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旅路のなかのグレイコーデ  作者: 紅葉
第一章 大聖堂の聖女
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第八話 『聖女の願い』

 その晩、グレイコーデはアトリーナの部屋に来ていた。ベッドで寝ている彼女は薄っすらと目を開けている。


「すまなかった」


 グレイコーデが部屋に入って、第一声がそれだった。


「……何のことが分からないわねぇ」

「魔力を使わせたことだ。マナポーションがあったとはいえ、魔法を使わせ過ぎた」

「……ふふっ。私は『物探し』と『解呪』しか使ってないわよぉ」

「……」


 軽やかに笑うアトリーナに対して、彼女を見つめるグレイコーデの視線は真剣だった。

 やがて、アトリーナは作り笑いを収めて、一本取られたとため息を吐く。


「いつから気づいていたの?」

「最初に教会で出会った時から」

「……完敗よ。【沈黙(カロス)】と【透明化(ウルバノ)】には自信あったんだけどなぁ。成長したわねぇ」


 アトリーナは弱々しく笑うと、『自分』にかけられていた魔法を解除した。

 途端にアトリーナの肌に真っ赤な火傷の跡が這いずり回った。その火傷は炭を火にくべたばかりのような薄暗い輝きを放ち、生きているように蠢いていた。


「嘘ついていたのよねぇ。私の呪いは【魔力を練ることを禁ずる】なんてものじゃない」


 アトリーナは、痛々しい火傷を見て、慈しむように柔らかく頬を緩めた。


「【即死(ハルノケラ)】。私にかけられていた本当の呪い」

「なっ、」


即死(ハルノケラ)】。受ければ即座に死亡するそれは、低級術師がかけたものならば簡単に抵抗出来る。だが、アトリーナを蝕むこれは、そんなものではない。呪詛は普通、目に見えない。それがこんなにもはっきりと現れている。つまり、これは──。


「……いつからだ……一体いつから、そんな呪いを身に宿していた……!」


「六十五年前」


 視界が衝撃に真っ白に染まった。固まるグレイコーデにアトリーナは語る。


「ほら、あいつ。いたでしょう? あの根暗でカタカタ喋る黒ずくめのでっかい骸骨」

「【宵骸王(よいがいおう)】べザルトヘエル……」


 魔王直属の部下。【四天王】と呼ばれていた魔族。その一人だ。

 闇と呪詛で身を包んだ最初の死神。

 魔王討伐の際、アトリーナはべザルトヘエルとの一騎打ちに見事勝ち残り、魔王相手に苦戦するグレイコーデの元に現れたのだ。


「その時にちょっとやっちゃって。向こうを浄化するのに、【即死(ハルノケラ)】の呪いが逆流して受けちゃったのよねぇ」


 呪詛体系の起源を世界に刻み込んだと云われている【宵骸王(べザルトヘエル)】の呪いは解呪など不可能に近い。全盛期のアトリーナでさえ解呪は困難だったのだ。

 六十五年間、彼女は隠蔽魔法を常時発動させていた。

 グレイコーデは一目見た時より、魔法を看破し、火傷のような呪いを見つけていた。だが、【即死(ハルノケラ)】だとはついぞ気づけなかった。

 アトリーナは、グレイコーデの提案を笑って受け入れてくれた。

 自分の命が消えることもいとわずに。


「後、どのくらい残っている」

「……なにがかしらぁ?」

「お前が生きられる時間に決まっている!」


 その怒鳴り声に、アトリーナは少し悲しそうな顔をした。


「今夜まで、かしらねぇ」

「そんなに早く……なぜ……」

「『なんで』魔法を使う事を受け入れたか、よねぇ」


 アトリーナは死相が浮かんだ自分の顔を穏やかに指でなぞる。


「だって、ねぇ……仲直りしないで、死んじゃったら……向こうにいるシルヴィアちゃんに顔向け出来ないわよぉ」

「そんなことで、お前は……っ」

「いいえ。そんなことではないわぁ。とっても大切なことだもの。前にあなたが言っていたことじゃないの。自分の人生だ、後悔するな……ってねぇ」


 それは、あの丘でグレイコーデがアトリーナに伝えた言葉。グレイコーデが自殺を考えるたびに、脳裏に現れた『グレイコーデたち』自身の言葉。


「これでいいの。私に後悔なんてないわ」



「っ、ふざけるな……ふざけるなぁっ!!」



 グレイコーデの叫び声が夜の教会に木霊した。


「お前はもう一度旅がしたいと、望んでいたんじゃなかったのか! 弟子を放り出して、空ばかり見上げて想っていたんじゃなかったのか! 答えろよ、シンメリー・サリエル・アトリーナッ!!」

「ふふっ。久しぶりに、あなたの涙を見た気がするわ。昨日見たばかりのはずなのにねぇ……」


 アトリーナがグレイコーデの頬を撫でる。指は確かに濡れていた。


「ユーリ。ユーリ……私の弟子。あなたに託すわ」

「断る……自分の弟子は、最期まで自分で面倒を見やがれ……っ! 俺と一緒に来い、アトリーナッ!!」


 指をはねのけて、グレイコーデはアトリーナを睨みつける。微笑みを浮かべるばかりの顔が今ほど憎らしく、愛おしく思えた時はなかった。


「……ほんと、強情。……入ってきても、良いですよ」


 扉が静かに開けられる。そこにいたのは、フード姿の子ども魔族──ユーリだった。

 音を立てずに滑るようにしてベッドの傍にひざまずく。あどけない頬はグレイコーデと同じく涙で濡れていた。

 アトリーナは側にあった机から装飾のついたやすりを取った。それを、ユーリに渡す。


「ごめんなさい。私はもう、グレイコーデと一緒に旅に行けません。だから、それはあなたに渡します」

「……」

「新しい師匠に、角を削ってもらいなさい」

「…………はい」


 ユーリが涙をこぼした。


「あなたには悪いことをしました。私は過去の思い出に囚われていました。夢を見るんです、ユーリ。昔の、旅の最中での出来事を毎晩のように夢に見るんです。最近は、空にも見えるんです。空の彼方に散って行った仲間たちの顔が見えるんです」

