帰る、か……?
「親父、二本くれ」
以前、猫子と一緒に訪れた屋台『串にく屋』。
大きめの一口サイズにカットされ串へ通された肉が、香ばしい匂いとじゅわじゅわと焼ける音を辺りへ振り撒きながら、道行く者の足を止めさせる。
何故かエールを片手に持ちたくなる魔法を掛けてくるその店で、クロードはミー子への土産を買っていた。
単なる仕事帰りだったのだが、やはりと言っていいのか今朝のミー子は機嫌が思わしくなかった。
理由は、昨晩の急な留守番の上、クロードがレオニと共に飲み屋へ遊びに行った事が原因と思われる。
置いて出掛けてしまった事が余程面白くなかったようで、今朝はろくに口を聞いて貰えなかったのだ。
「これで機嫌が直るといいが……」
無意識に独り言を呟くと、短く息を吐き出す。ミー子に笑顔を向けてもらえない事でこんなにダメージを負うものかと、自分で驚く程傷心しているのだ。今日は一日どうやってミー子に説明しようかそればかり考えてしまって、仕事にちっとも身が入らなかった。こんなことは初めてだ。
熱々の串を袋に入れてもらい、宿舎の方へと足を向けた時だった。
「おーい! くまさーん!!」
詰所の方から見知った顔が走って来るのが見えた。本日の持ち場が関門だった同僚だ。
彼も今日の勤務は夕の刻までだった筈だ。詰所で勤務表へサインした際に言葉を交わしていた。
何かあったのだろうかと、クロードもそちらへ歩み寄る。
「会えて良かった! たった今、役所からくまさん宛に連絡があったんだ。帰りに寄って欲しいって」
来たか……
猫子の件で問い合わせていた事の結果が出たのだろう。
ようやくかと思いながら安堵している自分と、猫子との暮らしも終わりかと複雑な感情を抱いている自分がいる。
もっと単純に『解放される』と喜べるかと思っていたのに。『じゃあな』と言ってしまうには増えすぎた荷物が、腹の上の毛むくじゃらの温もりが日常になりすぎている。
知らせてくれた同僚に礼を告げ、その足で役所へ向かう。
その足取りはどこか重く感じられてならなかった。
以前と同じ部屋へ通される。
同じ席に座り、目の前に座るのもまたあの時と同じ担当者だった。
いくつかの書類がテーブルへ置かれる。
「結果から申し上げます」
クロードは真っ直ぐに彼の目を見た。
「遺失物届け、ならびに捜索願いは出されておりませんでした」
「……そう、ですか」
「猫子の状況から考えても、違法な囲い方がなされていたものと思われます」
胸がズキズキと軋む。
とりあえず元の持ち主に戻される事は無いと分かり、そこだけはホッとした。
「恐らく何らかの事情で逃げ出して来たのでしょう。先方が猫子が居なくなった事に気付かないといった事はまず無いでしょうが、事情が事情だけに一匹くらいと諦めたか、もしくは探せない何らかの事情が出来たか……」
「探せない事情……ですか?」
「ええ。……憶測の域を出ませんが、魔道具が壊れた事から見ても、後者でないかと予想します」
「どういう事ですか?」
「あくまで推測です。呪いのような強い強制力を持つ道具は、取り付けた本人が処置をしない限り、大抵外れる事はありません。それがクロードさんに外せてしまった。という事は元の持ち主が所有権を放棄したか、もしくはそれに準ずる境遇に陥ったと言うことです」
ミー子を捨てたか、その外道が死んだか……大体そんなところか。
「どちらにしても、魔道具の拘束力は消えます。クロードさんが保護した猫子が、元の所有者によって危害を加えられる事は無くなりました。が、呪いが消える訳では無いそうです」
呪いは残るが、晴れて自由の身と言うことだ。
せっかく自由に過ごせるのなら、呪いを消し去ってやりたいところだが。
「どうしたらその呪いは消えますか?」
「申し訳ありませんが、それは掛けた本人しかわかりません。術者が死亡した場合解ける事もあるようですが、術によるようです」
「そうですか……」
首輪が外れてからもミー子の姿は夜になれば毛むくじゃらに戻っている。
と言うことは、やはり不完全でも呪いは解けてはいないということだ。
