日常6「わたしの世界に、侵入者が現れまして」
わたし、人生まだまだチュートリアルだと思ってて。
世界の基本システムを学ぶ段階にあって、本番はまだ先って考えていたんです。それなのに何故か人生ハードモードになっていて。
おそらく選択肢を間違えたんです。属性をどうする、とか。仲間を誰にする、とか。そういう重要な選択肢って、序盤にありがちじゃないですか。
思い返せば、何よりチュートリアルにこそ真剣に向き合うべきだったんだな~って。
でも、そういうのって、後からでも取り戻せるものなんですね。手からこぼれ落ちたものが、唯一かけがえのないものでも、また拾うことができる。
――あなたに出会って、そう思えるようになったんです。……それなのに。
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20XX年8月12日。八ヶ岳自然文化園にて。
天気良好、空には満天の星。体調良好、空気がおいしい。
時刻はまもなく20時。
星空のもと、わたしは五億年ぶりの自然を味わっている(体感)。
「棚橋さん、歩くの遅すぎませんか?」
「さすがに疲れてしまい……。三時間もの運転は初体験でして」
「お疲れさまです。でも、急がないと上映時間に間に合いません」
この日、わたしたちは野外シネマイベントに参加していた。
それも、大自然に囲まれた場所で映画を鑑賞するという、リアルが充実している人向けのイベントである。
そんなイベントに誰かと一緒に参加する。現実世界で純潔のタマシイを守り抜いてきた私にとって、それはセンセーショナルな出来事といえた。
交通手段はレンタカー。運転したのは棚橋さん。
ゴールド免許のペーパードライバーらしく、それはそれは神経を張り詰めて運転したらしく。
「あっ! 棚橋さん、キッチンカーがあります!」
「本当ですね。しかし、食べものを買うような時間はないのでは」
「それとこれとは別です! ほら走りますよ! 食料確保~!」
台湾屋台料理と書かれたのぼりを目指すわたし。
ひぃこら言いながらその後をついてくる棚橋さん。
「ルーローハンに牡蠣のオムレツ、唐揚げもあります!」
「はぁ、はぁ……。おいしそうですね。どれにしますか?」
「すべて購入しましょう! そしてシェアしましょう!」
自分で言っておきながら、「シェア」というフレーズに驚きを隠せない。
この世に一人きりだったはずのわたしが、ご飯をシェアする。いったいこの世界に何があったのか。田舎育ちの勇者が異次元を支配する魔王でも討伐したのか。
「えっと。るぉーはん、おーじぇん、だじーぶぁい……ください」
「棚橋さん。伝わってません。慣れない料理名だからって噛みすぎです」
そう言ってわたしが注文をしなおし……棚橋さんよりも盛大に噛んだ。
三度目の注文でどうにか食料を確保したわたしたちは、標高1300mにあるという野外スクリーンへと急ぐ。
「そういえば、今日は紺のスーツじゃないんですね」
「さすがにこんな場所にまでスーツを着てきません」
「そうですよね。私服、持ってたんだなぁって思って」
「あ、当たり前じゃないですか……!」
棚橋さんはムスッとしながらそう言って、ふいにわたしを二度見すると、黒縁眼鏡を持ち上げた。
「……そのシュシュ、可愛いですね。はじめて見ました」
「むむっ、仕返しですか。わたしだって持ってるんですよ、こういうの!」
棚橋さんがプッと吹き出した。ムッとするわたし。何が可笑しいのか。
「ああ、いえ。仕返しとかじゃなくて、よく似合ってるなぁと思いまして」
「…………」
咄嗟に言葉を返せなかった。
恥ずかしいような、腹立たしいような、でも嬉しいような……。胸のあたりがムズムズする。
「あっ、ごじゃる丸がいる」
棚橋さんの視線の先をチェックすると、忍者姿のレッサーパンダがいた。2.5頭身の着ぐるみは「ごじゃごじゃ~」と愛想をふりまいている。
「……ほんとだ。ごじゃる丸がいる」
「あれって、劇場のマスコットキャラクターじゃなかったんですか」
「……まあ、神出鬼没ですからね」
適当な会話をしているうちに、野外スクリーンにたどり着いた。
想像以上に人が多かったけれど、どうにかスペースを確保することができた。二人ぶんのレジャーシートを敷いて、ようやく座ったと同時に上映がはじまる。
「なんとか間に合いましたね」
「まあ、遅れても観たことある映画なので、問題ないですけど」
上映される映画は有名な作品で、既に二回は観たことがあった。
すると棚橋さんがそういえば、という顔をした。
「あの、同じ映画を複数回観た場合って、カウントされるのですか」
それは「映画を千回観たら現実にサヨナラ」に関する質問だった。
「はい、わたしはカウントしています」
「……そうですか。では、これも貴重な一回ということになりますね」
そういえば何となく忘れていたけど、わたしたちは映画を千回観たら死ぬ、そういう仲間なんだった。
「関根さんはこれで何回目の映画ですか?」
「わたしはこれで948回です。棚橋さんは?」
「同じ映画もカウントするなら、僕は950回です。少しズレてしまいましたね」
わたしより多く映画を観ている事実になんだかモヤッとした。
「わたしの知らない場所でも映画、観てるんだ……」
そう思ってからすぐに、
(はっ……! 声に出てた)
と気付いて顔が赤くなった。
はじめて野外で鑑賞する映画は気持ちよかったけれど、いったん映画の世界に入り込めば、星空のことなんて忘れていた。これが映画の力。現実を忘れさせてくれる、夢の世界。わたしにとっての現実世界。
上映が終わり、ぞろぞろと解散する人混みに紛れ、わたしと棚橋さんは駐車場に向かった。
ほとんどの人が宿泊するであろう中、わたしたちはこれから東京に帰る。
お泊まり旅行をするような関係じゃないし、棚橋さんは棚橋さんで明日から仕事らしい。これから運転する上、帰宅するのは午前二時を過ぎるだろうから、大変だと思う。
ふと、感謝の気持ちが芽生えた。わたしはこの人のおかげで、今までにない経験ができた。
けれど……
「わたし、映画を観たら、もう野外とか星空とか関係なかったです」
そう言って、棚橋さんの顔を覗き見る。
「だからダメなんでしょうか。こんな素敵なシチュエーションも楽しめず、自分の世界に引きこもってしまうから」
「それの何がいけないのですか」
すぐに返答がきたので、少し驚いた。
「自分の世界を大切にして、いったい何がいけないのですか」
棚橋さんは笑っていた。優しいような、温かいような、でも少し頼りない、そういう笑顔。
ふと夜空を見上げると、星々が静かに瞬いていた。この世界に存在しているのはわたしと棚橋さんの二人だけのような。そんな気がした。
いえ、決してロマンチックな意味合いではなく。この世界にいるようでいない、そういう存在がわたしたちだけ、とそういう意味で。
そんなふうに自分で自分に言い訳をして、わたしはハッとあることに気が付いた。
……このおじさんは、わたしの世界の侵入者なんだ。
ふと、脳内に「侵入者を排除しますか?」という選択肢が出現した。
わたしは少し躊躇してから、「いいえ」を選択した。