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人生で劇的なことなど起こるものではないと思っていた。

作者: 瀬崎遊

 人生でそうそう劇的なことなど起こるものではない。

 毎日退屈だと思いながら日々を過ごすものだと思っていた。


 そんな私が一年間付き合った恋人のハルトは、ベッドの上で、他の女性を組み敷いているのを見せながらこう言ったのだ。


「ハウスメイドとしてなら満点をやるよ。けどな恋人としては零点だ」

 反論できる言葉が見つけられず私は唇を噛みしめる。

「こんな姿も見られたし、お前とは別れるよ。メイドとして働いてくれるなら歓迎するよ」


 メイドとして?

「いつまでも見ていたいなら見ててもいいけど、お前、惨めじゃないのか?」

 私に見せつけるように女性を撫でながら二人して私を笑う。

 私は恋人の家から逃げ出したのだった。


 何故だろう?涙は出ないし、腹も立たない。

 でも、惨めだった。


 家に戻り、自分のベッドを見て、さっきの情景が思い浮かぶ。

 さっきは気が付かなかったけど、組み敷かれていた女性は同じ職場のミケットだったと、今更ながら気がつく。


 気が付いたからと言って何がどうというわけでもないのだけれど。

 ベッドに座り込み、頭の中でハルトが言った言葉がよみがえる。

 メイド・・・笑える!!

 笑いが収まると、私はハルトのことがそれほど好きではなかったのだと気が付いた。


 だから涙もでなくて、腹も立たなかったのか。

 女としては惨めだけれど。

 ハルトのことがどうでもいいと気がついて、晴れ晴れとした気分で朝食の用意をしようとエプロンを身に着けた。


 部屋がノックされ、こんなに早くに誰?

 ドアは開けずに誰何(すいか)する。

 

「ナタリー・・・オリストだよ。大丈夫か?」

 私は扉を開けて、オリストを招き入れる。

「オリスト、どうして・・・」

「ハルトがナタリーと別れたって言ってって・・・」


 私はオリストにくすりと笑い、事の顛末を話す。

「私は恋人としては零点だって・・・」

「そんなことないよ!!ナタリーは誰よりも可愛よ」

「ふっふっ。ありがとう。オリストはそんなふうに言ってくれる少数の人ね」


「俺がハルトなんか紹介したから・・・」

「そんなことないわ。私、振られて気が付いたの。ハルトのこと好きじゃなかったって」

「そうなの?」


「なんとなく一人は嫌だったから、付き合い続けたけど、私、ハルトにキス一つ許せなかったの」

「そう、だったんだ。たとえそうでも浮気は駄目だよ!!」

「それは私もそう思う。ハルトの新しい相手はミケットなの」

「ミケット?!なんてやつだ!!」



「そう言えば朝ごはん食べた?」

「いや・・・」

「なら一緒に食べよう。用意するわ。入って」


 トーストとスクランブルエッグと具だくさんの野菜スープをよそってオリストに食べるように促す。

「いただきます」

 スープを飲んで、美味しくできたと自画自賛する。

 オリストと一緒に職場に向かい、楽しく話しながら職場へ向かう。 

 着いたらミケットが鼻高々に、私の悪口を言っているんだろうなと予想がついた。



 職場に行くとミケットの笑い声が聞こえる。

「それでね、ナタリーったら私達がベッド・インしている時にきて、ハルトに恋人としては零点って言われたのよ」

 ミケットを取り囲む数人の女の子がけらけら笑う。

 

