表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ひとり映画とラーメンの女。  作者: ようへい
2/12

日常2「わたし、映画を千回観たら死のうかと」

 実はわたし、「関根寧々」という名前のせいで孤立しまして。


 だって「せきねねね」って。何回言っても噛みそうな名前でしょう。名付け親、配慮はどうした。

 そのせいで軽くイジメられまして。それからわたし、学校では息を殺して過ごすようになりました。空気に擬態するんです。「このクラスにわたしはいません」って。

 その涙ぐましい努力が功を奏しまして、わたし、「いるようでいない人間」へと進化したのです。

 退化ではなく進化です。なりすましの生存戦略です。我ながら、なかなかどうして秀逸です。


 ――そうして、いるようでいなくなったわたしの前に、いるようでいないような、あなたが現れました。



****



 前回に続いて20XX年6月30日、日比谷ゴジラスクエアでのこと。


「こここ、これ。おとししし、ました」


 おじさんに指輪を差し出すわたし。セリフは噛みに噛みぬいた。他人様に話しかけるのは五億年ぶり(体感)なので。

 振り返ったおじさんはわたしの顔を見るやいなや、「えッ……」と声に出した。今回は表情だけではなく、声に出ていた。その声はわたしの予想に反して渋めの声だった。


「すみません、ありがとうございます」


 おじさんは丁寧に礼を述べた。大人の余裕を感じさせる態度。

 ……なんだろう、ちょっと意外。いや、少しは緊張しているように見えるけど、なんていうか、もっと甲高い声で噛み噛みになるとばかり。それこそわたしみたいに。

 指輪を受け取ったおじさんはペコリと一礼した。それから口角をほんの少しだけ上げて、微笑みかけるようにわたしを見た。


「…………」

「…………」


 ()。膠着状態。フリーズ。


 さあ~どうなる、どうなる。わたしとおじさん、どちらから動く。

 いや、落としものは返したし、わたしが立ち去ればいい。だがしかし、ナゾの緊張感のせいで体がうまく動かない。首を動かすだけで「ギギギ……」という音がしそう。まるでゼンマイの切れたオモチャのような。

 じわじわと冷や汗らしきものが滲む。これはいかん、と無理やり体を動かそうとすると、おじさんが渋い声を発した。


「……この後、『ストーリー・オブ・ヤンググラス』を観ますよね」


 その発言により膠着が解かれると、わたしの体も自由を取り戻した。


「ぷはぁ。……え、はい。おじさんもですか?」


 体が動いたので思わず「ぷはぁ」とか言ってしまった。しかも馴れ馴れしく「おじさん」と呼んでしまった。

 それを聞いたおじさんは、プッと笑ってこう言った。


「よく会いますよね。あの、僕、『棚橋(たなはし)』といいます。もしよろしければお名前を伺っても?」


「せきねねねね……」


 一つ多いよ、「ね」が。

 わたしがわたしの名前を噛むのは、これで165回目くらい。わたしの18年の人生の、通算での話。


 それからおじさんとわたし、もとい、棚橋さんとわたしは、一緒に映画を観ることになった。

 ここで座席の話。以前に最後尾の左端にておじさん、もとい、棚橋さんに遭遇したので、今回は最後尾の右端を指定していた。そうしたら、棚橋さんも同じことをしていた。

 まるで示し合わせたかのように隣の席。もしかしてだけど、棚橋さんって、わたしのストーカー? ……いや、違う。きっとこの人は思考回路がわたしと同じなんだ。

 ともあれ、わたしは生まれてはじめて「誰かと一緒に映画を観る」という所業をなしてしまった。もっとも、これを「一緒に観る」と言っていいのか審議は必要かもしれない。

 それよりも驚いたこと。映画のあとに「ラーメンも一緒に食べよう」という話になった。言い出しっぺは棚橋さん。

 思っていたのと違う。このおじさんは孤独を重んじる人ではないのか。わたしはわたしで何故断らなかったのか。

 モヤモヤとそんなことを考えながら、仕方なく塩ラーメンを注文した。


「思うに、この塩ダレにはモンゴル岩塩が使われています」

「えっ、思うもなにも、そうですよ」


 ラーメンのスープをすすりながら蘊蓄(うんちく)話を試みる棚橋さんに、わたしは反射的に突っ込んでしまう。何故ならば、ここの塩ラーメンにモンゴル岩塩が使われているのは有名なことなのだ。

