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旅路のなかのグレイコーデ  作者: 紅葉
第一章 大聖堂の聖女
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第二話 『蝕み、広がる』

 教会から出て、徒歩数分のところを一行は歩いている。アトリーナは教会の敷地内から出た時から相好を崩していた。


「出歩くのは久しぶりです」

「いつもどうしている」


 車椅子を押すのはフード姿の子どもだ。真っ黒なフードに隠されて男か女か、種族すら分からない。一言も発さずにただアトリーナの車椅子を押す姿はまるで絡繰り人形のようだった。


「大聖堂の奥の部屋で引きこもっていますよ。そのせいで骨が弱り、今では── 」


アトリーナは車椅子をそっと撫でる。


「── この有様です。やっぱり運動しなければなりませんね」

「……そうか」


 思わず足を止めると、車椅子で見えない顔からくすくすと笑い声が聞こえる。


「懐かしいですね。あなたが私を外に連れ出した時も、こんな感じでしたか? 今はあの時とは違いますから、心配せずとも大丈夫ですよ」

「……お前、本当にアトリーナか?」


 今の聖女と記憶の中にいる聖女の差異が大きくて、いまいちうまく結び付かない。


「色欲性女は、口を開けば下卑た言葉ばかりで、夜這いの常連客だったはずだ」

「そんな頃もありましたね。懐かしいです」

「……む」


 アトリーナは色欲性女と呼ばれると烈火のごとく怒り出すのが常だったが、それを笑って受け流すとは信じられない。ますます疑念が膨らむ中、アトリーナの先の言葉が思い出される。


『人は変わるんですよ。いつだって』


 変わった結果が、この聖女に相応しい上品さと威厳を伴った姿なのだろうか。老婆の姿でこちらを誘惑して来ても困るが、何というか。


「少し寂しいとか思いませんでしたか?」


 にやり。


「思ってないから心を読むな。お前の読心術は洒落にならん」

「つまり思っていた、ということですね?」


 にやにや。

 老婆の姿でも、根は変わらないということを改めてグレイコーデは思い知った。この相手を絶妙にイラッとさせるすべは健在のようだ。


「ところで、良かったのか? 俺が死んだという情報をずっと流していたのはアトリーナだろう? 俺のせいで台無しになってしまったが」

「あー、そうねぇ……」


 一瞬だけ昔の気だるげな面影が見えた。


「あなたがここに来たということは、どうせすぐにバレますしねぇ──それよりも見てください、私の銅像ですよ? 教会の上半期の予算を全て注ぎ込ませた大作です」


 いつの間にか大きな銅像が目の前にあった。修道服を纏った若い頃そのままのアトリーナが目を瞑って祈りを捧げている。

 元の素材が良かったのか、後光を感じるほどに神々しい。そして、胸が大きい。


「私は美人でしたからね。細工もなしに、そのままで済みましたよ?」

「……何だその目は」

「細工師に土下座までして美型に作り変えていた誰かさんのことが可哀想になりまして」

「ふむ。俺の拳でも味わってみるか?」

「銅像の胸触りますか? 何でも撫でると健康長寿に良いって噂、流れてますよ?」


 間違いない。この老婆はアトリーナだ。威厳やらなんやらが今のやり取りで全部吹き飛ばされた。アトリーナとグレイコーデの間に、いつの間にかローブ姿の影が割って入ってきた。


「アトリーナ様に触らないで」


 変声期前の高くて澄んだ声がローブ姿から発せられる。黒いローブの影から一対の眼光がこちらを見る。真剣そのものの目線にグレイコーデは気概が削がれて、固めた拳をほどいてぱらぱらと振った。


「冗談だ。本気にするな」


 警戒を緩めない相手にグレイコーデは助けを求めるようにアトリーナに向き直る。


「弟子の教育は存外にしっかりしているようで何よりだ」

「あら。私、今褒められました?」

「お前の弟子がこんな堅物だとは思わなかっただけだ。こんなババアを本気で殴るやつがどこに居る」

「……なら、いい」


 ローブ姿は案外あっさりと引き下がると入れ替わりでアトリーナが抗議を叫ぶ。


「……ねぇ、ちょっと。ババアって女性に対して言ってはならない言葉よねぇ。なんならそっちの若作りし過ぎておかしなことになってる男はジジイよ、ジジイ。自分がいつまでも若いと思っている勘違いジジイよ」