 私が居ることに気が付いてミケットは尚、話を続ける。

「ナタリーったら赤い顔が真っ青になっていってブルブル震えてね、ハルトにメイドとして働いてくれるなら歓迎するって言われて走って逃げていったのよ」


 ひときわ大きな笑い声が上がった。

「ナタリー今日も仕事頑張ろうね」

 私はにこやかな顔でオリストに返事した。

「そうね。頑張りましょう」


 私に背を向けていた女の子たちがこちらに振り向いて気不味げな顔をして目を伏せた。

 私はそれらを無視して昨日の続きの仕事に取り掛かった。


 大人気ないと思ったけれど、私はミケットと私を笑った人たちの仕事は手伝わず、その日は自分の仕事を終わらせてさっさと一人で帰った。



 部屋の鍵穴に鍵を差し込むと扉が開いていく。

「え?なんで?ちゃんと鍵閉めたよね?」

 朝の戸締まりのことを思い出しながら、間違いなく締めたことを思い出す。

 怖くて心臓がバクバク音をたてる。


 そぉーっと押し開くと、そこには熊のように大きい男が調理場でフライパンを振っていた。


「ダミアン!!」

 私は背後から抱きつく。

「おう、お帰り」

「お帰りは私のセリフよ!!」

「長かったね。帰ってきてくれて嬉しい!!」

 ひとしきり抱きしめ合いながら再会を喜ぶ。


 ダミアンは冒険者でコンコルドというグループのリーダーをしている。

 私の幼馴染で元恋人だ。

 三年前、仕事で領地を離れることになり、泣く泣く別れた人だった。


「未だに私の家の鍵を持っていたのね」

「ああ」

「今回は長く居られるの?」

「まずはメシを食おう」

「うん!」

 テーブルに作られた料理を並べ、二人向かい合って食事を堪能する。


「ダミアンの食事も三年ぶり!!腕は落ちていないわね」

「ずっとメシ係だったからな」

「怪我しなかった?」

「大きな怪我はなかった」

「小さな怪我はあったのね」

「まぁ、仕事が仕事だからな」


「しばらく居られるの?」

「ああ」

「嬉しいわ!!」

「泊まるところはあるの?」

「部屋が決まるまで宿屋住まいだな」

「そう。家を借りるの?」

「その予定だ」

「本当?!」

「拠点はここだからな」

「嬉しい!!」


 その日は楽しく話して、頬にキスを一つ落としてダミアンは帰っていった。



 三年前、まだ駆け出しのダミアン達は仕事を選べる立場になかった。

 大店が新店舗を他領作るための護衛と、あちらでの門番、その他の護衛という仕事を請け負った。

 期間は三年間。

 ダミアンはけじめは付けたいと言い、ダミアンについていけない私達は別れるしかなかった。

 付いていけるものなら付いて行きたかった。

 今でもそう思う。



***


 ミケット達は昨日からの仕事がまだ終わらないらしく、何故か?厭味ったらしく私に手伝えと言ってきたが、お断りした。

「今まで、手伝いすぎたわ。自分の仕事は自分で片付けて」

 ミケットは私を睨みつけていたけれど、他の子達は半泣きで私に取り縋った。

「私は私の悪口を言って笑う人たちの手助けをする気はないわ」


 私はその日も自分の仕事だけを片付けて、終業と同時に席を立った。



 門の前でダミアンが立っているのが見える。

 私を迎えに来てくれていた。

 その場面をミケットが見ていてちょっと気分良かった。

 私って小さい女。


「ダミアン!!今日はどうしたの?」

「部屋が決まった」

「え?本当?早かったねどこに決まったの?」

「ナタリーの向かいが空いていた」

 そう言えば先月引っ越していったのだと思い出す。でも、お向かいってかなり広い部屋じゃなかったっけ?