どうにかして消してやる方法は無いのだろうか。
魔術士や教会なら方法を知っているかもしれない。しかし、魔術師はおいそれと面会出来るような人種ではないし、教会は相談だけでもお布施が掛かる。解呪となればとんでも無い額になるだろう。とてもクロードのような一般人に賄えるとは思えない。
クロードが俯いて考え込んでいると、更に担当者から声が掛けられた。
「所有権を得られますが、どうされますか?」
「え?」
呆けた顔で目の前の男を見つめてしまった。
「猫子を保護し、届けを提出したクロードさんに所有権が移ります。取得するか、放棄するかは自由です。放棄する場合は、私の方から保護施設への手続きを行います。どうされますか?」
最終的な決断を出来ないまま、クロードは役所を出た。
返事を保留にしてもらい、決まったら手続きをと言うことにしてもらった。
どうすべきか、わからなかったのだ。
自分には親が無い。物心付いた頃には、街の保護施設で暮らしていた。
食事は出来たしベッドもあった。裕福ではなかったが、似たような境遇の子供が他にもいて賑やかに過ごせたし、そこの暮らしは悪くはなかった。
ただ、自分の母は、父は、一体どんな人だっただろうかと考えなかった訳ではない。
ミー子には家族があるのだろうか。
帰りたい場所があるのだろうか。
あるのなら、帰りたいのなら、そうしてやりたいとは思う。
このまま一緒に……それを俺は望むのだろうか。
それがわからなかったのだ。
うちに着く頃には太陽は姿を隠し、西の空は茜く色付いていた。
「ただいま」
玄関を開けると、寝室の出入口の陰から猫子が覗いている。半分だけ顔が見えた。
「土産」
袋を差し出すと、そこからはみ出すように見えていた串を見るなり、ミー子のケモミミがピクリと動いた。
瞳も開かれ、目視は出来なかったが鼻もヒクヒクしている事だろう。
「一緒に食べよう」
再度声を掛けると、おずおずとミー子が側へやってくる。串にくで気を引く作戦は成功だったようだ。あの親父の串にくは効果絶大だ。
袋を渡し、こちらを見上げる猫子の頭をポンポンすると、いつものようにケモミミが手を払ってくる。
その表情に笑顔が戻り、いつものミー子そのものだ。その顔に何故だか胸がギュッと締め付けられてしまった。
二人でテーブルを囲み、晩ご飯の弁当と串にくを広げた。
いつものように焼き魚をほぐしながら、クロードが食事中には珍しく口を開いた。
「今日役所から呼び出しがあって、帰りに寄って来たんだ」
「にゃ?」
ミー子は串にくを頬張りながら顔を上げる。
クロードはあの担当者から聞いた話をそのまま伝えた。
ミー子の表情がどんどん曇っていく。
好んで聞きたい話ではない筈だ。無理もない。が、しない訳にもいかない。
「クロさんは——」
「ミー子、家族は?」
驚きに目を見開くミー子を見つめる。
「ちゃんと家族があるなら、帰る場所があるなら……帰ってもいいんだ」
「………」
「帰る、か……?」
「………」
「場所がわからないなら探す。それまでここに居てもいい。もう自由の身だから、お前の好きに生きられる」
「……っ……」
「帰りたいなら……帰してやる……」
自分で放った言葉なのに、胸の奥がズキズキと病んだ。常識的に考えてそれが最善だ。なのに、何故か自身が一番納得できていないように感じる。
何なんだと思っていたら、ミー子が酷く怯えた顔をしていることに気が付き、戸惑った。
なんで、そんな……
「ミー子……」
無意識に立ち上がろうとしたのか膝を立てていた。しかし、それよりも先にミー子が立ち上がる。
途端に薄く発光し、みるみる内に体が縮んでいった。どうやら毛むくじゃらの時間になったらしい。外を見ると、すっかり暗くなっていた。
今まで着ていた服が床に無造作に広がり、そこから這い出した仔猫が走って行ってしまった。そのまま家具の隙間へ入っていく。
「ミー子!」
ほぐした魚も手をつけないまま、隙間に入って出てこない。動かそうと思えば出来たのだが、クロードはそれをしなかった。
結局その日は何度呼んでもそれから姿を見せることはなかった。