最後の温情
下層まで一気に降下してしまったセテたちは、ロトムが凍死しないよう、身を寄せ合って温めてやりながら周囲を観察する。
少し下に落下するだけと思いきや、地割れは予想よりも遥かに深く、曲芸師顔負けの身体能力を発揮して壁を蹴りながら落下速度を緩和させていなければ、下層にたどり着いた瞬間に全員が潰れていただろう。
こうして全員が落下する事態は、なにも初めてではない。駆け出しの追放者として活動する頃には何度も失敗し、怪我をし、痛い目に遭いながら学習を重ねた結果だ。今となっては落下速度さえ緩和できるものさえあれば、百メートル以上の高度から落下しても、個々が無傷で生還を可能にしていた。
「マバドのジジィ、しくじったわよ」
「しくじったのは息子の方だろ。結果を出そうと、工程を無視して必要なものを飛ばすから、ついにこういう結果になったんだ」
舌打ちするソノに同意したスム。ロトムが気絶しているため気が緩んだのか、ジャケットから煙草を取り出そうとするが「未成年の前で吸うな」と箱ごとソノに奪われる。
「セテ。どうしよう。凍ってたんじゃ壁も登れない。私が見て来ようか?」
本来は、まだ比較的難易度の低い敵がいる上層でロトムを追放するはずが、難易度が高い下層まで運んでしまい、手配していたはずの彼の仲間候補たちと合流できないのが現状だ。
それどころか状況は秒刻みで悪化の一途を辿り、ついにセテたちの命まで蝕み脅かそうとしている。
原因はソノとスムが言ったとおり、セテたちにとって因縁のあるあの忌々しい親子にあった。
覚醒者の暴走である。かつてセテたちも痛い目をみた。あの時はひとりの暴走が手配した仲間候補を殺しかけ、ダンジョン崩壊の危機に陥った。それを阻止する術は無くもない。が、今回は前例にない悪化だ。
この辺境の地にある、人外が作り出した蟻の巣状の地下に広がる構造物は、奇妙なことに四つが隣接し、岩盤を突破すれば繋がることができる。それも上層から。
スラングが究極の手抜きにより暴走させてしまった覚醒者が、人外を駆逐するどころか、セテやスラングたち追放者を殺そうとしている。三人同時に。まともにやり合っても勝てる保障はない。
「単独行動は危険だ。全員固まって移動しよう。方針は変わらない。こうなった以上、計画は中止。ロトムを外に出す」
「敵勢力と邂逅した場合はどうするのさ」
ソノが目を伏せて尋ねる。いつもの勝ち気な彼女の姿はどこにもなかった。
「………俺がやる」
「セテ。忘れないで頂戴ね。なにがあっても私たちは一緒だし、罪なら一緒に被るってこと」
「わかってるよサラ。だから尻を撫でるのやめろって!」
セテの背にピタリと貼り付き励ますサラ。しかしその手付きにゾッとするものを覚え、セテは慌てて飛び退く。サラは「惜しい」と呟くも、次の瞬間にはソノのキックがドレスの尻に叩き込まれた。
「痛ぁい。なにするのソノ」
「こっちの台詞………クソッ。相変わらず岩みたいな体して。蹴ったあたしの方がダメージもらうとか、どんな体してんだか」
教育的指導を行ったソノの方が、逆にダメージを足に返って、涙目になりながらピョンピョンと跳ねる。
だがいつまでも茶番を繰り広げているわけにもいかず、スムがロトムを背負うと、ついに凍りついたダンジョンの攻略を開始する。
しばらくは道なりに進む。緩やかなカーブの手前で立ち止まり、セテとシイが斥候をしながら安全を確認しつつ、殿のサラが後方に敵影がないことを合図して、やっと歩き出す。これを繰り返した。
「………ひとつ、気になったんだが」
「なによ。スム」
ロトムを背負うスムは、白い息を吐きながら全員に尋ねた。
「なんで三人同時に襲いかかってきたんだろうなって」