「嫌じゃないか?」

「嫌じゃないわ!!嬉しい!!」

「よかった」


 ダミアンと手を繋ぎ今日の食材を市場で買って帰る。

 まだ物が揃わないダミアンの部屋を見せてもらって何が必要か話し合う。


「あまり物は揃えなくていい」

「また何処かに行っちゃうの?」

「違う。短期で何処かに行くことはあると思うが、拠点はここだ」

「よかった」

 ダミアンが私の目を見つめる。


「今、誰かと付き合っているのか?」

「昨日、ふ、振られたとこ・・・」

「昨日・・・まぁ、いいか。もう一度付き合わないか?」

「私でいいの?」

「向こうに行っている間もずっとお前を思っていた」

「私、他の人と付き合ったよ」

「俺もそれほど身ぎれいだったわけじゃない」

「なんかそれはちょっとやだ・・・」

 ダミアンに笑われて、頭を撫でられる。


 身ぎれいじゃなかったって何?ダミアンのあれこれを想像すると腹立たしくなる。

「想像してちょっと嫉妬しちゃった」

「俺もだ」

「嬉しい。私ともう一度付き合って下さい」

「ああ」

 ダミアンに口づけを一つ落とされ、私はそれを受け入れた。


「今すぐでなくていいから、一緒に住むことも考えてくれ」

「だから大きい部屋を借りたの?」

「どうだろうな」

 にやりと笑って私の頬を撫で、食事の準備を始めた。



 私が仕事を手伝わなくなったため、ミレットたちの仕事が片付かない。

 上司のポールがミレット達に「噂話ばかりしていないで真面目に仕事しなさい!!」と怒っている。

「それに身の丈に合った仕事を選びなさい!!」


 ミレットは私を睨むが、私は何も悪くない。

 私は私の仕事を片付けるだけだ。

 ポールに、もう一つ仕事を受けて欲しいと頼まれて、一時間残業分をプラスすると言われて、喜んでお受けした。


「ポール、今日の仕事は片付いたので帰っていいですか?」

「もう片付いたのかい?」

「はい」

「いいよ。今提出してくれるなら」


 私はその場で提出して、帰る準備を整えた。

「もう帰るの?」

「あぁ、オリスト・・・。ええ。私の仕事は終わったの」

「そう、気をつけて帰って」

「ありがとう」


 冒険者ギルドに立ち寄りダミアンを探す。

 コンコルドの一人、サルカという名前の紅一点を見つける。

「サルカ!!」

「ナタリー!!久しぶり!!元気だった?!」

「元気よ。サルカこそ元気そうで嬉しいわ」

 ガシッと音が鳴りそうなハグをして、会えた喜びを表す。


「ダミアンとよりを戻したって?」

「ふっふっ。そうなの」

「良かったわ。ダミアンずっと貴方のことが忘れられなかったみたいだったから」

「本当?身ぎれいじゃなかったって聞いたから色々妄想しちゃって・・・」


「あはっはははっ!言うほどじゃないよ!」

「今日の仕事はまだ終わらなそう?」

「明日の仕事が決まったからその手続きをしているところだよ。それで解散になる」

「みんな一緒にご飯食べようよ」

「声かけてみるよ」


 ビート、ベーダ、レントンとも久しぶりの再会を喜ぶ。ダミアンとよりを戻したことを喜ばれ、昔よく行っていた酒場に顔を出す。


 マスターに「久しぶりだ」と声を掛けられ「お久しぶりです」三年ぶりのマスターに答えた。

 冒険者ならではの乱雑さでドカドカと腰を下ろす皆を見て、三年前に戻ったような気がした。


 皆の武勇伝を聞き、ベーダがあっちで結婚して、一緒にこっちに帰ってきたことを聞いた。

 割と近くの家に決まるかもしれないと聞き、仲良くなれると嬉しいと話す。

 次は会わせてもらう約束をして、ダミアンと手を繋いで一緒に帰る。


「ふっふっ・・・」

「どうした?」

「幸せだと思ったの」

「そうか」

「三ヶ月後、互いの気持ちが変わらなかったら結婚しない?」

「おっと、逆プロポーズか」

「いや?」

「三ヶ月後に俺の家に引っ越してくるのでいいか?」

「うん」

 触れるだけのキスをする。

 ダミアンのキスにうっとりとして、身を任せる。

 幸せだ〜〜〜。



「どういうことだ!!」

 突然の大きな声に私は飛び上がって驚いて、声がした方を向く。

「ハルト・・・」

「今、キスしていたよな!どういうことだって言ってるんだよ!!」

「何が?」


「だからなんでそいつとキスしてるんだ!!」

「付き合ってるから」

「誰だ?」

 ダミアンは私にハルトのことを聞いてくる。

「前に付き合っていた人」

「ああ。言っていたヤツか」

 

