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ひとり映画とラーメンの女。  作者: ようへい
9/12

日常9「わたし、涙腺が緩くなってしまい」

 わたし、探して、探して、探しました。あなたのこと。


 いろいろな映画館を覗いてみました。普段は行かないラーメン店にも入りました。

 醤油も豚骨もおいしいんだなっ……て、そうじゃなくて。会いたかったんですよ、もう一度あなたに。

 今更なんだよって、思われるかもしれません。なんなら世界中に突っ込まれるかもしれません。


 それでもわたし、世界に一人でいることが寂しくなってしまい。そんなふうに思うだなんて、自分でもびっくりなんですよ。

 だから、もう一度会えませんか。話せませんか。今なら冷静に話を聞くこともできますし、再会のあかつきには、もう一度あのエスプレッソを飲みなおせたらと。


 ――そしてまた、映画を観れるその日まで。あなたが健やかでありますように。



****



 20XX年2月18日。銀座の老舗喫茶にて。


 天気、曇りのち晴れ。体調、微熱あり。


「棚橋さんから伝言をお預かりしています」

「はぇっ!!?」


 レトロクラシックな純喫茶の店内に、わたしの発する驚嘆の声が響いた。


「……お静かに願いますよ」

「あっ、す、すみませぬ」


 店内のお客さんたちから(いぶか)しげな視線が集まり、エレガントな老店主が「やれやれ」と肩をすくめる。

 わたしは視線を送る人々に向き直り、ペコリと頭を下げた。それから、老店主が差し出したメモを手に取る。


「棚橋……竜馬……」


 季節はいつの間にかどっぷり冬。むしろ暦の上ではすでに春。

 昨年の末から、わたしは棚橋さんを探し続けていた。


 背高のっぽな紺色スーツ姿の男性は見かけるものの、黒縁眼鏡をかけていなかったり、かけていてもやや若くて(おしい!)となったり、そのような探索の日々を過ごしており。

 たまに背丈も服装も年代もフルコンプした人に遭遇して興奮するも、それは棚橋さんではなく、そもそもフルコンプとかそういう問題じゃない、と自分で自分に突っ込んでみたり。


 交換した連絡先にメッセージも送った。しかし既読つかず。

 ちなみにブロックされているかまでは確認しておらず。そういうわけで棚橋さんと最後に話したこの喫茶店を頼り、わたしが探していることを伝えてもらえないかとお願いしていた。