「暴走したからじゃ………あれ?」
スムを振り返ったシイが、斥候をセテに任せて答えるも、答え切る前に首を傾げる。
「………確かに、なんかおかしいわね」
「そうね。言われてみれば。………距離と時間かしらね」
ソノとサラも気付いた。
すべてが出来すぎていた。というよりも、仕組まれていたようにも思える。
それがサラの言う距離と時間。どちらも長さという単位で知ることができる。ゆえに疑問が尽きない。
「三つのダンジョンで、ほぼ同時に覚醒者が暴走したとすれば、動きはランダムになる。というよりも、なんでも敵として認知するようになる。これまで抑圧された部分が解放されて。そこにいるのがモンスターだろうが人間だろうが、構わず殺す」
セテは振り返らずに、自分の経験を語った。
「スムの言うとおりだ。ほぼ同時に暴走した覚醒者が、一挙に集うってのはあり得なくもないが、確率が低すぎる。まずはダンジョンを破壊するだろうにな。それが迷わずに一ヶ所に集まって、俺たちを攻撃しやがった。しかも、理性とかが弾けて獣同然になってるのに、あの連携性。なにもかもが異常ってわけだ」
「連携ねぇ。じゃあなにさ。三人の覚醒者たちは、暴走さえも意図的に仕組まれた上で操られてるっての?」
ソノは半眼になりつつ、セテを睨む。───いや、正確に述べるとすれば、セテよりも前方へと。
「そうなるだろうな。とりあえず、そういうのは聞けばいい。張本人からな」
カーブが終わる頃だった。
セテが斥候を務める隊列は、停止することとなる。
なぜなら、そこには会いたくはないが、会わなければならない馬鹿がふたり、極寒を耐え忍ぶべく親子仲良く抱き合って、洟水を垂らしながら氷の上に座り込んでいたからだ。
「な、なな、なっ………」
「よう。ご両人。禁断の親子愛とはお熱いことで。精が出ますな」
セテはここぞとばかりに踏み込んだ。
いつもいいようにされるばかりで、反撃する機会などありはしなかった。スルーはしたが、反論しようものなら職を失うばかりか、仲間に迷惑をかけかねないと。
しかし、それも今日で終わりになるかもしれない。
いい加減、この国の指針にも辟易してきたところだ。
ガクガクと震える親子───マバドとスラングは、この事態にも関わらず、しかもセテたちを毛嫌いしているにも関わらず、縋るような目で見上げている。こんなのが常識と同僚。呆れるにも程がある。
「せ、セテ………助け………」
「あーあー、スラング。お前さ………こんな狭いのに漏らしたまま座り込んだな? 服が凍りついて立ち上がれないんだろ。で、マバドさんも巻き込まれたと」
「分析はいい………なんとか、しろ!」
「ははー。マバドさん。それがひとにものを頼む態度なんですかねぇ?」
スラングの方はなりふり構わずに救助を求めたが、マバドはまだ理性やら余計なプライドが残っていたらしく、高圧的な要求をする。
ならば。とセテは邪悪な笑みを浮かべてみせた。
「助けてもいいですけど、代わりに聞かせてもらいますよ。なんでこうなったのか」
「………貴様ら虫ケラ以下の族どもに、語ることはない。それよりもこの状況をなんとかしろ!」
「あーあ。最後の温情だったのになぁ。これじゃ体に聞くしかなくなっちまった。後悔しても、もう遅いですよ。………サラ」
「はぁーい」
セテの出場命令に嬉々としながら従うサラは、弟の上をいく邪悪を超越した悪魔の笑みを浮かべ、足が凍りついて逃げられないスラングとマバドに大股で歩み寄る。
「まて………待て。おい。貴様。オカマッ! なんだその笑み………やめろ! 舌舐めずりするな! ドレスを脱ぐな! 私の上着を掴むなぐわぁあああああ!?」
「いただきまぁす」
「やめろぉぉおおおおおぁぁあああああああああ!!」