5月27日、晴れ時々雨
茉莉花はいつもいつも、余裕綽々でずるい……。
あたしたちは高三になった。だからって関係性としては何も変わらず。むしろ、そろそろ変わらなきゃなー……とは思っているものの……。
「まだ決まんないのかよー。いい加減電気消すぞ?」
「もうちょっとー! ねぇ、こっちのスカートとズボンならどっちがいいと思う?」
明日はあたしの十八歳の誕生日。お祝いに茉莉花がデスティニーランドへ連れて行ってくれると言い出した。
生まれて初めてのデスティニーランド! 他のテーマパークに比べ、入場料もパスポートもあたしのお小遣いで行けるわけがないので、あえて『行ってみたい』なんて口にしたことがなかったのに……。予想だにしていなかったプレゼント、嬉しすぎる!
「ふわーぁ、眠い……。嬉しいのは分かったからさ、決められないなら明日の朝の気分で決めなよ。汐音が寝てくんないとぼくも寝れないんだからさぁ」
「むー! どっちがいいか聞いてんでしょ? 選んでくれたら寝てあげてもいいわよ!」
「はいはい。じゃあスカートで」
「はー? 何その言い方ー!」
「もー……。どっちもかわいいって言ってんじゃんかー」
……相変わらず、ケンカばかりの毎日……。
誕生日前日だろうが、憧れのデスティニーランドの前日だろうが、あたしと茉莉花は日課のようにケンカをする。そんなあたしたちなので、影で『夫婦漫才』などと呼ばれているらしい……。
*
「すっごい人……! テレビが過剰に映してるんだと信じてたけど、どこもかしこも行列じゃない……」
「土曜日だしなぁ。おまけに修学旅行生もうじゃうじゃじゃん」
「あーぁ、これじゃアトラクション、いくつも乗れないわね……」
眠い目をこすり、早起きして辿り着いたデスティニーランド。開園前に並んで入園したのに、右も左も人・人・人……。明日は休みだし今日は夜まで遊ぶつもりだけど、この様子じゃ途中で突かれて帰るのがオチかも……。
「心配すんなって! ぼくを誰だと思ってんだ?」
ふふん、と得意気に茉莉花がチケットを二枚ひらつかせた。「これ、なーんだ?」と渡されたチケットには、『DTL株主優先券』と印字されていた。
「株主……優先券? 普通、『優待券』じゃないの?」
「だからさ、ぼくを誰だと思ってんの? 優待じゃなくて『優先』なんだってば」
初めて耳にする言葉だったが、意味としては言葉そのものなのだろう。多くは聞かなかったが、どうせ茉莉花のお父さんの会社が莫大な株主だとかそういうことだ。
そういえば茉莉花の実家は、このデスティニーランドのシャンデレレラ城のような豪邸だ。デザインとか協賛とか、そういうことにも携わっているのかもしれない。
「短気な汐音を、ぼくが並ばせると思う? これをチラつかせれば、裏ルートからアトラクションに乗せてもらえるんだよ」
「すごーい! さっすがお嬢様は違うわねぇ。……失礼な台詞が聞こえた気がするけど、この優先券に免じて聞かなかったことにしてあげるわ」
ギロリと睨ぶと、やっと失言に気付いたらしく苦笑いするバカ茉莉花。一言余計だっつーの!