 私はハルトに向き合う。

「ハルトには関係ないわ。別れてからのことを言われても迷惑だわ」

 ダミアンは、ハルトから視線を外さずに、私の前に一歩出て問いかける。


「そいつこそ誰だって言ってるんだよ!?」

「私の付き合っている人よ」

「まだ別れて五日と経ってないだろう!!」

「別れる前に他の人と寝ていた人に、とやかく言われたくないわ」


「俺とは手を握るのさえ嫌がってただろう!!」

「そうね。嫌だったから」

「そいつならいいのか?!」

「そうね。そういうことになるわ。ごめんなさい」


「どういうことだよ!!」

「ハルトを信じきれなかっただけ」

「知り合って三日や四日でその男の事は信じられるっていうのか?」

「ダミアンは信じられるわ」

 今、私からプロポーズしたくらいだし。


 ハルトが一歩前に進み、ダミアンが一歩私を下げる。

「ハルトにはミケットが居るんだからもういいじゃない。ミケットと幸せになって。私も彼と幸せになるわ」


「ありえないだろう!!」

「何が?」

「お前は惨めに俺を思って泣いていればいいんだよ!!」

「貴方と別れたことで泣いたことはないわ。清々したとは思ったけど」


 ハルトは真っ赤な顔をして私に向かってきた。

 ダミアンを押しのけようとして、逆にダミアンに腕を後ろ手に締め上げられる。


「馬鹿な真似はよせ。お前では俺に勝てない」

「くっそっ!!はなせっ!!」

 ハルトを突き飛ばし、ダミアンはハルトに対峙する。

「自分の女の元に帰りな。互いにそうする方が幸せだ」

「おぼえてろ!!」


 ハルトはそう言って踵を返して何処かへ行った。

「ダミアンごめんなさい」

「別れた男?」

「うん」

「あいつ、ナタリーが好きだったんじゃないか?」

「だったらなんで浮気なんかするの?」


「複雑な男心?」

「複雑な男心・・・?理解できない」

「日が暮れたら一人で出歩くな」

「分かった」



 それからは平穏な日を送り、約束の三ヶ月が目の前だった。

 私の家の荷物を一つずつ運び込み、生活の基盤がダミアンの部屋へと移っていく。


 私が住んでいた部屋にはサルカが住むことに決まる。

 今まで男の人や友人の家を転々としていたけれど腰を落ち着ける気になったようだ。

「サルカが、お向かいさんで嬉しいわ!!」

「なんか気恥ずかしいよ」



 職場では結婚を機にミケットたちとは違う部署に移動することなった。

 ミケットたちと別れられたと喜んだけれど、オリストは寂しがってくれた。


 ちょうど三ヶ月目、婚姻届を出した。

 コンコルドのメンバーたちに祝ってもらって、楽しくて嬉しい時間を過ごす。

 日が暮れる頃に解散して、私達は二人の部屋へ戻った。

 


「気をつけて行ってきてね」

「ああ。ナタリーも気をつけてな」

「うん」

 軽い口づけをしてダミアンを送り出し、私の準備を始める。

 鍵をしっかり掛けて職場に向かう。


 今の職場は出来高制で、やればやっただけ自分にきちんと帰ってくるのが嬉しかった。

 仕事が終わればいつ帰ってもいいし、いつ出勤してもいい。最低限のノルマさえ熟せば基本給が保証され、それ以上に頑張れば給料に還元される。



 昼からは急ぎの仕事を頼まれ、それが終わったら帰ることに決める。

 昼休憩が終わり、席に戻るとミケットが私の目の前に立った。

「結婚したって本当なの?」

「そうだけど」

 私を睨みつけてミケットは足音も荒く出ていった。


 夕食の準備が後少しで整う頃にダミアンが帰ってくる。

「おかえりなさい」

「ただいま。今日はいい日だったか?」

「変わりのない、いい日だったわ。ミケットが私の前に立ち塞がったけど」

「なんだそれ?」


 昼間あったことをそのまま話すとダミアンは「気をつけろ」と言った。

「ダミアンはいい一日だった?」

「熊とイノシシを仕留めた」

「すごい!怪我はなかった?」

「ああ、誰も怪我しなかった」



 贅沢しなければ、私の給料だけで暮らしていける。ダミアンが稼いだお金はダミアンと私の連名でギルドに預けて貯金している。

 子供が早く欲しい。と二人の意見は一致しているし、冒険者はいつ何があるかわからないから。

 本当に幸せだとダミアンに伝えた。

 


