第三話 『焼き払われた旗』
発掘隊の居住施設から出たグレイコーデの眼下に広がるのは、巨大な迷宮のような地下遺跡だった。岸壁にそって滝は上へ登っている。水源の遺物から湧き出た水だ。遺物の力で水を壁に走らせているのだ。
金属と石材が接合された今では見たことのない技術を使った構造体が、立体的に絡み合っている。まるで生物の血管、もしくは内臓のようだった。
「まるで夜空だ」
「ああ。俺たちが作り上げた夜空さ」
各所には魔石灯やらここと同じような居住施設が地下遺跡に点在している。それは、地下ゆえに光が届かないこの場所を星の光のように彩っていた。
「ここはシアの街の心臓だ。この街は地下遺跡がなければ生まれなかった。百五十年経った今でも地下遺跡の深くにはまだ未発見領域が残されている。数々の遺物と古代の技術がシアの街の血となって、街に暮らす人々を生かしているんだ」
「なるほど。地表の街は変わったが、心臓は全くと言っていいほど変わらないな、この街は」
「……?」
「こっちの話だ」
シアの街は六十年前と比べて、天幕街は閑散としている。だが、学者団体が目をつけているこの地下遺跡調査だけは更に発展することはあっても、衰退することはなかった。
あの醜い、街を二分するような戦いの後でも、変わらずにシアの街の心臓は動き続けていたことをグレイコーデは思い出す。
そして、その心臓から追放された一つの学者団体のことも。
「ヒストリア──いや、グリモティアの追放の原因は街に伝わっているのか?」
「どうしてまた……いや、レイツェルから色々と話を聞いているんだっけか、あんたたちは」
「ああ」
息を吐いて、吸う。
「水源の遺物──『神の聖杯』の独占を巡った数多の争いが下地にあったとよ。その争いを収めようと、グリモティアが立ち上がったんだ。そいつらは『神の聖杯』を解析し、新たに造ろうとした。水を無尽蔵に生み出す、新しい聖杯──『人の聖杯』を」
『人の聖杯』。それを作り出す計画は六十年前に行われた。
この先の結果をグレイコーデは知っていた。当事者として勇者パーティはこの計画の護衛役としてすぐ傍にいたのだから。
「だが、『人の聖杯』は失敗作だった。それを知られなくなかったグリモティアは独自兵力をもって事実の隠蔽を図ったのさ。次々と対立していた学者団体の団員が暗殺されていく。ついに街はグリモティア以外の学者団体を統合して、グリモティアを一斉に弾圧、シアの街から追放したんだ」
おおよそグレイコーデの記憶の中の事件と合致している。グレイコーデたち勇者パーティは六十年前、学者団体の仲介役として地下遺跡に足を運んだことがあった。
学者団体同士の争いがあれば、それを止めるようにと。
しかし、ある日街は学者団体と勇者パーティとの干渉を禁止して、シアの街から勇者パーティを追い出した。
不審に思ったグレイコーデは銀髪エルフと共に 地下遺跡に潜入すると、そこでは徹底的なグリモティアの弾圧と追放が行われていたのだ。
剣と弓に急き立てられるように、悲鳴を上げながら逃げ惑うグリモティアの団員たち。一人、また一人と潰され、グリモティアを象徴する旗に火がつけられた。
グリモティアの居住施設は建設用の絡繰りによって粉々に打ち砕かれ、団員たちは火に包まれていく自分たちの『家』を檻の中から眺めることしか出来なかったのだ。
グリモティアの隠蔽工作があったかどうかは分からない。街の言うような暗殺事件が本当に起きていたのかも分からない。だが、目の前で家を焼き払われたグリモティアの憎悪と涙は本物だった。
グレイコーデはそんな光景をその目で見ていた。何度も弾圧の現場に飛び出そうとし、その度に銀髪エルフに押さえつけられた。
『これは、彼らの問題だ。僕たちに手出しは出来ない』
銀髪エルフの瞳には、あの炎はどう映っていたのだろうか。
結局のところ、最後まで訊ねる機会は訪れなかった。