「俺がジジイでも、お前がババアなことには変わらないだろうが。旅の間『お姉ちゃんって呼んでもいいのよ?』とか言っていたのを俺は忘れていないからな」

「あらあら、女の子は歳をとらないのよ? 知らなかったのかしらぁ?」

「八十越えが何を言っている」

「あらあら、言ってはならないことを言っちゃったわねぇ?」


 ぎゃあぎゃあと無意味な論争を繰り広げる老人の勇者と老婆の聖女。

 道端にいる人々は広場の銅像と同一人物だとはつゆ知らず、壮年と老婆の言い争いに頬を緩ませる。

 家族とでも思われているのだろうか。

 いつの間にか、すっかり聖女の仮面が剥がれたアトリーナはグレイコーデとの軽口の応酬に興じていた。そんな聖女にローブ姿は静かに驚き、聖女の仮面を剥がした元勇者を興味深げにちらりと見つめた。


「それで、俺はなぜ死んでいた」

「それは随分と哲学的な問いねぇ。人から忘れ去られると死んだことになるんじゃないかしら。でも、銅像も建ってることだし、私たち勇者パーティって今後五百年は死ねないんじゃないかしらねぇ?」


 見当外れの方向に深く切り込んでいくアトリーナを止めるのはグレイコーデの役割だ。


「そうじゃない。なぜ、お前は俺が死んだと嘘の情報を流したんだ? 俺は森でシルヴィアと一緒に暮らしていたんだ。死んだわけじゃない」

「ん〜、そうねぇ。説明するのが面倒なのだけれども……──勇者って戦いの後も生きていられると不都合なのよねぇ。だから、ちょっぴり頑張ってあなたが死んだと流したのよ」


 それは六十年前に嫌というほど説明された。だが、自分はこうして生きているのだ。死んだ死んだと周りから連呼されるのは耐え難い。

 アトリーナは笑う。


「あなた、自分とは関係のないことまでいちいち首を突っ込むでしょう? バレないほうがどうかしてるわよぉ」

「……否定はしないが」

「うんうん、これでこそあなたよぉ。グレイコーデの匂いがぷんぷんするわぁ」


 まるで意味が分からない。


「【看破の法】には見破られなかったのか?」


【看破の法】──法事院が持っている魔法の一つであり、嘘を暴くとされる覗き屋の天秤だ。教会と法事院の関わりは深い。勇者が死んだという特大の嘘を【看破の法】が見逃すはずがないのだが、はたして。


「私ってそこそこ偉いのよねぇ。元々旅に出る前から次期枢機卿だって言われて、勇者パーティなんかに入って魔王なんかも倒しちゃったわけ、でしょう?」

「確かに倒したな、魔王」

「うんうん。それで極まったというか……王とか貴族の演説や集会って【看破の法】が禁止されているのよ。それ持って聞くと疑っているのが前提みたいな感じだからねぇ。その延長で、私の話も【看破の法】持ち込み禁止みたいな感じでねぇ」


