第五話 『忘却』☆
昔の話だ。
夜闇に二人で揺られていた。
グレイコーデと銀髪エルフ。彼らは二人で地下遺跡へ続く道へと向かっている。
「覚えているかい? ここから先は僕たちが介入出来る権利はないんだ」
「分かってる。だけど、せっかく『人の聖杯』なんて大した物を見たんだ。このまま起動するところを見届けないで街を離れるのはもったいないと思わないか?」
グレイコーデたち勇者パーティはシアの街で学者団体の仲介役として動いていた。
『人の聖杯』──この絡繰りが上手く動けば、この街の水不足、ひいては世界を救う事になる。
まだ大した功績も持たなかったグレイコーデたちに仲介役としての仕事が舞い込んできたとき、引き受けると即決したのも当然の選択だった。
「……まったく。『愚かな好奇は信仰に勝る』なんて良く言ったものだね。これだから人の仔は」
「出たな。ハイエルフ様の人間差別」
「何を言う。僕が一番多く弟子を取ったのは人の仔だ。現に三十年前に一人弟子を取ったけど、彼女も人の仔だよ。僕は人を愛しているのさ」
思ってもいないことを吐くハイエルフ。いっそ清々しいほどだ。昨晩のスープに魚の小骨が入っていたくらいで人という種全体を散々こき下ろしたのはグレイコーデの記憶違いか。
「……三十年前ね。お前は一体何歳なんだ?」
「ふむ。神が『この箱庭』を作ったのは十二億年前のことだ。最初に竜を。次にハイエルフを。つまり──」
「あー、はいはい。真面目に答える気がないなら先に言ってくれ」
依頼期間は『人の聖杯』を起動するまで。
しかし、『人の聖杯』の予備実験を行う前日になって勇者パーティは仲介役を下ろされた。
仕事分の金は渡された。これは暗に「これ以上は仕事分ではない」と言っているようなもの。
グレイコーデは反発した。『人の聖杯』を設計した夫婦の笑顔が仲介役を勇者パーティに依頼したときの笑顔が忘れられなかったためだ。
そうして今、グレイコーデと銀髪エルフは『余計な事』に首を突っ込んでいる。
「それはいいとして、僕はもう弟子を取らないことに決めたんだ」
「どうして?」
「僕が弟子に取った人の仔は、堕落するんだよ。一人の例外も残さずに。歴史書に書いてある悪い出来事の半分以上が僕の弟子が引き起こした災厄だった」
「……マジか?」
「大マジだよ。だからこんなにへこんでるわけ。ちなみにそれは昨日、図書館で知った」
「シルヴィアの言うところの『闇堕ち』ってやつか」
「そのとーり」
目の間の銀髪エルフが肩をすくめる。割と大きな事実を話したようで、しかし目の前の銀髪エルフからは、まったく緊張感が感じられない。歴史書に載っていたほどの災厄だ。何人の家がなくなったか、何人の暮らしが奪われたか、何人の命が散ったか。それを頭の良さが極まってクソガキになってしまった銀髪エルフならばよく理解しているはずなのだ。
自分が災厄を直接起こしていないことなので興味がないと言われればそれまでなのだが……。
「お前は放任が過ぎるからなぁ……」
「みんな最初は甘えてくるんだけど、十年ぐらい傍にいないとすぐに拗ねちゃうんだ。「裏切り者がぁー」とか「見捨てたくせにっ」……とか色々と言われちゃって」
「……十年はちょっとじゃないし、そんな飽きた玩具をほっぽり出すみたいな言い方されても。それで歴史書に載るような災厄を引き起こすんだろ、お前の弟子は? ……バカじゃねぇのか?」
「寂しがり屋なのかなぁ」
「お弟子を取ったのならば最後まで面倒を見ろって、俺は言ってるんだよ」
このハイエルフは魔法使いとして神の被造物だから当たり前だが、真の意味で天賦の才がある。それに他のハイエルフたちと違い、比較的接触はしやすい部類に入る。
他のハイエルフは、「教会の宗主をやっている」やら「星の底に潜った」やら「箱庭を破って神に消された」やら……銀髪エルフが言うには「魔王」も元はハイエルフだったらしい、と色々ある。
そんな無茶苦茶な連中の中で比較的まともなのが、この銀髪エルフなのだ。そして、銀髪エルフは弟子を取ることも有名だった。
本人談によれば、その弟子は一人残らずまともな目にあってないらしいが。
「いいや。いい加減懲りたよ。もう僕は弟子を取らない」
「と、言いつつ現在進行形で俺とシルヴィアには魔法を教えているけどな。そこのところはどうなんだ?」
グレイコーデとシルヴィアは銀髪エルフに魔法の手ほどきをしてもらっている。このエルフの言葉からするとグレイコーデたちも堕落する素質を持っているように思えるが。
「俺が闇堕ちしたらどうするつもりだ? 俺ならまだしも、シルヴィアが闇堕ちしたらやべぇぞ。勝ち目がない」
「君たちはそうならないよ」
「それはまたどうして?」