それからあたしたちはおもしろいほどスイスイと優先で案内され、次々とアトラクションに乗りまくれた。
ジャイアントサンダーマウンテンでは、明らかビビっているくせに強がる茉莉花の必死さにお腹を抱えて笑い、スプレーウォッシュマウンテンでは、セットが乱れたとかなんとかぶつぶつすねるのをからかい、ジャングルツアーズでは、隣に座った女の子を口説こうとしたので「突き落とすわよ?」と耳を引っ張り……。
「今日はちゃんと気を付けるって約束したのは、どこのどなただったかしらねー?」
「だ、だから気を付けてるじゃんか。未遂に終わっただろー?」
「どうかしらね? あたしが割り込まなきゃ、今頃あたしなんか放置でお姉さんたちとよろしくしてたかもよー?」
「んなわけないだろー? 今日は汐音の誕生日なんだから、そんなこと絶対しないって!」
「どーだかね」
ふんっ、と顔を背けると、視線の先にはポップコーンのワゴン店があった。甘い香りがする。ソルトキャラメル味だ。すごくおいしそうだ。視線を戻すと「食べよっか!」と手を引かれた。
「さすがにワゴン店じゃ優先してもらえないや。二十分くらい並びそうだけど、汐音は座って待ってる?」
「アトラクションだけでも並ばないの有り難いし、このくらい大丈夫。それより、喉渇いちゃったから飲み物買ってきてくれない?」
「オーケー! ドリンクコーナーはここまで並んでないと思うから、ちゃちゃっと買ってくるよ」
「うん、よろしくー」
ポップコーンの列にあたしを残し、茉莉花は意気揚々と人混みに消えて行った。お使いを任されたわんこみたいでかわいい。数回は来園しているので地図を見ずとも店舗は把握しているらしいし、フットワークの軽さは頼もしいなぁなんて思った。
キャッキャと前列の女の子たちが盛り上がっている。隣を見ても話す相手のいないあたしは一人、スマホに目を落とすしかなかった。茉莉花が離れてまだ五分も経っていない。
なかなか進まないなぁなんて思いワゴンの中を覗くと、さっきまで大量にはじけていたポップコーンがほとんどなくなっていた。スタッフさんがあわあわしている。故障かなぁ? なんて囁きも聞こえてきた。
それでも、販売休止のアナウンスがないので誰も列から外れなかった。あたしも信じて並んでいた。しばらくすると機械の機嫌が治ったらしく、ポンポンと勢いよくはじけ始めた。
茉莉花はもうじき戻ってくるだろう。「ちゃんと並べてんじゃん」とかなんとかニヤニヤしながらいじってくるに違いない。そんなこと言おうもんならポップコーンあげないんだからね、と心に決める。
「あれ? やだぁ、雨ぇ?」
後ろに並んでいる親子がつぶやいた。ちょうど前の二人組が支払いを終えたとこだった。あたしは一瞬空を見上げた。ワゴンの屋根に入っていたので空の様子は分からなかった。一段と香り野漂うワゴンの前で「カップのを二つください」と注文した。
購入してるんるんで振り返れば、ぽつぽつと雨粒が落ちてきていた。最悪だ。予報では曇りのち晴れだったので、傘など持ってきていない。うじゃうじゃ行き交っていた人たちは、きゃーきゃー言いながら小走りで建物を目指し始めた。
戻ってきてくれると思っていた。どこまで買いにいったのか分からない。両手は塞がっている。スマホは取り出せない。
『どうかしらね? あたしが割り込まなきゃ、今頃あたしなんか放置でお姉さんたちとよろしくしてたかもよー?』
自分の発言が恨めしくなってくる。的中した? だったらムカつくどころじゃ済まない。違ったら違ったで、そんな妄想しかできず信頼してあげられない自分にムカつく……。
二十分以上独りで並んで買った、せっかくのポップコーンが濡れてしまう……。あたしは子犬を抱えるかのように、ポップコーンを大切にカーディガンの左側で覆った。
雨は強くなる一方だ。落ちないように左腕でカップを二つ抱え、バッグからスマホを出す。茉莉花からの連絡はない。電話してみた。電波状況が悪いのか混雑しているのか、コールすら鳴らなかった。