 それで流した情報が嘘とは、つくづくおかしなことになった。まさか敬愛する薬水の聖女が嘘をつくなど誰も思わないだろう。……元々の性格を知っている者を除いて。


「色欲性女が貴族と同等の立場、か。……世も末だな」

「あらあら、その世にしたのはあなたじゃないの」


 グレイコーデが嘆息すると、アトリーナの車椅子がようやく止まった。

 すでに夕方になって、辺りは日の沈む茜色に照らされていた。


「良い眺め、でしょ〜?」


 そこは聖堂街を上から見下ろせる小高い丘だった。

 ここがちょうどの境界線。この丘を隔てて、王都の郊外へと続く道があり、六十年前に通った旅路だった。

 付近の店の外観はみすぼらしく、看板が腐っていたり、鉄さびが浮いたりしている。

 どこまでも教会の聖女に相応しくない場所だ。

 しかし、彼女にとってここは特別な場所だった。


「今でも思い出せるわぁ。あなたの手の感触。おばあちゃんになっても、変わらずに。これってちょっと不思議よねぇ」

「……そうだな」


 眼下の街は、付近で見るのとは違った様相を呈している。一際大きな純白の建物は教会。あの向こうにある城壁が王城へ続く道。

 そして。

 数え切れないほどの、街の灯り。

 きらきらと光り輝く、生活の灯り。命の灯り。

 それはまるでひっくり返した宝箱のようで。


「私は、これを守るために魔王と戦ったのよねぇ」

「俺とヤるためじゃなかったのか?」

「それは……まぁ、忘れなさいなぁ……あの時は私だって子どもで、そんなことを言ったらカッコ悪く見えちゃうって思ってたから……」

「代わりに出てきたのが俺とヤることか。つくづく救えないな」


 当初の残念極まりない目的。グレイコーデはそれからアトリーナのことを色欲性女と呼ぶようになったのだ。……実際、旅の途中で何度も襲われたが。


「あら、心外だわ。一応これでも純潔は保ってきたほうだし、なんなら私聖女だしねぇ」

「……マジか」

「マジよ」


 グレイコーデは素で驚いた。色欲性女なのだから、てっきり男をとっかえひっかえしていたとばかり思っていたのに。

 思い出す。そういえば、アトリーナはどこか乙女気質なところがあった。白馬の王子様がいつか迎えに来るなどと本気で信じていた時期もあったとシルヴィアから聞いたことがある。


 ──それがここまでこじれるとは。


 アトリーナは相変わらず、しわくちゃな顔で懐かしむようにグレイコーデを見ていた。

 唐突に。


「──あの単細胞は、死んだのね」


 それを聞いたグレイコーデは目を見開いた。


「……どうして分かった」

「だって、あなたがあの家から離れた理由が分からないもの。あなたは、旅を止めてからはずっとあの家にいたから」


 言葉に詰まる。


「あなたが私に会いに来た理由、たしか解呪だったかしらね? 魔王との決戦でかけられた魔王の呪詛。無数の呪いが絡み合ったもじゃもじゃを私に解呪しにもらいに来た。正解かしらぁ?」


 意識した途端に焼け付くような全身に痛みが奔る。思わず顔を歪めた。そんなグレイコーデを確かめるように観察した後、彼女は言った。


「どうして、解呪を? この複雑化した呪いは別の面を覗かせて、あなたの老化を止めているわ。六十年前、あなたは不都合ないと言っていた。それがどうして?」


 背に当たる手の暖かな重み。それがそっと背中をなぞるとなぞった跡にそって鈍い鈍痛が広がった。

 グレイコーデは数多の呪いに侵されている。


【剣を持つ事を禁ずる】【戦いを禁ずる】【呪文詠唱を禁ずる】──。


 かかった幾重の呪いは六十年の間に複雑化し、絡み合って呪いとは関係ない全く新たな特性を持ち始めたのだ。


 ──【不老】


 倒した魔王の死に顔が思い出される。

 戦わずに永劫を生きろ。魔王にそう言われている気がした。

 六十年をシルヴィアと共に過ごしてきた。戦わずに、平穏を甘受して。

グレイコーデはずっと魔王を倒した年齢のまま老けることはなかった。対するシルヴィアはどんどんと老いていき、彼女は呆気なく死んだ。どんなに殺しても死なないやつだと思っていた彼女が、二度とグレイコーデに語りかけることも、笑いかけることもなくなったのだ。


「……俺に、これ以上生きる理由はないからだ」


 愛する妻に先立たれ、このままの姿で永劫を過ごす。……グレイコーデはそれこそ最も恐れていたことだった。


「あなたは『不老』でも『不死』ではないわ。言い方は悪いけれど、自殺は考えなかったのかしら?」


 聖女が国の英雄である勇者に自殺を勧めている。それだけ見れば異様な光景だっただろう。そこにあるのが、例え一握りの慈悲だけだとしても。

 アトリーナの瞳に、そっと理解の色が灯った。


「怖かった、のねぇ」

「……言うな」

「たくさんの魔物を殺して、たくさんの魔族も殺して、人間もそれなりに殺して、魔王まで殺したあなたが自殺を怖がるなんて、ちょっと意外だわぁ」


 当たりは夕闇に濡れている。すでに夜空にはいくつかの星が浮かんでいた。

 グレイコーデが苦々しく吐露する。


「何度も、何度も試した。だけど、出来なかった。死のうとすると目の前に決まって『俺たち』が立っているんだ。……『俺たち』は笑っていて、怒っていて、泣いていて……そうして最後になって俺に言うんだ。『お前の人生だ、後悔するな』……そう、言われたら……死ねなくなる。おかしいだろう?」

「……後悔、あるのねぇ」

「ああ、腐るほどにあるさ」


 歯を噛み締める。

 そうだ、後悔だ。グレイコーデの旅は後悔に塗れていた。

 勇者になってしまった。自分の何もかも上位互換な女の子を差し置いて、グレイコーデは勇者になった。それが一つ目の後悔だった。村を一つ滅ぼしてしまった。堅実に作戦を固めれば防げていたはずの魔族と魔物の襲撃。それを怠って、前線から通してしまった、通して問題ないとたかをくくっていた魔物が村を喰い尽くした。悲鳴と怨嗟がグレイコーデに向けられていたのを、彼は聞いてしまった。聖女を教会から無理やり連れ出した。その聖女はたぐい稀な治癒の腕を持っていて、彼女を頼った待ち人が大勢いた。それを、グレイコーデは踏み躙り、聖女を簒奪した。

