第九話 『黄金の穂波と夜空に浮かぶ月一つ』
聖堂街の共同墓地に、彼らはいた。
聖女の死。その悲報はたちまち教会から国全体へと伝わり、国を挙げての国葬となった。
現在、アトリーナの棺は王都にて火葬を受けている。
聖堂街はがらんとしている。人々は皆家にこもって王都の方向へと膝をつき、敬愛する聖女アトリーナへ黙祷を行っている。
そんな中、グレイコーデとユーリは王都とは正反対の道を進み、共同墓地へ来ていた。
「ここ。……ここにおとうさんとおかあさんは眠っている」
「そうか。遺骨と遺灰は埋まっているのか?」
ユーリは首を振った。
「そんなお金、なかった」
「……そうか」
共同墓地は貧しい農民や墓が作れない犯罪者などをまとめて埋葬する場所だ。
そこには大きな石版が立てかけられている。だが、何も彫られていない。
この国の共同墓地での慣わしだ。
ユーリは木桶に水を汲み、石版を布で磨き始めた。
きゅ、きゅ──規則正しい音が静かな墓地に響く。
「アトリーナ様の国葬には、行かなくてよかったの?」
「別れの言葉は一度で良い」
「……」
少しユーリは寂しそうな顔をした。
頬をかいて。
「それに、あいつもそんな言葉何度も聞きたくはないだろう」
「……うん。そうだね」
抜けるような青空をユーリは見つめていた。
「アトリーナが見えるか?」
「ううん。もう見えない」
ユーリはしばらく黙り込んで、首を振る。
「そうか。拭き終わったら街を出るぞ」
「うん」
木桶を両手で持ちながら、ユーリはグレイコーデの後に続いて共同墓地を出て行った。
「これから、どこに行くの?」
食料や寝袋など旅に必要な物をまとめていたグレイコーデに、ユーリは傍らに座り込む。
グレイコーデはすり切れた地図を広げる。
「ひとまずは、街道沿いに進む。俺たちが目指すのは『シアの街』だ。いにしえの時代の地下遺跡。その上に考古学者が住み込んで、いつの間にか街になっていたという変わった所だ」
「そんな街、聞いたことない」
「辺境の街だからな。それに、周りは森と川が自然の迷宮を作り上げている。考古学を学ぶ連中にとっては有名だが、普通の人はまず知らない」
「そんな所に何の用?」
膝を抱えて、ユーリは聞く。
「銀髪エルフがその街に行ったと聞いた。銀髪エルフが見つかればいいが、そう簡単にはいかないだろう。手がかりを集めたい」
そこでグレイコーデはユーリの身なりを観察し、ため息をついた。
「そんな服装で旅に出るつもりか」
「だめ?」
ユーリは自分の服装を見下ろしてみる。
白いシャツにくすんだ空色のジャケットを茶色いベルトで締めている。下は黒のショートパンツに同色のハイソックスといった出で立ちだ。
そこに普段は黒いフードを被っているが、グレイコーデと二人のときは外していた。
「……まあいい。次の村に寄った時に膝当てと肘当てを追加で買う。路銀に余裕があったら鎖帷子も買っておけばいい」
「魔物と戦うの?」
「自衛用だ。それと、肌をなるべく晒すな。草ですねを切るか、病魔を持った虫に刺されるぞ」
旅路で命を落とす原因は腐るほどある。魔物の襲撃などはした数にも入らない。一番旅人の命を奪うのは、病魔なのだ。高熱や悪寒。些細な傷が腐り、身体が徐々に死んでいく。
そんな旅人をグレイコーデは嫌というほど見てきた。
「普段から身体を拭って、髪を整えておけ。不潔な旅人など住人にとっては百害あって一利なしだ。極端な街だと入れてもらえない」
首を傾げて。
「よく知ってる?」
「……色々と、あったからな」
実体験であろうそれに目を細めて語るグレイコーデ。ユーリはそっと目をそらす。
「そう言えば、お前は髪が長いな。散髪をあまりしなかったのか。……それはそうか。角が露出するから外で切れないのか」
「長い?」
艷やかにうなじほどまで伸びた黒髪をいじるユーリに提案する。
