それは、謝っている……のか……?
夕の刻の鐘を聞き、クロードはレオニと共に詰所へ向かった。今日は一緒に市井の見回りだった。何事も無く業務を終えられてホッとしながら鎧を外し、勤務表へサインする。
今日の仕事が終わり、城門を出ると、隣でレオニが目一杯腕を突き上げ伸びをしている。
「鎧重くて肩凝るぜ」
「そうか」
クロードは特に重いとは感じた事がない。ただ、ある程度体を固定され可動域が制限される為、窮屈だなとは思う。それでも己の身を守る為の装備だから、着たくないとは思わないし、それを身に付ける事で気持ちも引き締まる。
要は慣れた。
「お前はいいよな。恵まれた体躯で、力もあってさ。羨ましいよ」
「……そう思うなら、遊んでばかりいないで少しはトレーニングしろよ」
「…………」
その通りの事をそのまま言っただけだったのだが、レオニからじと目で見られてしまった。
どうやら突かれて痛い部分だったようだ。
職場もそうだが帰る場所も同じの為、自然と並んで歩き出す。
「今日こそママんとこ行こうぜ! これ以上待たせたら、折角ボトル取ってくれてるのに悪いだろ」
レオニは痛いところを突かれたばかりにも関わらず、トレーニングよりも飲みに行く事を優先したようだ。クロードは内心で呆れながらも、ナイトドレスに身を包むママの妖艶な姿を思い浮かべる。
確かに、この間わざわざ煮込みを届けてくれた時、近い内に行くとそう伝えた。
ミー子も夜勤の時の留守番は問題なく出来ているし、そろそろ行ってもいいだろうか。
「そうだな。行くか…」
レオニはクロードの『行く』を期待していなかったのか、一瞬彼を見て固まっている。が、すぐにその意味を理解したのか破顔した。
「そうこなくちゃ! あんまり過保護が過ぎてもミー子に嫌われるぞ」
「…え?」
レオニに笑われて、冗談だったと気付く。
彼の言葉を真に受けてしまった事もそうだが、『嫌われる』に過剰反応した自分自身にも驚いた。
宿舎に着くと一旦レオニと別れ、真っ直ぐ食堂へ向かった。
忙しそうに動き回るシエロに手を上げて挨拶をすると、厨房で鍋を振るうべリエに夕食を一人前注文した。
「くまはいらないのかい?」
「ああ、レオニとママのところに行く事になって」
伝えながら銅貨を一枚出した。それを受け取るべリエは「おやまぁ」と苦笑いだ。
「ミー子が怒りそうだねぇ」
「ん、そうか? 夜勤の留守番が出来るから、そろそろいいかと思ったんだが……」
「留守番は大丈夫だと思うけど……まぁ、怒られな」
「??」
べリエに言われた事に引っ掛かりを覚えるも、礼を言って部屋へと戻った。
「お帰りなさい」
扉を開けると、元気な声が聞こえてミー子が奥から走ってくる。
「ただいま」
直ぐ側までやって来たその頭を撫でると、ピクピクっとケモミミがクロードの手を払う。嫌がっている訳ではなさそうだから、ケモミミがピクピクするのは反射のようなものなのだろう。
お弁当箱を渡すと不思議そうな顔をされた。
「一個だけ?」
「ミー子の分だ」
猫子の表情が曇る。
「クロさんは?」
「レオニと出掛ける事になったから俺はいらないんだ。だからミー子が食え」
「またお仕事?」
「いや。ママのところに行ってくる。連れて行けないから留守番頼む」
聞き分けのいいミー子の事だから、てっきり「分かった」と言ってくれるかと思ったが、みるみる眉間に皺が寄っていく。その場から動こうとしないミー子の手から弁当箱を受け取ると、テーブルへ広げ焼き魚をほぐしてやる。
タオルと石鹸を出しシャワーの準備をする間も、ミー子はその場に突っ立ったままだった。