 今はもうサルカの部屋の扉が叩かれている。

 サルカはまだ帰っていないようで誰も応対しない。ダミアンと顔を見合わせ、ダミアンが戸を開く。

 サルカの部屋の戸を叩いていた人が振り返ると、ハルトだった。


「そこはサルカっていう奴の部屋だぞ」

「結婚したって本当だったのか」

「おまえには関係ないだろう?」

「くそっ!」

 ハルトはダミアンの背後に居る私には気が付かなかったのか、走り去っていった。



 翌日の仕事が終わる時刻、職場の門のところでハルトが立っていた。

 私には関係ないと思って足早に立ち去ろうとしたら、ハルトが私の腕を掴んで、話しかけてきた。

「たった三ヶ月で結婚か?」

「そうだけど・・・だから何?」

「俺にはキスもさせなかったじゃないか!」

「私に見る目があったってことだよね?」


 ハルトは訝しげな顔をする。

「浮気するような人に、何も許さなくて良かったと思っているわ」

「俺は本当におまえが好きだったんだっ!!」

「メイドとして雇ってもいいと思うくらいですものね」

「ちがう!!」

「ハルトがそう言ったんじゃない」


「ちょっと嫉妬させて俺に泣いてすがらせようと・・・」

「あれで、貴方にあった恋心も砕けて無くなったわ」

「やり方はまずかったと思う。けど本当にナタリーのことが」

「もう、今更だと思うわ。私、結婚したし」

「くそっ!!」



 走り去るハルトの後ろ姿を何だったんだろう?と見送っていると、背後から人の気配がして振り向くとミケットが立っていた。


「あんたが全部悪いのよ!!」

「私が何をしたっていうの?」

「ハルトは私のものよ!!」

「私には関係ないことだわ。私、他の人と結婚したのよ」

「でもハルトは未だにあんたのことを!!」


 そう言ってナイフを私に向けて振り下ろした。


「ミケット!止めてっ!!」

 ミケットに力がなかったのと、冬で分厚いコートを着ていたことでコートの袖は切れたけれど、私は怪我はしなかった。


 それに腹を立てたミケットはまたナイフを振り上げ、私に向けて振り下ろす。

 ミケットと必死で距離を取る。

「誰かっ!誰か助けてっ!!」 

 人を呼ぼうと声の限り叫ぶ。

 

 建物から何人もの人が出てきて、叫んでいる。

 何人かが刺股(さすまた)を手にミケットに近づき、ミケットを私から追いやる。

 逃げている間に斬られた掌から血が流れているけれど、興奮しているからか、痛みを感じない。

 

 刺股で地面に縫い留められたミケットはまだナイフを振り回し叫んでいた。


 兵士が呼ばれ、私の怪我の手当をしてくれる。

 傷自体は大したこと無く、縫うほどでもないと言われた。

 事情を聞かれていると、帰りが遅い私を心配してダミアンが迎えに来てくれた。


「ナタリー!!」

「ダミアン!!」

「どうしたんだ?!」

 兵士に主人だと説明して私の側に来てもらう。


「怪我をしたのか?」

「掌をちょっと切っただけだから心配要らないわ」

 私の掌の包帯を見てダミアンは辛そうにする。


 何度も違う人に同じ説明をして、帰っていいと言われたのはミケットが捕まってから三時間が経っていた。

 

