ミュージックビデオを作るとしたらどんなのがいいと思う?」
「う~ん、そうですねぇ……独りぼっちで浜辺を彷徨っていた子犬を拾った主人公と、子犬が大きくなっていく姿を撮るとか」
「『君と出会って僕の世界は色づいた』って歌詞から言ってる?」
「そうです、出会いの感動が綴られた歌かと思ったので」
「じゃあ『君』っていうのはワンコなんだね」
怜はくすっと笑った。君に出会ったのは俺で『君』は舞ちゃんなのに、と内心で囁く。でも出会いの感動を綴っているのは間違っていない。
「怜さんはギターも弾けるんですか?」
「うん。俺、芸能界に入る前までは音楽学校にいたんだ。専攻はピアノだったけど、ギターは趣味で。舞ちゃんは?」
「私はどっちもだめです」
「ギター、教えようか?」
壁からギターを外し、持ち方から教える。基本コードがこれとか、これで……。
「あっ、手がつる! だめです、指の長さが足りません!」
舞子はよくしなるゴムみたいに屈んだり、反ったりしながら手を振った。
「あははは、最初はそうなるよ、みんな」
「きっと私には向いてないんです、ほら見て下さい。こんなに手の大きさが違う!」
笑い転げている怜の腕を掴んで、舞は自分の手のひらを怜の手の平にぴったり合わせた。
「うん、子供の手だ、これは。舞ちゃんはウクレレがいいかな」
怜はそう言ってまた笑い出した。