 そうして渡されたメモには、わざわざ「棚橋竜馬」とサインされている。


「あの。棚橋さんの名前があるってことは、これ、あの人が書いたってことですよね」

「ええ。寧々さんが探していることをお伝えしたら、紙とペンを貸してほしいと仰られまして」


 尋ね人、見つかる。わたしはウルウルした目で店主にお礼を述べた。


「ははは。私は喫茶店主であって、メッセンジャーではないのですがね」


 店主は白いちょび髭を触り、朗らかに笑いながら言った。

 それから、重ね重ね感謝を伝えるわたしに「いいからさっさとメモを確認しなさい」、とでも言いたげな顔で奥へと引っ込んでいった。


 メモにはごく短い文章が綴られていた。


「三月上旬から『ひとり映画とラーメンの女。』という作品が上映されます。もしよろしければ、また一緒に映画を観てくださいませんか」


 時間や劇場の指定はなかった。

 わざとなのか抜け落ちたのか知らないけれど、肝心なところが足りないあたりがあの人らしい、とわたしは思った。




 20XX年3月7日。日比谷ゴジラスクエアにて。


 こんこんと雪が降り続けている。原因不明の微熱は下がらない。


 わたしは白いマフラーに白いダッフルコート、さらには白のイヤーマフで身を固め、真っ白な雪景色に擬態しながら上映時間を待っている。

 コートの内側にはホッカイロも忍ばせており、防寒対策に余念がない。


 大雪注意報が出ており、人通りはほとんどなかった。

 きょろきょろ辺りを確認していると、人影らしきものが近付いてくる。もしかしたら、と思い立ち上がるわたし。


 けれどそれは思いもよらぬ人……ではなく、着ぐるみであった。


「ごじゃる丸……」


 まさかのマスコットキャラクター。どうして劇場ではなく外にいるのだろう。しかもこんな大雪の中、着ぐるみとはいえ靴も履かずに。


 突然の野良ごじゃる丸にわたしが押し黙っていると、その着ぐるみはズカズカとわたしの目の前までやってきた。

 突然のことに驚いてしまい、わたしは無言のまま、ただその顔を見つめる。


 ごじゃる丸は、唐突に喋った。


「知っていますか」


 知っていますか、とな? ……何を。

 えっ、ていうか日本語を話していいのですか。「ごじゃ~」って言わなくていいのですか。


「この現実世界はあなたが主演の物語ということ」


 それは若い女性の声だった。

 中の人、女の子なんだ……と考えてから、事態の意味不明さに頭がチンプンカンプンになる。このマスコットキャラクターはここで何をしていて、わたしに何の話をしているんだろう。


 何も言えずにいると、ごじゃる丸はおもむろに踵を返し、雪の中へと消えてしまった。

 言葉を失い、立ち尽くすわたし。

 

 すると、ごじゃる丸と入れ替わるように男の人が歩み寄ってきた。

 紺色のスーツに濃いグレーのコートを羽織った、黒縁眼鏡の背高のっぽ……。

 その姿を見たわたしの気持ちは昂り、ごじゃる丸の怪奇な行動も忘れていた。


「すみません。もしかして、お待たせしてしまいましたか」

「棚橋さん……」


 ようやく姿をあらわした棚橋さんは、どこかばつの悪そうな顔をしている。

 ずっと探していた人との再会に興奮する一方で、わたしは深い安堵のため息をもらしていた。

 それは無くしたものをようやく見つけ出せた、という安心感に他ならない。


「いいえ、来たばかりです。そもそも待ち合わせじゃありませんし」


 わたしがそう言うと、棚橋さんは申し訳なさそうに笑った。


「悩んだんです。今日から公開予定だった映画、上映開始日が伸びてしまったので」


 それはメモにあった「ひとり映画とラーメンの女。」のことだった。本来ならば今日この後、この傍の劇場で公開される予定だった作品。

 棚橋さんの手紙を読んだわたしは、今日この日、この場所で再会できると信じていた。たとえその映画が公開延期になったとしても。


「とりあえず、今日のところは別の映画を観ましょう」


 棚橋さんが提案して、わたしはコクリと頷いた。




 わたしたちはよくわからない映画をよくわからないテンションで観た。

 それはわたしにとって、999回目の映画になった。


 それから、作品の感想も言い合わずに銀座へと向かう。

 人通りの少ない街はとてつもなく静かで、雪を踏みしめる音がよく聞こえる。そのザクザクという音を聞きながら、わたしたちは会話もせずに歩みを進めた。


 やがてたどり着いた老舗喫茶の回転ドアを回し、店内へと入る。

 エレガントな店主がこちらを見てニコリと優雅に微笑んだ。「いらっしゃいませ」という言葉に会釈で返し、席に着いたわたしたちはそれぞれエスプレッソを注文した。


 何から話せばいいかわからない。

 とにかく何か話しかけねばと逡巡していると、棚橋さんが先に口を開いた。


「先日は失礼な話をしてしまいました。申し訳ありません」


 失恋した女性に似ている、と言われたあの日のこと。

 カッとなりこの店を飛び出してから、もう半年以上も経過している。


「あれはわたしも悪かったので。最後まで話を聞かずに一方的に怒ってしまい」

「……いえ。僕のほうこそ、寧々さんとの距離を一方的に詰めようとしてしまい」


 距離を一方的に詰めようとした。その言葉になんだか胸がチクりとした。


「冬子さん、でしたっけ……。やっぱり、その方に似ていたから、なのですか?」

「正直に話せば、それがまったく無かったとは言い切れません。でもそれは見かけた当初の話であり、その後はただ関根さんとの日常が楽しくなり……。一緒に行動していたことに、冬子は関係なくなっていました」