「レイツェルはなぜヒストリアを追放された。彼女はグリモティア、それにヒストリアへの忠誠心を持ち合わせていると俺には見えるが」
「……グリモティアから分化したヒストリア。名乗らぬエルフの弟子と自称するクソッタレ女のせいだ。クソッタレ女は、ヒストリアを変えちまったんだ」
ルドヴェルは顔をしかめて。
「レイツェルは正真正銘この街の落し子だ。いつだって前を向いて、むちゃくちゃなことをしやがる。あいつは単純なんだ。人を憎むことがどういうことがまるで分かっちゃいない。自分をヒストリアから追放したクソッタレ女のことさえ、憎んでいないんだ」
それと一転して、苦々しげに歯を噛み締め、憎悪を込めた声色で吐き捨てた。
「ヒストリアは変わっちまった。あのクソッタレ女──ヒストリアの団長ユリアーカの魔物と魔族の研究のせいでな」
「魔物と魔族の研究だと……!?」
──まだそんな研究をしているところがあったのか。
いにしえの時代より多くの国で禁忌とされている魔物と魔族の研究。魔物の兵器化や魔族の凶暴化など様々な分野に及んだそれをグレイコーデ率いる勇者パーティは何度も叩き潰したものだ。
それが、まだ存在していたとは。
「『神の聖杯』から湧き出す水を毒に変えたのが、ユリアーカだ。『神の聖杯』のある区域に魔物をばら撒いたのもユリアーカだ。あのクソッタレ女は、この街を殺したんだ。今も他の学者団体が水に竜骨花を混ぜているが、もう限界さ。日に日に毒は強まってきている。その毒は動物を魔物に変えちまうんだ」
ルドヴェルはグレイコーデに向かって上着をはだける。
その身体は、黒く焼け焦げたように縮れていた。骨と筋肉が浮き出しており、微かに白い獣毛が見える。
既視感。
「これは」
「人間も一緒さ。地下遺跡から湧き出した水を長い期間飲めば、こうなる。魔族になっちまう」
既視感の正体はユーリの身体だった。人間が魔族になった、その身体。違うところは、角と魔族の紋様がないところだ。
「レイツェルも、同じか?」
「……いいや。レイツェルは違う。あいつには街の外から取り寄せた水だけを飲ませている。そのせいで俺の給金はすっからかんだ」
ルドヴェルは笑った。
「……では、街の皆の身体は」
「ああ、そうだ。シアの街はもう魔族の街なのさ。だってそうだろう? 街の水源は一つしかないんだから」
「聖堂騎士団が黙ってはいないぞ」
教会の教えは魔族を許さない。グレイコーデの魔族殺しの義務感も元は教会から与えられた使命をこなすうちに生まれたものだ。その教会が擁する騎士団──『聖堂騎士団』の魔族の排斥はグレイコーデよりも先鋭化している。
魔族を匿う村は焼き尽くされ、魔族と接触した者には浄化と称する苛烈な拷問を行う。
魔族を憎むグレイコーデさえ、聖堂騎士団の狂気としか思えない所業に目を背けるほどだ。
「次の視察隊はいつ来るんだ?」
「いや、視察はもう来ない。次に来るのは征伐隊だ」
「……何?」
「シアの街がどうやって教会から逃れていたと思っているんだ? ……そうさ。一番簡単で単純で、取り返しのつかない方法で逃れてきたんだ」
グレイコーデは思わずうめき声を漏らした。
「視察隊を、殺したのか」
──なんて馬鹿なことを。
そんなことをすれば、聖堂騎士団の本隊が黙ってはいない。魔族でなくとも魔族とされて焼き払われる。そんなことをやってきた集団なのだ。
そんなことをすれば、間接的に自分の首を絞めるものだとなぜ分からない。
──いや、まさか。
「視察隊を殺したのは、俺たちじゃねぇ。視察隊の死体がシアの街に届けられたんだ」
「何だと……」
「こんな悪趣味なことをやる人間はヒストリア団長ユリアーカだけだ。あのクソッタレ女は街そのものをはめたんだ」
忌々しげに吐き捨てる。
「そのユリアーカは今、どこにいる」
「知らねぇよ。街に隠れているか、もう逃げ出したのか」
ヒストリアは魔物と魔族の研究をしていた。
水源を汚染し、町の人々を魔族に変えた。