 取り返せばいいと思うだろうか。その後悔に足る善行を持ってして、後悔を埋めればいいというのか。


 違う。


 後悔は決して埋まらない。幾ら善行を積み重ねたとしても、魔王すら倒したとしても、後悔は後悔として一生の間、人生につきまとう。

 今なら魔王の呪いの意味が分かる。後悔を永劫に積み重ねて、押し潰されろと。

 魔王の邪悪な笑みが目の前でケタケタと笑っていた。


「──脱ぎなさいな。呪いを見てあげるわ」

「……いいのか?」

「私ってこれでも人情深いのよ。昔の仲間を助けない聖女がいてたまるもんですか、ってね。ジジイの涙なんて、みっともなくて見てられないわよぉ。ほらハンカチ。鼻はかまないでね」


 グレイコーデの頬は、濡れていた。

 そんな二人のやり取りを、フード姿は静かに見つめていた。

 グレイコーデは服を脱いでいく。

 やがて上半身は完全に裸になった。冷たい外気が肌を撫でて、ブルリと震える。


「……あなたって、本当に良い身体よねぇ」


 アトリーナは舐め回すような視線を浴びせかける。

 グレイコーデは身体を鍛えることを怠った日は一日もない。細身の身体には隙間なく筋肉が張り巡らされており、脂肪のつく余地はない。筋肉は固くなく、むしろスラリと流れるほどに柔らかい。

 刀傷や火傷の痕が身体を覆い、その上から皮膚がまた覆っているため皮は固かった。


「早くしろ。少し寒い」

「あらあら、昔は赤くなっていたのに、随分と変わったじゃないの」

「もう慣れた。お前やらシルヴィアのせいでな。それに性欲はとうに枯れた」

「昔は女の子をたくさん囲ってたものねぇ」

「人聞きの悪いことを言うな。俺が愛しているのはシルヴィアだけだ」

「罪な男ねぇ」


 アトリーナに上半身のはだけさせるのはいつものことだ。治癒師として、そして薬師として、更に医者として。彼女は多くのことを知っており、またその知識をグレイコーデに教えてくれた。もう慣れている。

 アトリーナはしわくちゃの小さな指で筋肉の隙間をなぞっていく。少し力を込めた指で押される所もあり、勝手に息が漏れる。

 やがて、アトリーナは独り言のようにぽつりと呟いた。


「──……ゃく年ね」

「何だ?」

「全盛期の私でも三百年はかかると言っているのよぉ」


 思考が固まる。三百年。彼女は確かにそう言った。


「変に絡まっていたほうが近道出来たのにねぇ。この呪いはもう芸術品よぉ? 百を越える向きも方向も違う呪詛を一つに纏めてあなたの命を縫い止めてるわ。流石魔王と言ったところかしらぁ?」

「……解呪はどうなる」

「無理無理、諦めなさいなぁ。私だって流石に三百年は生きられないわぁ。むしろそれ、芸術として残しておくべきよ? 解呪なんて野暮よ野暮」


 服を渡してくるアトリーナ。

 空が落ちてくるような錯覚。夜空の闇が視界を覆っていく。


 ──永劫に生きろと、いうのか?