シャワーの前に動かないミー子に近付く。目線を合わせようと思ったが俯いてしまった。
「なるべく遅くならないように帰るから。なんなら、シエロに来て貰うか?」
「……いい」
目が合わないままミー子がテーブルについてしまった。クロードは小さく息を吐くとシャワーに向かう為部屋を出た。
戻ってくると、ミー子の姿は毛むくじゃらへと変わっている。お腹はしっかり空いていたようで、弁当箱は綺麗に空になっている。
若干部屋が荒れてんな。
その犯人はいつものようにお気に入りのクロードの服にちょこんと座ると、自分の前足を器用に使って一生懸命顔を洗っている。
いつも通りの光景に安堵すると、クロードは早速準備を始めた。
一張羅の上着を取り出し、魔風具で髪を乾かしたり、櫛を使って髪を整えたりしているのを、毛むくじゃらは少し離れた場所からソワソワしながら見ている。
いつもは魔風具など使わない。さして長くもない髪は放って置けば乾くし、大きな音を毛むくじゃらが嫌がるからだ。
いつもは櫛も使わない。癖もなく柔らかい髪質では、放って置いても対して変化は無いのだ。
そうしていつもとは違うクロードの行動に、仔猫は徐々に不安を煽られていく。
魔風具を片付けた途端に足へじゃれつくようにまとわりついてくる。危うく蹴飛ばしてしまいそうになった。
「やめろ。危ない」
そんなことはお構い無しに、ミーミー鳴きながら足元を何往復もしながら体を擦りつけてくる。
「やめろ。毛がつく」
言いながらもクロードは手で払ったりはしない。
その後も、財布を取ろうとすると飛びつかれ、上着を着ようとすると上に乗られ、部屋を横切れば踵へじゃれつかれと、ことごとく邪魔をされた。
それらを全てかわして受け流し、ようやくクロードが玄関へと立つ。
バリ、ガリ、ガリ、ブツッ
今度は背中側から恐ろしい音が聞こえ、クロードは恐る恐る振り返った。
毛むくじゃらがこちらをガン見しながら物凄い勢いで爪を研いでいる。ベリエから貰ったクッションが餌食になっていた。
普段は縦に長い瞳孔を目一杯広げ、黒目を真ん丸にして此方を見ながらひたすらに爪を研いでいる。
その瞳が「本当に行くのか」と言っている。
クロードは小さく息を吐き出すと、魔光具に触れ部屋の明かりを最小に落とした。
「遅くならないように帰るから」
それだけ告げ、一度暗闇の中に浮かび上がるように光る瞳を見て部屋を出た。
「で? 可愛い子ちゃん、置いて来ちゃったのね」
ママの白く細い指がマドラーをひと混ぜすると、クロードの前にグラスが置かれる。
レオニに続いてそれを掲げ、中身を呷った。
程好い辛味がピリッと舌を刺激し、熱く喉を焼くように胃へと届けば、後から爽やかな香りが鼻を抜けていく。
「あー、旨い!」
「……染みるな」
レオニが唸るとクロードも深く息を吐き出した。
その様子を嬉しそうに見ていたママがクスクスと喉を鳴らす。
「そうでしょう? これをやらなきゃ、クロードの一年は閉まらないし、始まらないんだから」
ママ特性の『煮込み』の入った小鉢がグラスの隣へ並べられた。
匙を受け取りながら、妖艶な笑みを浮かべるママを見る。
歳はクロード達よりも少し上の筈だ。時々わからなくなる程に若い。肌は白く、全体的に細い印象を受ける。
店に立つ時は細身のナイトドレスを身に付けている事が多く、広く開いた胸元からは張りのあるバストの谷間が覗いている。
ちょっとした時に見せる仕草や、憂いを含む伏し目等、所々で滲み出る色気が大人の女性を思わせる。ベリエは『母さん』だが、こちらは『ママ』の愛称がピッタリだと思う。
