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ひとり映画とラーメンの女。  作者: ようへい
10/12

日常10「死ぬんですか。死ぬんですか。死ぬんですか」

 わたしたちの日常も間もなく終わりですね。


 覚えていますか、焼肉をご馳走になったあの日のこと。

 この現実世界はゲームの世界で、本当の世界は映画の中にある。わたしがそう言ったら、あなた、無邪気に笑っていましたね。


 わたし、今でも信じているんですよ。

 この現実は誰かに創造されたウソの世界で、本当の世界はわたしたちの妄想の中にこそある。これってある意味真理だと思うのですよ。


 ……まあ、現実逃避って言われたらアレですけど。

 ただ、あなたとはそういった世界線を行き来できたと思ってまして。


 そうそう。手紙、これで最後にしようかと。


 結局、届けられませんでしたね。宛名のない手紙なので、当たり前ですけど。

 けれどもし、現実をサヨナラした後にこの手紙を届けられたなら。リセットしたその後の世界で渡せるのなら。そのときのために、きちんとお礼はしたためておきます。


 ――ありがとう、棚橋さん。わたしを救ってくれて。



****



 映画を千回観ても、生きてみませんか。


 半分は無意識に出た言葉だった。人生をリセマラしようと決めたわたしの、絶対的な価値観が変わった瞬間。

 しかし、この世界に生まれたその新たな価値観は、一瞬にして消えてなくなることとなった。


 ……それは、できません。


 という、棚橋さんの呪詛の言葉によって。

 その強大な力で新たな価値観を撃破した男は、いい大人のくせにオロオロとうろたえていた。その価値観の生みの親である、わたしが泣いてしまったからだ。


 そのような再会から数日が経ち。何はともあれ、わたしたちは今までと同じような日々を過ごしている。

 とめどなく映画の話をしたり、塩ラーメンを食べたり、絶え間なく映画の話をしたり、担々麺を食べたり……。


 ただ、映画は観ていない。

 千本目、つまり最後となる次の映画は「ひとり映画とラーメンの女。」という作品に決めているからだ。公開延期になったその作品は、3月28日に公開日が再設定された。


 その日までわたしたちは、またいつもの日常を送る。




 20XX年3月16日。棚橋さん宅にて。


 天気は良好。体調は不良。


 それは思ったより立派なアパートだった。

 南向きの部屋は陽当たりがよくて白い壁紙が映えるし、広めのバルコニーでは贅沢にもガーデニングがされている。おまけにオートロックにモニター付きのインターホンで、セキュリティ面までしっかりしているのだった。


「どうぞ、適当にくつろいでください」


 言われるまでもなくソファに腰掛けたていたわたしは、本棚にあったプログラミング教本をペラペラとめくった。


「興味あるんですか、プログラミング」

「いいえ、まったく。むしろ世の中の多くがこのような記号の羅列と知ると、げんなりします」


 棚橋さんはキッチンでチャーシューを切っている。ラーメンにトッピングするものに違いない。


「はは、そうですね。情報化社会ですから」

「わたしたち生命体も、細胞という情報の集まりでしかないことを思い知らされます」


 スープの香りが部屋中に広がっていく。茹で上がった麺を湯切りする音が聞こえた。


「……いい匂い」

「自信作です。昨日の夜から気合いを入れて仕込みましたから」


 自作の煮干しラーメンが運ばれてくる。

 それはとても綺麗なラーメンだった。味玉とチャーシューはもちろん、麺も自作してみたらしく。それでこのルックスは大したものだと素直に感心する。


「それでは、ご相伴にあずかります」

「はい、どうぞお召し上がりください」


 レンゲでスープをすくい、口へと運ぶ。

 濃厚な味わいが広がり、魚介系の香りが鼻に抜けた。


「ん、んんっ……んまっ……!?」


 これはとてつもなく煮干し。お魚の旨味の桃源郷。そのコクたるやまんま海のごとし。

 味わいに感動して涙ぐんでしまうわたし。そんなわたしを見て、棚橋さんも涙ぐんだ。


 それからしばらくは集中してラーメンに向き合った。無言のまま、ずるずる、ずずーっと、麺とスープをすする音だけが室内に響く。

 そのまま時は経ち、やがて煮干しラーメンの魅了魔法が解けはじめたころ。

 味変にどうぞと言われたお酢を少し足しながら、わたしはチラリと棚橋さんの顔色をうかがった。


 熱気に頬を火照らせながら、無邪気に麺をすするおじさん。


「……どうして姿を消していたのですか」


 久しぶりの発言に驚いたのか、質問の内容に戸惑ったのか、棚橋さんは「ングッ」と喉につかえるように麺を飲み込んだ。


 いくつか、うやむやになっていたことがある。

 棚橋さんが半年間も姿を消していた理由。映画を千回観たら現実にサヨナラする理由。再会したあの日以来、ずっと聞こうとして聞けなかったこと。

 

