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旅路のなかのグレイコーデ  作者: 紅葉
第一章 大聖堂の聖女
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第一話 『老いた聖女』

一章はヒロイン?との出会いです。

 王都からそう離れていない街、聖堂街。


 そう呼ばれている都市の中央教区広場にて、古くに建てられた銅像があった。

 青年が剣を突き上げている像だ。その服装はきらびやかで、風を受けているようにはためいている。その眼光は鋭く、顔の造形は雄々しくも美しい。


『我、ここに帰還せり』


 掘られた碑文も単純ながら、万感の思いを込めて丁寧に彫ったのだろう。記録に残る勇者の手紙と違い、明らかに達筆だった。

 これは、魔王を討ち果たした伝説の勇者を象った銅像。

 灰色の髪を短く切り揃えた壮年の男がそんな像を見上げていた。


「まだ、残っているのか」


 思わず息を漏らした。

 この像が建てられた時のことを男は良く知っていた。細工師に頭を下げてまで美型を追求し、呆れられた仲間たちの顔が浮かぶ。その下の碑文も一度自分で彫ったものの納得がいかず、字の綺麗な仲間の手を借りて彫ったものだった。

 当時の真実を知る男は衛兵の熱弁に、どこかやるせない気持ちで見つめていた。

 衛兵に教えてもらった通りに道を確認し、歩を進める。


「随分と街並みが変わっているな」


 ぽつりと呟いた声は、雑踏の喧騒に溶けて消えた。



 教会の門扉を叩いたのは、数時間前。

 男は教会の受付に列を成している人々の間に立って並んでいた。

 この国における教会というのは、祈るだけの所ではない。冒険者の怪我を癒やし、巡礼に訪れた信者たちの記録を行う組織である。

 聖堂街の教会は大きい。この国で二番目に大きな教会であるからこそ、人も集まってくる。

 粗暴な冒険者や敬虔な信徒がこうも入り乱れている場所を、男は教会以外に知らなかった。


 受付のシスターに様々な要求が飛ぶ。


 ──祈りを捧げる機会を与えてください。足の持病を癒してくれないか。仲間の傷を治してくれ。巡礼者の記録を見せてくれ。予定空いてねぇか、この後飯でも──。


 男の順番がようやく来た時には、すでに多くの時間を並ぶのに費やしていた。

 受付のシスターは年若い穏やかな雰囲気を持つ女性だった。見た目とは裏腹に、激務と名高い教会の受付という職をこなすほどには実力があるのだろう。


「本日はどうなさいましたか?」


 凛と響く疲れを感じさせない声に、男は端的に応えた。


「人探しだ」

「申し訳ありませんが、人探しは衛兵詰め所の担当ですので──」

「アトリーナと面会したい」

「えっ……」


 シスターの瞳に困惑の色が深く滲み出る。


「アトリーナさん、というのは……」

「シンメリー・サリエル・アトリーナ。昔に聖女をやってた女だ。彼女に会いたい」


 途端におろおろと周りを見渡し始めるシスター。その様子に気づいたのか、受付の奥にいた他のシスターが集まってくる。


「薬水の聖女アトリーナ様に会いたいという者は貴方ですか?」


 やがて、最初とは違うシスターが男に話しかけた。愛想笑いの一切を排除した薄ら寒いほどの対応だった。

 薬水の聖女。いつの間にそのような大層な号を教会からもらったのか。彼女の人柄から受ける印象と合わせて考え、男は首を傾げる。

 シスターの言葉が続いた。


「要件は何でしょうか」

「解呪だ」


 男より僅かに低いシスターの瞳が冷ややかな光を帯びる。


「困るんですよ、そういうの。確かに聖女様に解けない呪いなどありません。なにせあの勇者様に付き従った方ですから、当然の事です」

「ふむ」

「ですがね。幾ら解けない呪いがないとしても、聖女様は一人の人間なんです。貴方が治してもらったとしても、次は? その次はどうなるんですか? 一人治したなら私だって……そうやって国中の呪いが集まったら?」

「ありえない話ではないな」

「……ですので、王族かそれに類する地位の者でないとアトリーナ様にはお会いできません。申し訳ありませんが、お帰りください」


 ぺこりと頭を下げるシスターに、男は感心した。

 聖女という記号だけではなく、アトリーナという一人の人間を見据えてのこの対応。


  ──教育の賜物か。


 教会はそう頭が柔らかくはない。その教育を授けた人物は、薄々予想がつくが。

 男は彼女を思って小さく笑った。


「──グレイコーデだ」

「……はい?」

「グレイコーデが会いに来たと伝えてくれ。これが、俺の身分証明だ」


 そう言って、男はぼろぼろに朽ち果てた金板を取り出す。それは冒険者組合が発行している一種の勘合だ。自分の血印を魔力の込めた金板に念写することで、絶対的な証明となる。

