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旅路のなかのグレイコーデ  作者: 紅葉
第一章 大聖堂の聖女
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第七話 『幼き勇者の誕生』

 グレイコーデは、魔法備品店から教会へ直行した。そのままシスターを押し退けてアトリーナの寝室に足を進める。


「話がある」

「っ、グレイコーデ……!?」


 仲直りと題したそれは、部屋の扉を蹴り破ったことから始まった。硬直しているアトリーナに向かって淡い空色の液体が詰まった瓶を投げ渡す。

 アトリーナは意外に反応よくそれを空中で受け止める。


「取り敢えずそれを飲め」

「マナポーション……?」

「俺はシルヴィアを取り戻したい。アトリーナはあの弟子を救い、ひいては魔族を救いたい。──賭けてみないか?」


 グレイコーデが続けた言葉に、アトリーナは迷いなく頷いた。


「ええ。あなたがそれでいいのならば」


 グレイコーデが差し出したマナポーションを、アトリーナは一息に仰ぐ。

 途端にふらりと倒れ込むアトリーナを、グレイコーデはしっかりと支えた。


「……久々の魔力ねぇ。いいわぁ。ユーリを見つけましょうかぁ」

「ああ、頼む」

「私を誰だと思っているのかしらぁ? 薬水の聖女様よぉ」

「腕を首に絡ませるな、耳に息を吐きかけるな、探知魔法を早く使え」

「いいじゃないのよぉ……うへへ」

「止めろ、この、色欲性女が……! 俺の服に顔を突っ込むな……っ!」


 ♰


 鈍色にぬめる牙が肩を掠めた。

 肩口から血が吹き出して、頬を濡らす。再び飛びかかってきた魔物を蹴り飛ばして、ユーリは痛む肩を抑えて走った。


「……痛い、痛い」


 幼くとも聖女の弟子だ。傷口から血を絞り出し、そして治癒術で治す。治癒術は肉の怪我を治すだけものだ。身体の中に入った病魔やらは追い出せない。

 ユーリを執拗に襲うのは、一匹一匹が身長ほどもある巨大な鼠だった。前歯はまるで刃物のように鋭く鋭利で木材などで道を塞いでも噛み砕いてしまう。それが十数匹ほど。

 こんな規格外の生物は見たことがない。魔の侵食により変化した動物──魔物だ。


「……痛い……!」


 意図せず口から出た悲鳴に、気づいた魔物がこちらを喰い殺そうとカチカチと歯を鳴らした。あの少女の気配から逃れるために裏路地を走り回った。そして、逃れようとした先にあの魔物の群れがいた。

 魔物はあまり足が早くなかった。容易に逃げ切れるわりに、道の先にはまた魔物がいて、また逃げる。それを繰り返すうちに、背後から迫る魔物は数を増やしていった。

 まるでいたぶるように、命を落とすほどの怪我はさせずに、痛めつけるように。


「なんで、なんでわたしだけ……!」


 その鼠の魔物は、ユーリを執拗に狙っていた。道端の人は襲わない。攻撃されれば集団で喰い殺すが、逃げるだけの人は追わなかった。

 まるでユーリだけを追いつめるように。


「また……!?」


 前に魔物が一匹いた。前の曲がり角でも、その前の曲がり角でも魔物はいた。それを避けて通った道の先にも魔物はいた。


「っ、このっ!」


 前から飛びかかる前に、道端の石をぶつける。拳大の石は魔物の頭にちょうど当たり、魔物を怯ませる。

 その隣を、ユーリは駆け抜けた。背後からはカチカチカチカチと歯を噛む音が聞こえる。


 ──足を止めるな。絶対に止めるな……!