 ……ようやく見つけた人がまた消えてしまう、そんな気がして踏み込めなかったこと。


 そうした折、煮干しラーメンをご馳走したいと言われ、はじめて自宅にお邪魔することになり。訊ねるならば今日しかない、と覚悟を決めてきた所存で。

 棚橋さんは少し考え込むようにしてから口を開いた。


「実家の岩手に帰省していました。何も伝えないままで申し訳ありません」


 ……探しても見つからなかったわけですね。


「……わたしが聞いているのは姿を消した理由です。どうして急に帰省を」


 いろいろな思いが込み上げて、感情のコントロールが難しくなる。


 わたしは半年もの間、この人のことを探していた。だから納得のいく答えが欲しいと思ってしまう。

 そして同時に、そんな自分にモヤモヤする。関係を絶とうと決めたのはわたしなのに。この人はわたしの何でもなくて、報告の義務なんてないのに。


 わたしはいつからこうなってしまったのか。冷静に話を聞かなければ。今日はそのつもりでここに来たのだから。

 そんなことを考えつつ悶々としていると、ようやく質問の答えが返ってきた。


「……冬子のお墓を探すためでした」


 その名前が出てくることは予測していた。 

 スープをレンゲでいじりながら、その女性に思いを馳せる。棚橋さんが好意を抱き、けれど亡くなってしまった、わたしに瓜二つの女性。

 家も連絡先も知らないと言っていたけど、お墓の場所も知らなかったのか。


 思えば、冬子さんの話は断片的に聞いてばかり。

 ……おそらくはわたしが無意識に避けてきたから。


「……それでお墓は見つかったのですか」

「はい、昨年の末にようやく。……本当にようやく、見つけました」


 その声音から、それが重要な意味を持つことが伝わってくる。

 この人にとって冬子さんはどういう存在なのだろう。


「あの、そもそも冬子さんが亡くなられた理由って」

「彼女は病気だったんです。会ったときにはもう余命いくばくもなし、という状況でしたから」


 軽くのけぞってしまった。

 余命わずかな人……もうすぐ現実からいなくなる女性に、恋をする。それはスクリーン上でしか見たことのない世界だった。


「だから僕は、冬子から逃げたんです」


 棚橋さんは憂いを含んだ眼差しをしている。


「人生のすべてをかけたい、そう思っている人が失われる。そういう未来が決められている。それも将来的なことではなく、すぐ近い未来に。それは僕にとって耐えがたいほどの恐怖でした。必ず失われるとわかっているものが、自分の人生のすべてだなんて」


 それから棚橋さんは苦笑を浮かべると、こう言った。


「……だから僕は、あなたからも逃げ出したのです」


 自分は小さい人間だ。そう言いたげな顔をしている。


「本当は映画を千回観て終わるつもりでした。もう関根さんに会うつもりもありませんでした」


 棚橋さんは立ち上がり、飾り棚から何かを手に取った。そしてそれを手のひらに乗せる。

 白い宝石のついた、ピンクゴールドの指輪。


「……これ、覚えていますか」


 覚えている。日比谷ゴジラスクエアで拾った落としもの。わたしたちの日常が交わった、そのきっかけ。


「冬子に渡すつもりだった婚約指輪です」


 それを聞いて何となく感付いた。

 亡くなった人に渡す予定だった指輪を、瓜二つの女が拾った。そして、その女も死ぬことを予定していた……。


「棚橋さんが映画を千回観たら現実にサヨナラする理由って……」


 もし予想通りなら、その理由はわたしにとって到底納得のいくものではなかった。


「それなんですが。関根さん、あなたは生きていてくださいませんか」

「はぇ……?」


 思わず間抜けな声が漏れた。


「僕は現実世界に残るつもりはありません。でも、関根さんは生きてみようと思いはじめた。……ならばどうか、生きてください」


 なんて身勝手なことを言うのだろう。

 何もわかっていない、これだからおじさんは困る、本当に困る。


 それなのに棚橋さんは、優しい表情で、優しい口調で、いつものように笑いかけてくる。

 いつもどおり、いつもの日常、いつもの光景。それが今は、こんなにもツラく感じられる。


「……死ぬんですか」


 涙がボロボロ。止められぬ。

 ……おかしいな、ここのところ泣いてばかりいるような。


「死ぬんですか。死ぬんですか。死ぬんですか」


 どうした、わたしの涙腺、しっかりしろ。


「死ぬゔでずが。死ぬるでいが。じぬぬぬ……う゛ぇぇえ〜」


 ……この世界は、どうしてこんなにもリアルなんだろう。

 

 リセマラ可能なゲームの世界のくせに。

 せめて感情を自由にコントロールできたらいいのに。プログラミング制御とか、そういうやつで。


 涙と鼻水にまみれたわたしは、そんなことを考えていた。

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