 ──シルヴィアがいない世界で、アトリーナももうじきいなくなる世界で。

 ──俺と親しい人物がいない世界で。


 グレイコーデは絶望に顔を伏せる。見かねたアトリーナが慌てて言った。


「まぁ、一回が限界だろうけど綻びぐらいは作ってあげてもいいわよぉ? あの奇術フェチならそれでなんとかするでしょう?」

「奇術フェチ……銀髪エルフのことか?」


 グレイコーデはぱっと顔を上げると目の前の老婆に縋り付く。

 かつての仲間。名乗らぬエルフと呼ばれていた絶境の魔法使い。


「銀髪エルフはどこにいるんだ、近くにいるのか?」

「知らないわよぉ。あいつを見かけたのが、確かに十五年前くらいだったかしら? 魔王の欠片を調べてたわねぇ」

「魔王の、欠片?」


 六十年前の仇敵が今になって浮かび上がってきた。魔王。その後ろに欠片という文字が加わっていたが。


「ああ、あなたは知らなかったのねぇ。魔王と差し違えた時、気を失ってたもの。……魔王ってねぇ、あれで死んだわけじゃなかったのよ……」


 そこで、アトリーナは言葉を止める。いつの間にか彼女の顔は蒼白でじっとりと脂汗をかいていた。今までずっと傍にいたフード姿にアトリーナは声をかける。


「ユーリ。少し、彼と二人にしてもらっても……いいですか…… ?」

「……はい。分かりました」


 フード姿は首を傾げて丘を下っていく。取り残されたアトリーナは、ぐったりとして息を荒らげていた。


「……あの子に、こんなところは見せられないわ……」

「どうした、どこか悪いのか?」


 アトリーナの震える手が、自分の胸元をぐっと掴む。


「肺を、少しやっちゃった、みたい、なのよねぇ」

「……お前が? 何か俺に出来ることはあるか?」

「あなたじゃ、何も出来ないわ……これはもっと深いものだから……もう、寿命ねぇ。長いような、短かった、ような……」

「教会に戻るぞ。話の続きはそれからだ」


 舌打ちをする。

 なぜ考えなかった。アトリーナは治癒師だ。骨がもろくなったから車椅子?

 そんなはずはない。治癒師ならば、骨を抜かれても再生できる。骨を強くすることなど造作もないはずだ。なら、車椅子に座る本当の理由は──。


「運動不足。骨がもろくなった。……ぜんぶ、ほんとよ。……私、魔王を倒したとき、頑張り過ぎちゃったみたいでねぇ……魔力、もう練れないの。治癒師としての魔法も使えないし、生きるのに必要な最低限の魔力も取りこぼしちゃうのよ……ほんと、やぁねぇ……」

「アトリーナ?」


 そう言って、アトリーナは沈黙した。苦しげに呻く息。震える身体。目を覚まさない。

 何度呼びかけても、意識を取り戻す気配はない。


「──アトリーナ様? アトリーナ様ッ!!」


 疾風のごとく現れたフード姿がグレイコーデを押しのける。


「……意識、失って、にごってる。……筋肉、ふるえて、とまらない。……魔力、足りない。……離れて」


 フード姿がアトリーナの車椅子を握った。


「アトリーナ様から離れてッ!」


 聞いたことのないような大きな声をフード姿は叫んだ。放たれる眼光が鋭くグレイコーデに突き刺さる。……シルヴィアと同じ、深い紫色の瞳だった。


「アトリーナは助かるのか?」

「……今すぐに、教会に戻れば……助かる、けど」


 しかし、ここは王都と郊外の間にある丘の上。今すぐに戻っても助かるかどうか分からない。

 ならばとグレイコーデは決意を固める。


「俺に任せておけ」


 グレイコーデは車椅子からアトリーナを抱きかかえた。その身体は想像を絶するほど軽い。


「何をするつもりで──」

「下がっていろ」


 空踏術。人が単身で空を渡るすべ。かつての仲間、ライゼンタークから教わった絶技だ。

 魔力を身体に循環させ、全身に力を込める。久しく使われていない回路に火が通ったからなのか、全身が軋み、身体の節々が焼けるように痛み出す。

 気づけば、グレイコーデは汗をびっしょりとかいて息を荒らげていた。


「グ、ア……ッ!」


 魔力が身体を巡り、濁流のごとく流れる。身体のあらゆる『傷』を無視して、強制的に活性化させて動き出す。灼けた鉄を身体に注ぎ込み、かき混ぜるような激痛。

 魔王との決戦以来、動いていなかったいくつかの臓器が、悲鳴を上げて動き出した。

 動かしていなかった筋肉は断裂し、身体の内側で響く。


「───」 ──赤。血か。


 両目から滴り落ちる血の涙。過負荷に耐えきれずにどこかの血管が千切れたのだろう。

 だが、そんなことは関係ない。


 今はただ、空を渡るのみ──。


 魔力に共鳴した身体が、かつての動作を模倣する。

 一歩。そして、もう一歩踏み出した瞬間。


 ズバンッ。


 石畳はグレイコーデから円状に砕け、アトリーナと共に宙に投げ出される。……荒い。シルヴィアならば、一歩目で天高くまで飛んでいた。

 角度を調節し、三歩目で大気を踏み台にして、鋭角に身体を飛ばす。

 空を渡れば、教会など直ぐに着く。


最期、思い出の場所へ行きたかったのでしょうか。

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