 もう道など分からない。同じ所をぐるぐると回っているような気さえしてくる。


「いつの間に……!」


 隣を並走していた魔物がユーリに飛びかかった。思わず腕で顔を覆い、しゃがみ込む。

 目の前で大きく開けられた魔物の口から腐臭がした。


 ブチンッ。


 糸が切れるような音がした。不思議とユーリに痛みはなかった。

 恐る恐る目を開ける。

 魔物の口には、グレイコーデから奪った白い首飾りが揺れていた。


「それだけは、だめっ! 返して、返して……!」


 魔物が顔を上に向ける。白い首飾りは、ゆっくりと口を滑り落ちて──喉奥に消えた。


「……っ」


 まるで見せつけるように、白い首飾りを飲み込んだ魔物は背後から迫る魔物の群れに飛び込んでしまう。

 もはや、白い首飾りを飲み込んだ魔物がどれか分からない。


「そんな……そんな……」


 腰が崩れ落ちる。呆然と立ちすくむユーリの瞳に、魔物の鋭く尖った前歯が映った。


 カチカチ、カチカチ。


 ふと、自分の口元でも同じ音が聞こえた。ゆっくりとあごに触れると歯が打ち鳴らされている。恐怖に反応して、震えている。


「やだ……やだぁ……!」


 それはあの時と同じだった。

 両親が殺されていくのに、黙って見ていたユーリ。それと同じだった。


 カチカチ、カチカチ。


 ──怖い、怖い、怖い……ッ!


 恐怖に思考が麻痺していく。アトリーナの教えが、魔物と相対した時にどう対処すればいいのかということが、恐怖に塗り潰されていく。


「ひっ」


 一匹の魔物が口を大きく開けた。あごの骨が砕けるほどに大きな口がポッカリと空く。

 蠕動する肉とおぞましく並ぶ歯、歯、歯。その向こうには、真っ暗な穴がある。


 ──これは『前と同じ』。おとうさん、おかあさんを奪ったやつらと同じ『におい』。


 ユーリが決して越えられない壁。後悔の壁。理不尽に立ち塞がる壁。

 そのにおい。その気配だ。

 にやにやと下卑た笑みを浮かべる騎士崩れたちを幻視する。彼らは両親を殺した時のように、剣やら斧やら棍棒やらを振り上げてユーリを囲んでいた。


 ──また、何も出来ないで、終わる……?


「綻びを穿て、アトリーナ」

「任されたわ」


 屋根から飛び降りてきた人影の手刀により、魔物の頭蓋が突き上げられ、その巨体が両断されていた。

 手刀による切断。柔いはずの手指を剣とする尋常ではない技。それに叩き斬られた魔物は一瞬遅れて腸と脳漿をぶちまけた。

 子どもの背丈ほどもある肉塊が断たれた背骨を覗かせて地に伏せた。


「……あ」


 両断されても蠢き続ける魔物の残骸に踵を落とし、痙攣すらも踏み潰した人影はユーリを取り囲む魔物の群れを睥睨する。

 激しく間に割って入った人影と違い、静かに屋根の上に着地したのはアトリーナだ。

 人影がアトリーナに向けて問う。


「シルヴィアはどこだ」

「ん〜と。見つけたけどぉ……あの中よぉ?」


 アトリーナが躊躇いながら指を指すのは、魔物の中の一匹。ユーリから白い首飾りを奪った巨大な鼠のうちの一匹。


「問題ない。──鼠ごときが、良くも喰らってくれたな」


 風を置き去りにする。

 一斉に襲いかかる魔物に対し、真正面から突っ込む人影──グレイコーデ。

 複数の鼠の一直線に並んだ首を手刀で切り裂き、背後から飛びかかる巨体に死体をぶつけて盾とする。いくら鋭い牙であっても、分厚い肉の壁を噛み切ることなど出来ない。肉の盾を捨てて、盾に喰らいついたままの鼠の首を踵で折り、再び飛びかかってきた鼠の片目に肘鉄を叩き込み、目を完全に潰す。

 グレイコーデは眼窩に突き込んだ手を、そのまま直進させ鼠の小脳を捉えると一息に握り潰した。

 激しく痙攣したまま身をよじる鼠の頭部を、踏み付け、力を込めていく。弱々しいしい悲鳴。湿った肉と硬い骨と骨が壊れる音。やがて、足を退けるとそこには濡れた赤黒いものしか残っていなかった。

 血と臓物の臭いが裏路地を埋め尽くす。


「う、げぇ……っ」


 ユーリは胃からせり上がってきたものを吐瀉物として吐き出した。

 凄絶な蹂躪だった。物語に語られるような勇者の戦いではない。ただひたすらに相手の数を減らし、相手の攻撃を受けないように立ち回る姿は、まるで戦闘用の絡繰りだ。

 白い首飾り──シルヴィアを喰らった魔物への憎悪もあるだろう。だが、それを戦闘に持ち出すことは一切無い。冷徹な絡繰りのように効率を重視し、ひたすらに魔物を殺していく。