視察隊の死体をシアの街に届けて、聖堂騎士団の大義名分を作った。
その執念はもはや魔族のそれだ。
「皆が助かる方法は、無いのか」
「なら聖堂騎士団の征伐隊を皆殺しにするか?」
戯けた口調をばっさりと切り捨てる。
「……馬鹿を言うな。あれは一種の戦争兵器だ。魔族に故郷を滅ぼされた人だけを集めて、その憎悪を全て殺意に変える。そうして魔族特攻の武器を持たせて効率的に『魔族とされたもの』を殲滅する。……あれに勝てるのは魔王軍の四天王か、国の総力ぐらいだ」
それを聞いて、ルドヴェルはにへらと緊張感の無い笑みを浮かべた。
「ははっ、だよなぁ。というか、グレイコーデはやけに詳しいな。聖堂騎士団に昔いたのか?」
「……あんなのに俺を入れるな」
「おっと、すまねぇ」
ヒストリア団長のユリアーカ。彼女が街を滅ぼした元凶と考えれば、街の皆からあれほど恨まれている筋も理解できる。
魔物と魔族の研究。それを魔王亡き今行い、彼女はどのような成果を得たのだろうか。
「……聖堂騎士団に喧嘩を売るってのは冗談で、助かる方法っていえば、ヒストリアの本部に押し入ってユリアーカの研究を元に魔族から人に戻す方法ってのを見つければいい」
「…………」
可能性としては、大いにあり得る。人を魔族にできるならば、魔族を人に戻すのも出来るように思える。そうして街全体が魔族から人に戻り、街を捨てて近くの集落に駆け込めば助かるだろう。いくら聖堂騎士団といえども殺す相手がいなければ殺せない。
街は燃やされるかもしれないが、シアの街は天幕の街。被害は少なく、また街の心臓は地下にある。
「ヒストリアの本部はどこだ」
「地下遺跡の一番奥。今は魔物が彷徨いている禁止区域の中にある。昨日、禁止区域の立ち入り制限が無くなったから魔物にさえ気をつければ普通に入れると思うぜ」
「昨日……? それは、匂うな」
昨日解放された立ち入り制限。聖堂騎士団の足音が迫ってきているこの時に、だ。
罠かもしれない。だが、行くしか道はないのだ。
「それに、レイツェルもヒストリア本部に用があるんだってよ。明日行くってどうしても聞かねぇから、そんときに街を救う方法を見つけようぜ」
「レイツェルが?」
そこで出てきたあの金髪少女の名前。彼女はルドヴェルの懸命な計らいにより、魔族になっていないはずだ。それに彼女に魔物との戦いがこなせるとは思えない。
「何でも、両親の遺産を回収しに行くんだとよ。あいつの両親はヒストリアの重役だった。父親は団長で、母親は……まぁ、難しいが言ってしまえば発明家っていう人だった。あの『人の聖杯』を作ったのは母方の先祖だって言えば分かるか?」
「ああ。とんでもない人物だということは」
『神の聖杯』という水を生み出す遺物を解析し、その複製を作り上げたのだ。世が世なら大天才として世界中を渡り歩いただろう。だが、六十年前は魔王がいた。海路は封鎖され、陸路も魔物に侵されていた。人は魔の恐怖に怯え、国交などできる状態ではなかったのだ。
魔王を倒した今なら──そう、思ってしまう。
「結局のところ『人の聖杯』は失敗作だった。グリモティアは解体され、団員は迫害されてバラバラにこの街から逃げ出した。その研究をヒストリアは受け継いで、レイツェルの母親がついに完成させたんだ」
「すごいな。英雄じゃないか」
戦わずして英雄となる。死の上に積み上がった功績を英雄と呼ぶならば、戦わずして人を救った英雄は、天使と呼ぶべきか。
レイツェルの母は正しくそのような存在だったのだ。
「……そこにあのユリアーカだ。あいつがレイツェルの母親の功績を全て塗り替えた。名乗らぬエルフの弟子という称号と魔物と魔族の研究という禁忌の産物によってな。あいつが赤ん坊の頃に両親が不審死を遂げた。ユリアーカが団長になった今のヒストリアでは、過激な研究と倫理を無視した実験を繰り返して、ついに水源を穢して毒に変えちまった。だからヒストリアは街に恨まれてんだ」