「君たちは僕の弟子じゃない。仲間なんだ。だから信じられる。こうして僕は魔法収集をしながら付き合っていられる」
銀髪エルフは二つの月明かりを髪に透かせて、微笑んだ。
線の細い顔に整った目鼻立ち。絶世の美少女あるいは美少年という容姿。神によって整えられた人を超える美貌。そんなものに微笑みかけられたら、心が揺れるだろう。……普通の人ならば。
「……くっせぇ。お前は奇術フェチらしく大して使い道のない魔法にだけ興味を持てばいいんだよ。ハイエルフなんか関わり合いにもなりたくねぇ」
「ふっ、中々に厳しいね。いっそ肉体関係を持つのも悪くない選択肢だとは思わない?」
くくくっ。と銀髪エルフが喉奥で笑う。それを冷めた目で見下ろしながらため息をついた。
「ったく。お前の弟子がなんで堕落したのか分かったような気がした。すまんが、穴のねぇ奴に興奮できるほど俺は偉大じゃないんでね。アトリーナで我慢してくれ」
「あの子は少し、ねぇ……魔法の力って偉大だよ? 穴程度どうとでもなる」
「本気で止めろ。お断りだ」
神の被造物と云われるハイエルフ相手に下卑た話ができる勇者という立場。甚だ疑問に思えてくる。
「そろそろ行くぞ」
「分かってるよ」
グレイコーデたちは馬車から降りて、身を隠すために黒い外套を羽織った。そしてシアの街の地下遺跡に通じる階段を下りる。
階段の傍に流れる水路は下から上へと流れていた。まるで幻覚を見ているような気分になるが、これがシアの街の地下遺跡なのだ。更に下りれば、滝が下から上へ落ちていくという非常識な光景すら見れる。
『神の聖杯』から永久的に湧き出す水だ。地下水源の無いこの街の生命線。これを巡って争いが頻発している。その争いを終わらせるために『人の聖杯』は作られたのだ。
今夜、街は変わる。ひいては世界が変わる。
それを見届けねばならない。魔王と戦う勇者という英雄の他にも、戦わずして英雄となるあの二人を見てみたい。
はやる気持ちを抑えて下っていくと、銀髪エルフの小声が耳に入った。
「誰か来るよ」
階段を登ってきたのは、一人の女だった。
端正な顔立ちだった。寂しそうな無表情ではあるものの笑えばきっと美しくなる、そう確信する。その証拠に瞳には人を惹き付けるような魔力を持って、前を毅然と見据えていた。
赤と白で樹木を象った学者服はグリモティアの証だ。
ふわりと古い本のような香りがした。
すれ違った際にちらりとこちらに視線が向けられ、やがて興味を失ったように上って行った。
「驚いた。ここにいたんだ」
「知り合いか?」
銀髪エルフは感慨深げに息を漏らす。
「三十年くらい前に取った弟子だよ。結構出来のいい弟子だった」
「……三十年前だと? あの女、まだ二十にもいってないように見えたんだが」
「禁術に手を出したのかもしれないね。ほら、女にとって美は永遠の課題だって言うから。禁術は魂なんかを削るんだ。あれ痛いから僕はやらないし、そもそも不老だから僕にはいらないけど」
「……お前なぁ」
呆れた視線を送るが銀髪エルフはつゆ知らず。
「関係ないよ。今は君たちがいるもの。さて、『人の聖杯』とやらを見にいこうか」
先ほどの弟子には興味を失ったように、階段を下ってしまう。そんな銀髪エルフにどこか薄ら寒いものを感じて、グレイコーデは訊ねていた。
「なぁ、さっきの人の名前ってなんていうんだ?」
その質問に顔すら向けずに銀髪エルフは答える。
「ん? 忘れたよ、そんなこと」
古来よりエルフの感覚は人と違うといわれている。寿命が人とは違うため、人と人との関わり合いをあまり重要視しないという。
エルフでそれなのだ。
ならば、世界創世の頃より星に在ったと云われるハイエルフの感覚は、人のものより根本的に違うのではないのか。
隣で銀髪を揺らす存在が、急に得体の知れない化け物のように思えてしまい、気づけば足を止めていた。
「……なら、俺たちのことも忘れるのか? 一緒に旅をしてきたことも忘れるのか?」
「う〜ん、忘れないで欲しい? 僕も忘れたくはないんだけど、忘れちゃうんだよね。物忘れって気をつけていても中々直らないでしょ? それと一緒だよ」
「物忘れなんかで、俺たちとの旅を忘れるのか」
ゆっくりと呟く声にようやく銀髪エルフはこちらに顔を向ける。その表情は底の読めない笑みに覆い隠されていた。
「そういうものだよ、人間なんて」
『人の聖杯』は失敗した。
グリモティアは壊滅した。
銀髪エルフは──ハイエルフは、最後まで燃え盛る炎を見ていただけだった。
銀髪エルフは本当に人を愛しているのでしょうか。……きっと、愛してはいるでしょうね。
愛の形は、人それぞれですから。
次回の第六、七話は同日投稿します。
いよいよ第二章もクライマックス!