昔からこの場所に店を構え、親しみ易さと酒の種類の豊富さ、それから美味しいつまみと、独身の若い兵士達からベテラン層までママ人気は高かった。
「仔猫ちゃん、今頃怒ってるんじゃない?」
「あー……家に帰るのが怖いよ」
既に若干荒れていた。
帰った時にどんな事になっているのか、考えただけで恐ろしい。
「こんなこと言ってるけど、こいつミー子にメロメロなんだから! この間だってさ…——」
レオニのチクりを楽しそうに聞きながら、ママが二皿目を出してくれる。
白身のふっくらとした魚の煮付けだった。
「ミー子が散らかしたピー玉をこの巨体で一個一個集めてるかと思ったら、もう可笑しくて…——」
ふわふわの身に甘辛い煮汁をまとわせて口に入れる。
ミー子には少し熱いかもな、等と思いながらゆっくり噛み締める。魚の出汁が良く利いていて旨い。
「焼き魚だって、小骨までとってやってさ! ホントに過保護が過ぎるぜ…——」
隣の小鉢へ手を伸ばす。前にママがわざわざ届けてくれたやつだ。
途中からぶー垂れていたミー子も、美味しそうに食べていたな。
思い出したら何故か笑えた。
「このクロードがよ? 仔猫にメロメロで世話焼いてるとか、全然信じられなくてさ…——」
急に留守番なんて言ったら、そりゃ怒るよな……。
明日の仕事帰りにでも、土産に串にく買ってってやるか……。
「確かに可愛いんだよ。あのつぶらな瞳とか。ちゃんとベッドあるのに、クロードの上着の上に丸くなっちゃってさ…——」
洗濯物を入れておく籠の中で踞る小さな毛むくじゃらが過った。
今もそこで丸くなっているのだろか。
出てくる直前の、足にまとわりついて来た小さな体を、その感触を思い出す。
出して貰ったつまみを食べ終え、二杯目を飲み干してグラスを置いた。
「レオニ悪い。先帰るわ」
「「え?」」
ママとレオニが同じような顔をしてクロードを見た。
苦笑いを返し、机に銀貨を二枚置く。
「ごめんママ。また来る」
それだけ告げ、クロードは上着を着る間もなく店を出た。
「クロードにここまでさせるなんて……なんか妬けちゃうわ」
「……俺もだわ」
そんな二人の呟きは、本人には届かない。
恐る恐る部屋の扉を開けた。
魔光具の光を少しだけ大きくする。
まぁ…………だろうな。
予想していた通り、部屋の中はぐっちゃぐちゃだった。
ベリエから貰ったクッションは……御臨終だな。
洗濯物の籠からは中に入っていた筈の衣類が全て撒き散らかされている。
積んでいた筈の本もバラバラ。
いつも遊んでいた紙袋は破れてボロボロだった。
衣類を拾い集めながら毛むくじゃらを探す。こういう時はベッドにはいない。
必ずこの辺のどこかに……
いくらも探さない内に見つかった。
いつも下に敷いている上着の上、別の衣類の下敷きになって小さくなっている仔猫を見つけた。
余程暴れて疲れたのか、まだクロードが帰って来た事には気付いていないようだ。寝息を立てながら爆睡している。
こういう所も本当にこいつ猫か? と疑いたくなる部分である。
「……それはどういう事だ? ……謝ってる……のか?」
いつもの猫まんじゅうスタイルに加え、顔面が上着に食い込んでいる。
端から見れば、息出来てるか? と言いたくなるような姿だ。
人間が全力で謝罪する時にすると言う『土下座』。
額を床につけて、まさに『ごめんなさい』と言っているようなその寝姿に、クロードは思わず笑みを溢してしまった。
『ごめんね』ならぬ『ごめん寝』
「まぁ……いいか……俺の方こそ、ごめんな……」
なるべく起こさないように、クロードは再び散らかった部屋の片付けを再開した。