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世界でひとつ、君の歌声〜命を諦めた彼と、夢を賭けた私の再生譚〜  作者: 山口三


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1 人生最悪の日


 今日は午後の授業だけ受けたら帰ろう──舞子はそう思っていた。


 この講義は大学でも大きな講堂で行われる。松島先輩はいつも早く来るから、後方の席に座れば目を合わせずに済むだろう。昨日の告白のことを思い返すと、気まずさで胸が詰まる。先輩だって同じはずだ。


 講堂に入ると、すでに多くの学生が着席していた。戸口近くの女子が舞子を見つけると、すぐ隣の女子に耳打ちし、次の瞬間には笑い声が広がった。舞子は明らかに注目を浴びていた。


「こっちこっち、早く座って!」


声の主は金子美奈。演劇サークルで知り合った友人だ。彼女の表情には同情と憐れみが混ざっている。


「あ、美奈。ねぇ気のせいかもしれないけど……」


「気のせいじゃないって。舞子、あんたの動画、晒されてるよ!」


 美奈は自分のスマホを素早くタップして、嘲笑の理由を舞子に突き付けた。その長方形の画面には、忘れもしない昨日の自分の姿が映っている。舞子の心臓は跳ね上がった。



――――――――――



 授業を終え、舞子は大学内でも外れにあるC棟の前で松島先輩を待った。高身長でモデルのようにスタイルが良く、涼しげな目元にほくろが光る──松島蒼太だ。モデル兼演劇サークル所属で誰とでも仲良くなれる人気者。そのサークルで出会った彼に、舞子はひそかに恋心を抱いていた。


「あっ、松島先輩! 少し時間いいですか?」

「あれ上田さん? サークルの件か何か?」


 周囲の好奇の視線を感じながら、舞子は封筒を取り出す。手がかすかに震えた。


「あのっ、これ読んでもらえませんか?」

「今読んでもいいのかな?」


 舞子は面食らった。だが制止する前に松島は封筒を開いて中の手紙を読み始める。自分の書いたラブレターを本人が目の前で読むというシュールな光景に、舞子はいたたまれない気持ちでいっぱいだった。やっぱり手紙にしたのは失敗だったんじゃ……。後悔しかけた時、松島が顔を上げた。その表情を見た舞子の願いはひとつ、今すぐ全力でここから逃げ出す事だった。


「ごめんね、今は忙しくて彼女とか作る気がないんだ」


 告白は受け入れられず、舞子は硬直したまま、厳しい現実を突き付けられる。


「そ、そうですよね……失礼しますっ」


 厳しく訓練された陸軍の歩兵みたいに回れ右して舞子は駆け出した。気づけば駅のホームに立っていた。心の中で明日への不安と後悔が渦巻く。


 はぁ……。ため息しか出てこない。涙がこぼれないように必死で上を向いて堪える。なにせ、告白なんて生まれて初めてだったんだから。



――――――――――



 動画は舞子が走り去った所で終わっていた。松島は手にした封筒に目を落として立ち尽くしている。


 こうして見ていると、それはまるで古い映画のワンシーンのようだ。


 ファッション雑誌から切り取ったような長身のイケメンと比べると、舞子は身長157センチで、どこか子供っぽく見える。真っ黒で少し多めの髪は肩に重くかかり、大きな目以外は平凡な顔立ちで、松島と並ぶとその残念さが一層際立つ。


 スタイルは悪くないのに、服のセンスが致命的だ。ボーダーのTシャツに帆布のトートバッグ、幅広の濃紺パンツはまるで水兵みたいだ。


 客観的に見ればひどいもんだ。告白するなら、せめてもう少し可愛らしく見える服を着て行けばよかったかもしれない。そんなことを舞子がぼんやり考えていると、教授が入ってきた。


「立っている者は早く席に着きなさい」


 講義が始まってからも後ろの席の生徒に背中を突かれ、「これってあんたなんだろ?」と囁かれた。


『あのっ、これ読んでもらえませんか?』


 突然、大音量で舞子の声が講堂に響き渡った。笑いを堪え切れず吹き出す生徒が後を絶たない。教授はジロリと生徒たちを見まわし抑揚のない声で言った。


「スマホの電源は切るように」


 講義が終わるや否や、舞子は講堂を駆け足で出て行った。昨日、松島先輩の前から去った時より更に早く。


 なんでこんな事になったんだろう? 動画に撮られていたなんて全然気づかなかった、最悪だ。明日からどんな顔をして大学に行けばいいのか……。


 それからの講義を全部すっぽかして、舞子は家に戻ってきた。東京都の外れにある四階建ての古いアパート。エレベーターのない古アパートの最上階まで階段を上り、ドアノブに手をかけると、鍵がかかっていた。


「あれ、お母さん、買い物かな」


 鍵を開けた部屋は、家具も電化製品もすべて消え、空っぽだった。両親に電話をかけるが応答なし。 


「なに……これ?」


 混乱と恐怖に震えながら自分の部屋のドアを開けるが、同じように何も無かった。


 ベッドもないし、デスクも無くなっている。備え付けのクローゼットには洋服が数枚掛かっているだけ。


 放心状態で、舞子はなんとなくトイレのドアを開けた。あ、トイレットペーパーだけはあって良かった。そう思った途端涙があふれて来た。


 ピンポ~ン、ドンドンドン。


 ドアを叩く音が続く。舞子は便座に座ったまま飛び上がった。もしかしたらお母さんたちが迎えに来たのかもしれない。私に内緒で引っ越しを計画してたんだ。全部、私をびっくりさせようとしたんだわ。


 普段なら相手を確かめずにドアを開けるなんて絶対にしなかった。けれどその時、舞子は外にいるのが両親だと信じて疑わなかったのだ。


 人生最悪の日は、まだ始まったばかりだった。

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