「レイツェルが自分のことを副団長だと言っているのはどういうことだ」
「昔の話だ。両親がいた頃の冗談をそのまま覚えていて、今も言っているんだ。父親に言われた「もしちゃんとした歳になって私が団長なら、おまえが頑張れば副団長にしてあげるさ」って冗談をよ」
グレイコーデは息をついて、黙り込んだ。
レイツェルの過去は、この街の醜いところと美しいところを両方映している。
それでも真っ直ぐと憎しみを知らずに育ったレイツェル。彼女を育て上げたのは、目の前にいるこの男なのだ。
「ルドヴェルはそれでいいのか? 育ての親の言うことを聞かずに、両親の遺産などという幻影に向かっていくのを止めないつもりか。魔物に喰われるかもしれないんだぞ?」
ルドヴェルは、そんなグレイコーデの言葉に悲しそうに笑った。こんな大男がそのような顔をできるのかと不思議に思うほど繊細な表情を作る。
「俺はな。レイツェルに向かっていくら頑張っても、他人なんだ。本当の両親はあの二人だけだ。赤ん坊の頃から面倒を見ていたって、本当の親になれるはずがねぇんだ」
「ルドヴェル……」
「そりゃあ、もちろんレイツェルのことは愛している。俺の娘だって思ってるし、あいつが嫁に行く時は死ぬほど泣くだろうよ。……けど、あいつにとって俺は他人なんだ。両親の遺産……『人の聖杯』はすげぇ代物でよ。街を救えるし、世界だって救えるかもしれねぇ。けどよ……けれどよ……『その程度の代物』に負けるのが『ルドヴェル』っつー男なんだよ……っ」
それは、親になろうとするものの言葉だった。
いくら届かなくても、手を伸ばそうと足掻き続ける親の言葉だった。そうして足掻いて藻掻いて、届かなかった男の言葉だった。
「だから、行かせてやるのさ。俺には、レイツェルを止める権利なんてねぇんだ。みっともねぇところ見せて悪ぃな」
最後の自嘲は虚しく宙に消えた。
足掻くことすら出来なかったグレイコーデはルドヴェルを慰める言葉を持たなかった。
「……よそ者の俺たちも同行して良いのか?」
ヒストリアのユリアーカは気になる存在だ。あの銀髪エルフの弟子と自称し、魔物と魔族の研究をしている──無視できるわけがない。
魔族を人に。
それを利用すれば、ユーリにだって救いの道はあるかもしれない。
そう考えた矢先だった。
「だってよ。お前の連れているユーリも俺たちと同じで……必要なんだろ?」
何気ない呟きにグレイコーデの思考は固まった。
「……ユーリは、人間だ」
「そうさ。『人間』だから必要なんだろうが」
「……」
ルドヴェルはにやりと笑って。
「獣人とかドワーフ……あるいは魔族は骨格からして人のものと違うんだ。詳しい人が見りゃわかるもんさ。歩き方、仕草、息の吐き方なんかもな。他の街では気をつけろよ」
「……何の事か分かりかねるな」
「それでいい。お前はお前の子を大切にしろよ」
満足そうに目尻を下げる禿頭の男。
それを見たグレイコーデは意趣返しとして、問いかけた。
「昼間に往来で怒鳴り合っていた時、ルドヴェルはレイツェルに地下遺跡に潜ることを禁じていたが、あれは何か理由があるのではないか?」
頭をかいて、降参を示すように両手を上げる。
「……あれを見られちまったのか。情けねぇな、俺。ああ、お前の思っている通りだよ、クソッタレ。レイツェルが潜れば、ヒストリアの本部に行くに決まっている。ユリアーカをレイツェルに合わせるわけにはいかねぇからな。……レイツェルが真実を知れば、ユリアーカを縊り殺しそうだからだ」
「娘が心配だったからではなかったのか」
「ほざけ。俺はレイツェルを人殺しにしたくないだけだ。それに、あいつは俺よりよっぽど丈夫だからな。この前もレイツェルが発掘隊に殴り込んで来てだな──」
人工の夜空の中。二人の父は、自分の子について語り合った。
出会った先々の人の過去が激重な件について。
魔王を倒して全ての人が幸せになって、それが永久に続く。そんな終わり方なんてないのです。