 疲れ果てた私はダミアンに抱きかかえられるようにして家に帰り、家に帰ると気を失うように眠った。

 翌日は仕事を休み、家でのんびりとした。

 時々ミケットが襲ってくるような気がして恐怖を感じたけれど、大丈夫と自分に言い聞かせた。


 取り調べで、ミケットはハルトのことが好きだったのにハルトは私のことが好きで、ミケットを軽く扱って、最後には話しかけるなと言われるようになっていたらしい。

 その恨みが全て私に向いたということだった。



 眠ると魘されることが何日も続き、それが和らいだ頃、ミケットの処罰が言い渡された。

 この領地からの追放だった。

 罰が重いのか軽いのか私には判断できなかったけれど、居なくなってくれるのなら、それが一番嬉しかった。


 ダミアンが言うには、領地外の修道院前まで連れて行かれ、そこからは放り出されるだけになるらしい。

 修道院の戸を叩けば修道院で匿ってもらえるが、戸を叩かない場合は何も持たないミケットは苦しい毎日が待っていることになるだろう。


 街の中には入れないようになっているから心配はいらないということだった。


 扉がノックされダミアンが扉に向かう。

 そこにはハルトが立っていて「ミケットのことは俺も悪かった」と言った。

「ナタリーに謝らせてくれ」

「必要ない。もう関わらないでくれ」

「ナタリー!!本当に済まなかった」


「悪いと思っているのなら、私にもう関わらないで」

「本当にすまなかった・・・」

 そう言ってハルトは帰っていった。

 また怖いことが起こるのかと息を詰めていた私は拍子抜けして、息を吐き出す。

 ダミアンが抱きしめてくれて「これで終わりだ」と何度も言い聞かせてくれた。



 一年ほどの時が経った頃、ハルトが町の外で刺されて死んだとダミアンが言った。

「どうして?」

 ハルトを刺したのは、様変わりしていて最初は解らなかったがミケットで、ハルトを刺している所に通り掛かりの冒険者がミケットを取り押さえたそうだ。


 別の冒険者が兵士を呼びに行っている間にコンコルドのメンバーが仕事上がりで通り掛かり、刺されたのがハルトで、刺したのがミケットだと思うとダミアンが伝えた。後は兵士に任せて帰ってきたということだった。


「ミケットがこの町中にいるっていうこと?」

「町中といっても牢屋の中だ」

「ミケットがハルトを殺したら、次は私なんじゃ?」

「もう捕まっている」

「町には入れないって言ってたけど、今は町にいるわ」

「・・・そうだな」


 私は生まれたばかりの可愛いレベッタを抱きしめ、ダミアンの腕の中で恐怖に震えた。



「今日、兵士と少し話してきたんだが、ミケットは人を殺しているから、絞首刑になるらしい」

「そう・・・何時?」

「それはまだ決まっていない。兵士に前に襲われたことがあると、こちらの事情も話しておいた」

「ありがとう」

「昼間はベーダの奥さんが遊びにおいでと声を掛けてくれている」

「ありがとう」


「ナタリーは母親だろ?レベッタをしっかり守ってくれよ」

「そう、そうね。頑張るわ」

「レベッタを守って、自分も守るんだぞ」

「分かった。頑張る」



 

 町の雰囲気がいつもと違う。

 警笛が鳴り響き、いくつもの乱れた足音が聞こえる。

 家の中に入るように警告する声も聞こえる。

 私は嫌な予感がして、大家さんにレベッタを預かってもらう。


 部屋に戻って扉を締めた途端、向かいの部屋が荒々しく叩かれる。

 のぞき穴から見えたのは粗末な格好の女がドンドンと扉を叩いてる姿だった。

 まさかミケット?