 憎悪と義務。憎悪を原動力として殺戮を行う義務の絡繰り。

 この勇者はそのような存在だった。いにしえの勇者などの過去の勇者は知らないが、間違いなく目の前にいる老境の勇者は、そんなものだった。

 魔物の血が噴き出し、グレイコーデの頬を濡らす。飛び散った血に一切の反応を示さずに、彼は血が噴き出ている傷に無造作に腕を突き入れて──。


 ──【風舞(アリシア)


 風の刃で内臓をずたずたに引き裂いた。瞬時に肉の塊が血煙と化して破裂する。

 アトリーナが屋根の上から声をかける。


「綻びが閉じかけてるわ。早く終わらせて」

「……ふん」


 残り一匹だった。白い首飾りを飲み込んだ魔物。

 漏れる声に落胆の響きが混ざっている。まるで手応えがないことを残念に感じているのか、シルヴィアを奪った魔物がこの程度だと感じているのか……あるいは。


「……」


 じろりとユーリに向けられた視線。血濡れの瞳で向けられた視線にユーリはうつむいてしまう。


 ──あるいは、こんな魔物に苦戦しているわたしを見限ったのか。


「おい」


 そう思うと目の前の勇者が途端に恐ろしくなった。

 なぜ助けてくれたのかは分からない。ユーリが奪った首飾りを取り戻すためだけに来たとしたら、なぜ余計な魔物まで倒して助けてくれたのか、それが分からない。

 血肉の山に立っている目の前の勇者が、ただ恐ろしい。


「耳が聞こえないのか。返事を返せ、聖女の弟子」

「……な、なに」

「なぜ魔物に襲われていた?」


 グレイコーデの質問している意味がユーリには良く分からなかった。


「魔族は魔物に襲われないはずだ。魔族の角──」


 グレイコーデはユーリの頭に生えている二つの捻れた角を指す。


「──これを判断にして魔族と人間との見分けをつけていると言われている。見たところお前は角がある。……もう一度聞く。なぜ襲われていた?」


 勇者が魔王を討伐して以来、魔族の数は激減し、生き残った魔族も辺境の地へと逃げ延びている。

 人の村で生まれ、人間の街で暮らしてきたユーリは自分以外の魔族を見た経験がない。

 今の時代では、魔族を見たことのある人のほうが少数派だ。


「知らない。……本当に、知らない」

「……アトリーナからは聞かされていないのか」

「え」


 グレイコーデは片膝をついて荒い息を吐き出した。


「……もう限界か」

「どうして」

「アトリーナの『ごまかし』が効かなくなった。こうなれば、俺はただの老いぼれだ」

「そんな……じゃあ、あれは」


 ユーリの目にはこちらに向かって一歩ずつ近づく魔物の姿が映っていた。


「お前が倒せ。シルヴィアを奪い返して俺に持って来い。そうすれば、お前を見逃してやる」

「無理……わたしに、できるはずがない」


 即答していた。

 グレイコーデは胸を押さえて苦しそうにうつむく。彼の背中からは、肉の焦げるような音が絶え間なくしていた。


「それは、相手が自分と同族だからか? 魔族である自分は魔物を殺せないと、そう言うのか?」

「違う、そうじゃない……そうじゃない……」


 睨みつけるような烈火の視線からユーリは思わず目を背けた。ふっとグレイコーデの笑い声が聞こえた。