ワゴンの前を動くわけにもいかず、連絡もつかず、どこにいるか分からないから迎えにも行けず、あたしはただ濡れねずみで立ち尽くしていた。視界にはほぼ誰もいなくなった。みんな建物内に避難したのだろう。
通り雨であることを願う。びしょびしょになったスカートが足に貼り付く。ポップコーンが濡れないよう身を丸めているので、お腹痛い人みたい。バカみたい。
スプレーウォッシュマウンテンの水しぶきでさえ、セットが乱れたとぶつぶつ言ってたやつだ。こんなザーザー降りの中、戻ってくるわけがない。小ぶ降りになったら迎えにきてくれるかな……なんていつになるかも分からない期待にため息が漏れる。
ちらほらと、傘を差す人が現れ始めた。ミッチーマウスが描かれている。ショップで販売している物だろう。カップルたちも、一つの傘を二人で差している。ここまでずぶ濡れになったあたしには、傘はもう意味がない。
もう一度スマホを取り出した。三十分以上経っている。発信ボタンをタップした。今度はコールが鳴った。
「ごめんっ!」
コール音が切れていないのに、あいつの声がした。それも後ろから……。
スマホを耳に当てたまま振り返った。雨はだいぶ小降りになってきた。ミッチーマウスがたくさん描かれている大きな傘を広げ、息を切らしながら駆けてくる茉莉花の姿があった。
「遅いよ……」
自分でも情けないほど、かすれた声だった。同じくずぶ濡れになっている茉莉花が傘にいれてくれた。長い前髪が目に被さってうざったそうなのに、滴を払おうともせず、「ごめん」と腰に手を回してきた。
「バーガーショップも混んでてさ、でも傘持てなくなっちゃうからジンジャーエール、置いてきちゃった」
「謝ってほしいのはそこじゃないんだけど……」
ちょっとだけ濡れてしまったポップコーンを差し出そうとした。あたしはこれを死守してずぶ濡れになっちゃったのに……ってのは、なんだかバカみたいで恥ずかしいから口にしなかった。
「バカだなぁ。ポップコーンなんかいいから、屋根のあるとこに避難しとけばよかったのに」
一緒に食べるの楽しみにしてたからとか、ここを離れたらはぐれちゃいそうだったからとか、心細かったのにとか、言いたいことは山ほどあった。察して欲しいけど、鈍感な茉莉花にはそれを求めてはいけない。
妄想で不安になってはいたけれど、なんだかんだ茉莉花はあたしの元へ帰ってきてくれる。ふわふわとちゃらちゃらとへらへらと、どうしようもないナンパ癖はあっても、必ずあたしの隣へ戻ってきてくれる。
だから、許してしまう……。
黙って口を尖らせていると、滴が滴る前髪の向こうで茉莉花の大きな目がぱちぱちと瞬きをした。
「そんなに怒るなよぉ。待たせたのは悪かったけど、あっちも込んでたし、雨降るなんて予報なかったし、傘買いに行くのにショップ二軒回って、ぼくだってこんなに濡れて……」
「怒ってない。寂しかっただけ」
「お? 今日はやけに素直じゃん」
へらりと笑われて、内心自分でも『確かに』と思ってしまった。顔を逸らし「ムカつく」と照れ隠しする。
傘に跳ね返る雨音が小さくなってきた。この分だと時期に止むだろう。空を見上げようとすると、視界が傘で覆われた。そして唇に柔らかいものが触れた。
「バカ……。なにすんのよ、こんなとこで……」
「いいじゃん、傘で隠したから大丈夫。……多分」
「多分って……」
思わず吹き出してしまった。茉莉花も笑ってるくせに「笑うなよー」と、タグが付いたままのタオルを頭に被せてきた。
「服買いに行こ。せっかくだからペアルックにする?」
「絶対ヤ」
「へへーんだ! ほんとはぼくとお揃いにして、優越感に浸りたいくせにー」
「なにそれ? ナルシストはおめでたくて羨ましいわねー」
花から花へ。蝶々のようにひらひら飛び回らなければ、あたしはいつも安心して隣にいられるのに……。
茉莉花はいつもいつも、余裕綽々でずるい……。
だけど、他の女の子にはしない優しさが、あたしに安心感を与えてくれる。側にいたいと、いてほしいと思わせてくる。
雨は止んだ。雲の切れ間から太陽が顔を出した。
五月二十七日、晴れ時々雨。
まるであたしたちのような、ころころ変わる天気。