 叩いても誰も出てこないことに苛立ったのか、扉を蹴り始める。


 ミケットは私がここに住んでいることは知らないはず。

 この部屋にいれば安全。大丈夫。大丈夫。

 ミケットが隣の家の戸を叩き、エミリアさんが出てくる。

「さっきから五月蝿いよ!何なんだい!!」

 サルカが住んでいる部屋を指さして「ここに住んでた女はどこに居るんだ!!」とミケットが叫ぶ。

 私の部屋を指さして「向かいに越したよ」と言って扉を締めた。


 私が覗いている扉の前に来て、ニタリと笑いドンドンと扉をたたき始めた。

 私は鍵だけでは心配で、扉のノブに椅子をかまして、動かせる家具をバリケードのように動かした。

「出てこい!!殺してやるから出てこい!!」

 窓から兵士が見え兵士に叫ぶ。

「兵士さん!!助けて!!ミケットはここに来ています!!」

 その声に気が付いた兵士は私を見つけ、階数を数え、入口を探す。

 警笛が二度短く鳴らされ、次は長く鳴らされた。それが何度か繰り返され、誰かが階段を駆け上がってくる足音が聞こえる。


 隣の家の扉が叩かれ、争う声が聞こえて静かになったら窓の外にミケットの姿があった。

 ひさしの上に立ち、手には血塗られた包丁を持っている。危なげなく私の部屋の窓に向かってくる。

 慌てて窓を締めて扉に振り返るが、自分で築いたバリケードに遮られ部屋の外に逃げられない。

 兵士の扉を叩く音が聞こえる。

「隣の窓の外に居ます!!」

 私はバリケードを一つ一つ崩し、最後の椅子をどけたところで窓ガラスが割れる音が聞こえた。


 ミケットは自分の体が傷つくことを恐れずあちこちをガラスで切りながら私の部屋に降り立った。

「フッフッ。み〜つけた」

 後ろ手に部屋の鍵を開け、ノブを握る。

 ミケットが包丁を振りかざし私に襲いかかる。

 私の目の前を包丁が通り過ぎ、ドアに突き立つ。


「あら、失敗」

「なんで私を殺したいの?」

「ハルトは私のものよ」

「ハルトを殺したのはミケットでしょう?」

「あんたが幸せだと思うと腹が立つの」


 窓の外に兵士の姿が見える。

 ドアに突き刺さった包丁が抜けないのか、ミケットが両手で包丁の柄を握る。

 力いっぱいミケットを押しのけ、たたらを踏んでいる間に扉を開く。

 部屋の外に走り出し、ミケットが私を追いかけてきて押し倒される。

 馬乗りにされ、殴られそうになり、顔を庇う。

 兵士が私の部屋から出てきてミケットの腕を掴み、私の上から引きずり下ろす。

 私の部屋を教えたエミリアさんが扉を開け、私を中に入れてくれる。

「大丈夫かい?」

 部屋の外では争う音が聞こえる。

「た、多分・・・」

 エミリアさんは私の体に怪我はないか何度も見てくれて「赤ん坊はどうしたんだい?」と聞いてくる。

「預けています」

「そうかい。よかった。ごめんよ。私が部屋を教えたばっかりに」

「いえ・・・」


 何人もの人が階段を駆け上がる音がして、暫くすると「取り押さえた」と言う声が聞こえた。


 私はその場に座り込み、安心した。

 エミリアさんの部屋の扉が叩かれ「大丈夫ですか?」と男の人の声が聞こえる。

 エミリアさんが扉を開けると、兵士が二人中に入ってきた。


「大丈夫ですか?お名前を伺っても?」

 エミリアさんが私の代わりに答え、やり取りをしてくれる。

「レベッタを迎えに行かなくちゃ・・・」

「レベッタとは?」

 その質問にもエミリアさんが答えてくれて、皆でどこに預けたのか聞かれた。


 兵士に支えられ大家さんの家に向かう。

 エミリアさんも大家さんの所に付いてきてくれる。

 大家さんが顔を出し、レベッタを抱きしめて初めて無事を意識した。

「よかった。レベッタが無事で本当に良かった」



 ミケットが押し入った部屋のカルバさんは腕と掌を切られただけで命に別状はなかった。

 兵士に取り押さえられ、それでもまだ私に恨み言を言っていたミケットは翌日絞首刑に処された。 

 

 領主から見舞金として窓ガラスを直して、一度外食ができる程度の金額が支払われた。


 ダミアンは私とレベッカの無事を喜んで「よく頑張ったな」と褒めてくれた。


 時折ミケットがニタリと笑う夢を見て飛び起きる以外は何も問題はない。


 ミケットが死んだ以上私を害する者はいないはずだから。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 愛って難しいですよね・・・(´・ω・)
[一言] いやこわいわ!? どうやって脱獄したのかとか色々と腑に落ちない点もあるけど、 …ミケットならやりそう、みたいな不安感?信頼感?(←)が… 預けてた子供は無事、でものすっごくほっとしました…
[良い点] 主題がホラーでは!?
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