 すると棚橋さんは面食らった顔をして、「ングッ」と喉につかえるように麺を飲み込んだ。それから水を一口飲んで、体勢を立て直すかのように、咳払いを一つする。そしてまた、口を開いた。


「……あの、映画、お好きですよね」


 そう問いかけられ、わたしは麺を持ち上げる箸を止めた。

 なんだか自分のフィールドに踏み込まれている気がする。「ひとり世界」を重んじるわたしの胸中に、じわじわと反抗心が芽生えはじめる。


「はい。映画もラーメンも一人で(・・・)楽しむのが好きです」


 棚橋さんは「うっ」という感じでのけぞった。一緒にラーメンを食べようと誘った人にそんなことを言われれば、いい気はしないと思う。


「……そうなんですね。僕はできることなら、誰かと一緒に楽しみたい」


 そう言うと棚橋さんはまた麺をすすりだした。

 一方で、わたしは箸を動かせずにいた。どうやらわたしは心底がっかりしている。この人はやっぱり、同類なんかじゃないんだ。


「……わたしには理解できません。だって映画って異世界じゃないですか。現実より優しかったり、厳しかったり、甘かったり、酸っぱかったり。そういう非現実的な世界にひと時のあいだ心を寄せる。それが映画というものじゃないですか。とすれば、一緒に観る人なんて必要ですか? 現実世界の人間なんて必要ですか? わたしは必要ないと思います」


 気付けば早口でまくし立てていた。どうしてだろう、わたしは今とてつもなくイライラしている。

 このおじさんは何も悪くないし、他人の価値観なんてどうだっていい。それなのに、わたしの中の「孤独」が悲鳴をあげているかのような。

 ……やっぱり誘いなんて断ればよかった。映画もラーメンも一人がいいって知っていたのに。

 すると棚橋さんは、そんなわたしの顔を覗き込むようにして口を開いた。


「でも現実があるからこそ、非現実を楽しめるという見方も……」

「それは現実を楽しんでいる人の言葉です」


 水の入ったコップを強く置いてしまい、「タンッ!」という音が店内に響いた。注目を浴びてしまい、恥ずかしくて顔を俯ける。何をここまで熱くなっているんだろう。


「……現実、楽しくないんですか」


 顔を上げると棚橋さんがわたしを見ていた。その目はどこか憂いを湛えているようだった。


「楽しくないというか、嫌いなんです。映画を千回観たら、サヨナラしようと思っています」

「サヨナラ、ですか……?」

「わたし、映画を千回観たら死のうかと」


 感情に任せて言ってしまった。けれどそれは、紛れもないわたしの本音。わたしは現実に居たくない、映画の世界に行きたい。ずっとそう思っている。

 目を丸くしていた棚橋さんは、みるみるうちに表情が柔らかくなり、そしてこう言った。


「それ、いいですね」

「はぇ……」


 反応が思いがけないものだったので、わたしは間抜けな声を出してしまった。


「それ、乗らせてもらえませんか。僕も映画を千回観たら、現実とサヨナラします」

「はぇ……」


 さらなる間抜けな声を出すわたし。

 こうして「映画を千回観たら現実にサヨナラ」を志す者として、棚橋さんが名乗りを上げた。


 満足いくまで映画を観る。そして千回に到達したら、現実世界の人生を終える。

 そんなわたしたちの日常、そのはじまりを告げるファンファーレが鳴り響くかのような。


 そんな気がした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