第20話 足音
長田友子は空港に来ていた。人のざわめきとアナウンス、そして何より旅客機の発着音が、人の心を騒ぎ立てるような場所だ。
彼女もまた、こころのざわめくのを感じていた。ただ、他の乗客たちと違ったのは、それが楽しみや喜びによるものはなかったという所だ。
高飛び。それが友子の目的だった。警察の目は今はごまかせても、やがては自分へと向けられるだろう。だから今のうちに消えておく。彼らが追えない場所へ。
フライトの時間が近づいていた。搭乗口へとキャリーバッグを引いて行く。明日の朝には違う国の空の上だ。
わかっている。夢物語だと。友子は英語など話せはしないし海外に知り合いもない、平凡な主婦でしかない。海外に逃げたとしても生活などできようはずもないのだ。それでも今だけは、この夢を見ていたかった。
佐賀野とは随分前から男女の仲になっていた。仕事ばかりで友子を省みようともしない長田には、すっかり愛情は冷めていた。お互いに指輪を外していることもどうでも良かった。惰性で夫婦を続けているようなものだ。
長田と違って自分を女扱いしてくれる佐賀野に惹かれたのは、当然の成り行きだったのかもしれない。友子はいずれは長田と別れて佐賀野と一緒になるつもりでいた。
だが、それは友子だけが思っていることだった。佐賀野に他に女がいるとわかった時、佐賀野は言い訳をするどころか友子を鼻で嗤った。夫に相手にされなくて可哀想だから抱いてやっただけだ、と。気がついたら手に灰皿を持っていて、佐賀野は倒れていたのだった…。
友子は指輪の跡を見つめた。何故いつもこんな風になってしまうのだろう。ただ幸せに暮らしたかっただけなのに…。
バラバラと足音が近づいて来ても彼女は止まらなかった。振り返りもしなかった。何かから逃げるように。何かを振りきるように。数人の男たちが目の前に立ち塞がるまで。
「長田友子さんですな。佐賀野雄一殺害の容疑で逮捕します」