 人間というのは我がままだな、と改めて思う。

 常にアイデンティティを求めていて、誰かの代わりでは満足できない。その「代わりの誰か」が家族であれ、友人であれ、恋人であれ、変わらない。

 あくまで「自分」という存在を承認されたい。


 それって贅沢なことなのでは、と思うことがたまにある。


「冬子さんにもう一度会うことはできないのですか」


 それはわたしの素朴な疑問だった。


 わたしが冬子さんの代わりだろうと、そうでなかろうと、忘れられないなら本人に会えばいい。

 男の人は過去の恋愛をリセットできないことが多いと聞く。だったらなおさらもう一度会って、しっかりリセットするべきではないでしょうか。

 ……もっとも、会いにいったらストーカー扱いされてしまうような関係性なら、話は別ですが。


「冬子はもう亡くなっているんです」


 棚橋さんは心の底から寂しそうに、けれど軽く微笑みながらそう言った。


 ……そういう重い話でしたか。


 あの日、この店を飛び出す前にそれを知っていれば、わたしの受け止め方も少しは変わっていただろうか。

 わたしは「映画を千回観たら現実にサヨナラ」のことを思い起こした。そもそも棚橋さんを探しはじめたのは、棚橋さんが映画を千回観て一人で死んでしまったら、という恐怖からだった。


「そういえば棚橋さん、今日で何回目の映画になりましたか?」

「999回目です」


 わたしと同じ。

 それはこれまでのペースを考えると明らかに少ない。おそらくは棚橋さんも映画を観るのをひかえていた。


「奇遇ですね。わたしも999回目です」


 棚橋さんは微笑んだ。そして、落ち着きはらった声でこう言った。


「次で、現実世界とサヨナラですね」


 心臓がドクリと脈打つ。その言葉を聞いたわたしは困惑している。


「そう……です、ね……」


 ようやく棚橋さんと再会できた。おかげで、これからも映画とラーメンを楽しめる。

 わたしはどこかで、そんなふうに考えていた。


 ……でも、次で終わり。


 それはわたしが望んで、わたしが決めたルール。いつだって一人のこの世界。映画も、ラーメンも、何もかも。

 わたしはそんな世界を嫌いになった。でもこれはゲームの世界だから、リセットしてやり直そう。ずっとそう考えて生きてきた。そしてそれは、わたしの救いになった。


 ……それなのに、何故。


 必死に過去を思い起こして本来の自分を探す。けれどまったく見つからずにわたしは混乱する。

 ふと顔を上げると、穏やかに笑う棚橋さんが視界に入った。

 

 ……そうか、異変はこの人のせいか。


「あの。わたしたち、映画を千回観ても、生きてみませんか」


 あれ、何を言っているんだろう、わたし。それは思いがけずに出た言葉だった。

 それを聞いた棚橋さんは、目をぱちくりとさせた。そして、はっきりとこう言った。


「……それは、できません」


 その言葉には強い意志が込められていた。


 映画を千回観たら、現実世界とサヨナラ、つまり死ぬ。

 その考えに異変が起きていたのは、ルールの発案者であるわたしだけ。……わたしだけだった。


「そう、ですよね……」


 絞り出すように言った。


「わたしが発案したことなのに、やめようなんて。馬鹿みたいですよね」


 知らないうちに目から涙があふれ出し、ポタポタとテーブルに零れ落ちていた。


「え、あれ……? わたし、あれどうしよ、ごめんなさい」


 わたしはその涙を、どうしても止めることができなかった。

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