「……お前たちは、そっくりだな」

「え」


 そうして、グレイコーデは笑みを消し去った。


「殺せないなら、逃げるしかない。ここにいるのは、無力な老人たちと子どもだけだからな。逃げるしかない」


 魔物を見据えて、グレイコーデは淡々と呟く。


「恐らくは、この地区に住む人は、無抵抗に魔物に喰い殺されるだろう。衛兵程度だとこの魔物には敵わない。聖堂騎士団の隊長格が出動するまで、魔物は人々を喰い荒らす」

「何か、何か手があるはず……」

「そんなものはない。戦えない者が手を出したところで余計に被害が増えるだけだ」

「そんな……」

「聖女の弟子として、技を学んできたはずだ。治癒術はもちろん、お前はその応用の『致死術』まで使えると聞いている。お前は戦えるはずだ」


 グレイコーデは遠くの魔物を見やり、呟く。


「──勇者に、なりたかったんだろう?」


 ユーリは目を見開いた。


「っ、なんでそれを」

「アトリーナから大体の話は聞いた。お前の過去も、家族のことも」

「……それなら、分かるはず」

「何が分かる」

「わたしは、勇者が嫌いだってこと」

「なぜ嫌いなんだ。言ってみろ」


 目の前の魔王を倒した勇者その人が、ユーリに向かって言っていた。

 勇者が嫌いだった。勇者パーティが嫌いだった。だから、アトリーナも嫌いだった。


「魔王を倒したんでしょう……? つまり魔族が嫌いだから、魔王を倒して魔族が支配する世界になることを食い止めた。だから、嫌い。わたしから可能性を奪った勇者が嫌い。生きていける世界を奪った勇者が嫌い。おとうさんおかあさんを奪ったこの世界が嫌い……──そんな世界を守ったあなたたちが、大っ嫌い……っ!」


 ユーリがずっと胸に溜め込んできたその思いが、血を吐くような吐露に従い、流れ出ていく。

 ユーリから可能性を奪った人たち。ユーリを苦しめる世界を守った人たち。

 みんな嫌いで、大っ嫌いで──。


「……なら、なぜお前はそんなに俺を見て辛そうにしているんだ。嫌いならもっと嘲笑えば良い。見下せばいい。俺たちが丘の上で街を見渡した時に突き落とせばいい。なぜそうしなかった」

「っ、それは」

「──つまり、お前はまだ子どもだということだ」



 ──大好きだった。



「あなたに、あなたたちにいったいなにがわかるっていうの!?」



 ユーリの中で張り詰めていた糸がぷつりと切れた。

 グレイコーデに感じていた恐怖も全て真っ赤な熱に押し流されて、気がつけば言葉が溢れ出していた。


「大切な人たちがいて、大切に思える人たちもいて、それで世界を救って、笑って、喜んだ、そんな勇者たちにいったいなにがわかるっていうの!?」


 ユーリは片膝をついていても、まだ高いところにあるグレイコーデの目をきっと睨み返す。


「楽しかった? 幸せだった? 世界が守れて、それでみんなが幸せになれると、本気でそう思っていたの? そんなわけない、そんなことない。わたしは、わたしたちは全然幸せじゃなかった。おとうさんを殺されて、おかあさんも殺されて、残されたのはわたし一人……大切な人もいない、大切に思える人も、もういない……そんなわたしが、幸せになれたと本気で思っているの……っ?」