 そんな身分証明には、掠れた血印文字で名が刻まれていた。


 ──グレイコーデ 専任職【暗灰】


 それは、六十年前の伝説。勇者を示す証明。


「…………」


 シスターは金板を凝視して目を見開く。目の前の男と金板を目線が上下する。


「……グレイコーデさん、ですか?」

「ああ」


 シスターはしばらく頬に手を当てて思案する。やがて、男に向き直った。


「失礼ですが、どなたでしょうか?」


 予想していなかったシスターの受け答えに、思わず男は声を漏らす。


「……ふむ」

「後がつかえているので、少々お待ち下さい」


 そうシスターは答え、男の背後の列に向かって声を張り上げた。


「おまたせしました、次の方どうぞ!」


 奥から複数のシスターが走ってきて列から退かされる。

男は目を瞑り、これからどうするべきかと考えを巡らせていた。




 連れてこられた先は教会の奥にある小さな礼拝室。主な用途は信徒の懺悔や祈りを神に届けるために使用されている。

 真摯な形で祈りを紡いで欲しい。とのことなので、部屋は狭く天窓から光が差し込むのみ。防音素材の壁は外界からの音を遮断する。

 祈りのための部屋だったはずだ。そうであるべきだ。少なくとも男の記憶にはそうあった。


「審問官を担当している者だ。貴方には現在、身分証の偽証とそれに伴う窃盗が疑われている」


 目の前には赤黒い修道服を身に纏った女が座っていた。その隣には純白の修道服を着た女が黄金の天秤を持って立っている。赤黒い修道服は教会に所属する審問院。純白の修道服は法を管理運営する法事院。

 ……完全に咎人扱いだった。


「理由を聞いても良いだろうか?」

「グレイコーデと呼ばれる者が過去に血印を押したことはその金板が証明している。だが、その者が身分証を作ったのは、六十年余り前のことだ。あなたの外見上、長命の種族──エルフやドワーフ、ドラゴニアには見えない」

「確かに俺は純正の人だ」


 ちらりと審問官は法事院局員を見る。


「真実です。【看破の法】より、彼が嘘をついていないことを認めます」

「ならば、それが何よりの証拠となる。あなたはグレイコーデという人物から身分証を剥ぎ取り、あまつさえそれを自分の身分とした。到底許される行為ではない。……それに、あなたの姿は若過ぎる。その金板に残された記録によれば、彼は八十を越えているはずだ」


  ──なるほど。それで彼女は俺を疑っているのか。


 確かに六十年前に身分証を作った人が壮年の姿で現れたら、それは気味が悪いし、何より窃盗を疑うのも無理はないだろう。男の顔の老いは、確かに八十歳にはいささか足りない。

 だが、前提が違うのだ。それを彼女らに教えてやらねばならないだろう。


「反論があるならばこの場でどうぞ。彼女の持つ真実の天秤が全てを映すだろう」

「ふむ。ならば。──俺の年は八十四歳。グレイコーデという名を生まれた頃より大切にしていた。先代の王より【暗灰】という号を賜った勇者であり、仲間であるシルヴィアと共に添い遂げた一人の男だ」


 たたみかけるように、男の言葉が流れる。


「……勇者……?」


 その後には、静寂のみが残った。審問官は困惑を傍にいる法事院局員に向けるが、真実の天秤は動かない。法事院局員も驚きを隠せず、口からは無音の空気の塊が吐き出される。

 真実の天秤は、暗に男の言葉は全て真実であると証明していた。

 やがて、震える声が沈黙を破った。


「し、真実です。【看破の法】に誓って、彼は嘘をついていません……!」


 わなわなと唇を噛み、審問官は吠えた。


「ありえない……ありえないだろうッ! 外見の若さは禁術を一つや二つ施術すれば手に入るが、しかし……いや、例え勇者だとしても、すでに死んでいると確かに聖女様は……」


 尻すぼみになって消える審問官の言葉が彼女の混乱を表していた。その様子にグレイコーデは一抹の疑念を覚える。


 ──死んだことにされていたのか?


 真実をあぶり出す【看破の法】を持った法事院と歴史記録を行う教会が、勇者が死んだことを信じ切っている。外部からもたらされた情報では、ここまでの真実を覆うことなど出来ないはずだ。教会内部、あるいはもっと深くの人物が情報を流したに違いない。

 こんなことが出来る人は。


「グレイコーデ」


 施錠されていたはずの扉が静かに開かれる。

 その奥には車椅子に乗って男── グレイコーデを見つめている老婆の姿があった。

 長い金髪は色を失って、白金色にくすんだ短髪に変わっている。越えていたはずの背丈は小さく縮み、今ではグレイコーデよりも小さくなっていた。顔には無数のシワが刻まれており、若い頃にはなかった威厳と貫禄が感じられる。


「歳を重ねたな」

「そちらは、少々格好良くなりましたか?」


 老いで変わってしまった身体の中で、唯一瞳だけは以前と変わらず緑色に濡れて、グレイコーデの姿を映していた。

 ゆったりとした神官服が揺れる。


「久しぶりですね、グレイコーデ」

「本当にな、色欲性女」


 グレイコーデの旅仲間。勇者パーティの治癒師。回復魔法の師匠。──シンメリー・サリエル・アトリーナ。

 アトリーナはゆっくりと細い指を組み替える。車椅子の横には、フードを被った子どものような背丈の人物が静かに佇んでいた。


「少し街を見て回りませんか? ……お願いしますね」


 アトリーナが見やるとフード姿はコクリと頷いた。


 ──弟子だろうか。


 一瞬思考の端に浮かんだ単語に、グレイコーデはありえないと一蹴する。アトリーナは弟子など取れる器ではない。

 ローブ姿を見つめるグレイコーデに、アトリーナは寂しそうに微笑む。


「人は変わるんですよ。いつだって」

「……そうだったな」


 二人のやり取りを見ていた審問官が、アトリーナが姿を現した時から中途半端に浮かべていた腰が耐えきれずに椅子に落ちた。聖女は審問官を一瞥した後、グレイコーデに視線を移して笑った。


見違えた聖女……。

あれ、ヒロインとの出会いは……?


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