「……」

「そんな仲間たちの幻が映る瞳で、あなたを見てしまったら、きっといけない。そんな気がして、私はあなたから瞳を逸らし続けて来ました。ごめんなさい、本当に、ごめんなさい」

「そんなことは、もういいの……だから、だから……!」


 ユーリはぱっと目線をアトリーナに向ける。アトリーナの緑色に光る瞳は、ユーリをしっかりと視界に映していた。


「大きくなりましたね、ユーリ」

「っ、アトリーナ様ぁっ!」

「ユーリ。グレイコーデの旅に着いて行きなさい。その目で世界を見渡して、私たちの守った世界を見て回りなさい」

「はい、はい……」


 そして、アトリーナは黒い布地をユーリに渡す。グレイコーデに向かって投げ捨てたフードだった。

 アトリーナとの思い出であり、ユーリ一番の宝物だ。


「こんなものが必要ないような、そんな世界に。──優しい世界にユーリがしてくれることを願っているわよぉ? 分かったわね、私の大切な子」


 フードを受け取り、泣きじゃくるユーリを困ったように見つめて、グレイコーデに視線を向ける。


「グレイコーデ」

「……何だ」


 そして、ちょっぴり照れくさそうに、はにかんで。


「私は、あなたのことを愛しているわ」

「……俺が愛しているのはシルヴィアだけだ」

「ふふっ……知ってるわよぉ。ちょっと、困らせて見たかっただけ」


 そう言って片目をつむる様子は、いつかのようで。


「……色欲性女」

「じゃ、向こうで待ってるわ」

「ああ、行って来い。シルヴィアに、たっぷりしぼられてこい……っ」


 アトリーナの目がゆっくりと閉じられる。

 身体から力が抜けて行き、六十五年にも渡ってアトリーナを苦しめていた火傷のような呪いが一際輝いて──。



 やっと言えたわよ。シルヴィア。



 時計の針の長針と短針がカチリと真上で重なった。

 


 そこは聖堂街を上から見下ろせる小高い丘だった。

 付近の店の外観はみすぼらしく、看板が腐っていたり、鉄さびが浮いたりしている。


「なぁ、本当にいいのか?」

「良いわよぉ。別に未練なんかないわぁ。一度だけこの景色を見たくなっただけよ」


 眼下の街は、付近で見るのとは違った様相を呈している。一際大きな純白の建物は教会。あの向こうにある城壁が王城へ続く道。

 そして。


「すごく綺麗だ」

「私の自慢の場所なんだから、当たり前でしょう?」


 数え切れないほどの、街の灯り。

 きらきらと光り輝く、生活の灯り。命の灯り。

 それはまるでひっくり返した宝箱のようで。


「アトリーナが俺たちの旅に着いて来てくれれば、俺たちはすっげぇ助かる。……けど」

「けど?」


 アトリーナは長い金髪をきらめかせて小首を傾げる。


「この街は、アトリーナの力が必要なんじゃないのか? 毎日たくさんの巡礼者とか怪我人とかが来るんだろう? ……俺たちがそんな勝手な真似して、本当に良かったのか……?」

「う〜ん、グレイコーデって色々と終わった後に言うわよね。そういうこと」


 少し離れた所で、郊外へ続く地図を確認していたシルヴィアがぼそりと呟く。


「それでどんどん後悔ばかり積もって押し潰されちゃうタイプじゃない?」

「う、」

「そんな人生楽しくなさそー」

「う、うるせぇ! お前は今晩の飯のことさえ考えていればそれで幸せだろうが!」

「ん〜、究極的にはそれでもいいんじゃない? 未来のことを心配して、今がつまんなくなるより、今を楽しくして未来も楽しくするためにがんばるのが一番いいと思うっ! ……つまりぃ?」


 シルヴィアがいつになく真面目な顔で言葉を溜めて。


「今日のご飯はなんですか?」

「雑草の盛り合わせだ、この単細胞!」

「〜〜〜っ!」


 無言で殴りかかるシルヴィアと逃げ回るグレイコーデから眼下の街に目を下ろして。


「……でも、いいかもねぇ。今晩のご飯だけ気にして生きる人生なんて、刺激的よねぇ」

「ん〜、なあに?」


 ぼこぼこにされたグレイコーデを引っさげて語りかけるシルヴィアに、笑みを返して。


「何でもないわぁ。ほら、グレイコーデ!」


 シルヴィアの手からグレイコーデを奪い、手をぎゅうと握る。


「ふふっ、も〜らいっ!」

「あ〜、私のなのにー!」


 アトリーナが握ったグレイコーデの手は、とても温かくて、人の温もりなど生まれてから感じたことのない彼女にとって新鮮なものだった。


「……色欲性女」

「なにかぁ、言ったかしらぁ?」

「痛い、痛いから、強く握るのは止めろっ!」




 夜闇が広がる街の上。星の明かりが浮かぶころ。

 彼らは、やがて旅に出る。

 彼らは、やがて魔王を倒す。

 その時も、その後も、聖女アトリーナは笑みを絶やさなかった。


最期の瞬間にちょっとだけ素直になることができました。皆様も大切な人に伝えたいことがある時はお早めに。

きっと、うまくいきますよ。

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