 魔物がユーリの悲鳴のような叫びに反応して走り出した。

 ユーリはうずくまり、グレイコーデの胸を伸ばした手で叩いた。


「なのに……なんで」


 魔物が迫る。その大口を開けて、ユーリめがけて突っ込んでくる。


「なんで、安心できるの……信頼できるの……なんで、こんなにも、勇者様が眩しいの……?」


 迫る黒い穴。うずくまるユーリは逃げられない。


「分からない……分からない……分からないこの気持ちを、軽々しく『子どもだから』で片付けないで……っ!」


 そう言ってもう一度叩くユーリに、グレイコーデは笑みを浮かべた。


「一つ聞こう。お前に、守りたいものはあるか?」

「……今は、もう……ない」



「合格だ、ユーリ。お前を勇者にしてやろう」



 グレイコーデは回り、ユーリの背後から両腕を舞踏会のペアダンスを踊るように握った。


「俺が身体を操ろう。お前は魔力を熾せ」

「え、あ」


 鼠の突進を横に一歩逸れただけで、躱す。グレイコーデの足がユーリの動きを導いたのだ。


「繋ぐぞ」


 ユーリの魔力が背後から支える手によって撹拌され、形を整えられる。

 グレイコーデの手から、ユーリの首筋に光を奔らせている。


「それは」

「不出来な勇者の得意技だ」


 体内魔力の外的操作。

 可能とは聞いていた。しかし、他人の魔力と自分の魔力は拒絶反応を起こし、慣れあわない。それが魔法使いの常識だ。

 常識を越えての所業。正真正銘の絶技。


「俺に身を任せろ」


 尻尾をしならせた鞭のような一撃が足元を払う。

 それをグレイコーデに導かれたユーリの足は一歩で踏みつけて固定すると、二歩目で魔力を集中させて踏み潰した。

 鮮血と肉が飛び散る。


「俺は戦いがどうにも苦手だった。戦っても戦っても、いつも仲間たちから置いていかれる」


 尻尾が途中で切断された魔物は耳障りな悲鳴を上げ、牙をむき出して暴れ狂う。──交差する。交差越しに撫でた魔物の腹に一直線が刻まれ、鮮血が噴き出した。肉の隙間からは斬り断たれた肋骨の残骸が見える。

 ユーリの手に魔力を集中させて斬ったのだ。


「銀髪エルフなら裏路地ごと吹き飛ばす。ライゼンタークなら一息でこの場にいる魔物の腹を裂いていた。シルヴィアなら俺の戦い方に沿ってでも数瞬の時間で片付けていただろう」


 魔物の首筋をユーリの指先がすくうように撫でる。それだけで魔物の重心は狂いに狂って、無防備な状態であごをむき出しにしてこちらに倒れ込んできた。


「アトリーナなら、こうしたはずだ」


 その声に導かれるように、ユーリの魔力は形を変える。魔物の喉笛に手を当て、魔力が血と肉を撹拌する。水を逆流させ、内臓の弁を閉じて、脳髄を奔る信号を遮断する。──アトリーナの『致死術』だ。

 魔物は全身を激しく痙攣させながら倒れ込んだ。


「上出来だ」


 まだ微かに痙攣する鼠の口にグレイコーデは無造作に手を突っ込んだ。そして、引き裂くように手を戻すと、そこには白く輝く首飾りが握られていた。


「おかえり、シルヴィア」


 内臓を引き裂かれた魔物は悲鳴を上げる暇もなく、絶命していた。


「え、え……?」


 目を丸くしてグレイコーデを見るユーリの瞳には深い困惑がある。それを全て屋根の上でマナポーションを飲みながら見学していたアトリーナは、ぐっと背を伸ばすと、呟いた。


「まったく、素直じゃないのよねぇ」


 そうして、ふと思い出したように。


「もしかして、これがあなたの言っていた『ツンデレ』ってやつなのかしら……シルヴィアちゃん?」


 白い首飾りは、笑うように光をこぼしただけだった。




「魔王を倒すことで世界は救われた。少なくとも、俺たちはそう信じていた。だから、魔王を倒すことが出来た。魔王を倒して不幸になる人のことなど知らなかった。──それが何だというんだ?」


 粗暴な調子の言葉。人の不幸を関係ないと切り捨てる非情な態度。

 激高してしかるべきだろう。ユーリにはその権利は正しくはないにしてもあるはずなのだから。

 しかし。

 グレイコーデはユーリの目を見据えた。

 視線が繋がる。瞳の奥に見える光に、ユーリの鼓動は早まっていく。


「──俺は魔王を倒した事を後悔していない。魔王を倒したことは、後悔にまみれた旅で唯一後悔していないことの一つだ。これからも、後悔するつもりはない」

「……そう」


 ユーリは、しばらく黙り込んで顔を上げる。どこか諦めたように、小さく笑った。


「やっぱり、かっこいいよ。勇者様」


 ユーリの憑き物から解放されたような笑みを見て、アトリーナは一人静かに頷いた。そして、屋根の上でパンパンと手を鳴らす。


「はぁい、二人とも。さっさと身体を流しにシャワーでも行きなさいなぁ。そろそろくっさ〜い臭いになってきたわよぉ?」


 グレイコーデは身体中が臓物の欠片と血でまみれている。ユーリは血飛沫を服に浴びてしまっていた。どことなく腐敗臭が漂う。


「そうか? 俺は気にならないが、ユーリはどうだ?」


 くんくんと身体を捻って自分の袖の匂いを嗅ぐとユーリは顔を赤くして、うつむいた。


新たな勇者の誕生に祝福を。

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