「髪はまとめるか、ばっさりと切ったほうがいい。特に後衛魔法職でもない限り、髪は触媒として役に立たないだろう」
戦闘における長い髪は役に立たないというのが、グレイコーデの持論だ。鎧に切っかかり、剣を振り上げるときに絡みつくなど、いざという時に命取りだからだ。魔法使いの中には髪を触媒とする者もいるそうだが、それは例外中の例外だ。
「ならば、俺が切ってやろうか? こう見えて結構いけるぞ」
「……う、ううん。まだ、いいから」
ユーリは何やら慌ただしく首を振る。
「そうか。別に切ったとしてもどうってことにはならないと思うが……丸刈りがおすすめだぞ? 髪を洗わなくてすむ」
「っ、絶対イヤっ!」
「そ、そうか……」
いつも通りグレイコーデの表情に変化はない。だが、何やら悲しげに眉がひそめられているように、ユーリには見えた。
グレイコーデの首元に揺れる白い首飾りを見て、気づけばユーリは聞いていた。
「そう言えばシルヴィア様の故郷って、どこ?」
「知らない」
「え?」
目を開いてマジマジと見てしまう。グレイコーデは寝袋を縛るのに力を入れる。
「シルヴィアが言うには『黄金の穂波と夜空に浮かぶ月一つ』……だそうだ」
「なにそれ」
思わず出てしまった言葉に、慌てて口をつぐむユーリに、グレイコーデは笑った。
「平気だ。俺も聞いたときはお前と同じだった」
「……」
急に恥ずかしくなって、ユーリはグレイコーデから顔を背けた。
そして、考える。
まず基本としてこの世界には二つの月がある。小さい月と大きな月が一つずつ。つまり、夜空には月が二つある。月が一つだけの時など存在しない。いくら時間が過ぎて年月が過ぎたとしても月は夜空に二つ出ているのだ。
黄金の穂波と夜空に浮かぶ月一つ。
随分と詩的な表現に何らかの言い回しか真剣に考えるも、分からずに止めた。
「黄金の穂波──これは麦畑だと思う。そして夜空に浮かぶ月一つ──これは良く分からないが」
「心当たり?」
「ああ。昔、旅の道中でこんな話を聞いたことがある。世界の果てから見た夜空には、月が一つしかないという。北の最果てにある魔王城……その向こうに行ってみようと思っている。魔王城まで前は五年かかった。今度は何年かかかるか分からない」
「この地図にそんな所ないけど」
「地図に記されるのは、人が行ったことのある場所だけだからな」
「世界の果て……」
その言葉には、不思議な魔力が感じられた。
「シルヴィアはそんなところから、俺たちのところに来た。世界の果ては、神が住むと云われている。伝承があるんだ。きっとある」
「なら……シルヴィア様は、神さまだった?」
グレイコーデはふと真顔になって考え始める。
「……いや、ないな。あんなのが神ならば、教会なんてとっくに潰れている」
大きなリュックと小さなリュック。小さい方をユーリに渡して、グレイコーデは軽々と大きなリュックを背負う。
「歩くぞ。歩いたら休憩して、また歩くんだ。脚を旅の脚に作り変えるためには、慣らすことが重要だ。荷物は少しだけでも持っておけ。後で辛くならないためだ」
「分かった」
しゃがんで小さいリュックを背負う。リュックの端にはこれまた小さな鞘入りの短剣がぶら下がっていた。
ユーリはじっとそれを見る。
「俺との約束を覚えているか?」
「【人に危害を加えない】【勇者様が言うことは絶対】──【勇者に相応しい信念を】」
「そうだ。俺はまだ魔族を信用出来ない。約束を破ったら容赦なく殺す。……分かったな?」
「うん。分かってる」
言葉とは裏腹に括られた短剣は、きっとグレイコーデからの信頼の証だ。その信頼を裏切ってしまわないように、決意とともに服の裾をぎゅうと握る。
「なら、先へ進もう。日の沈むまでに休める所を見つけることが先決だ。馬が欲しいが、近くの村からは手に入れることはできないだろうな。シアの街に期待しよう」
街から外れて旅の道へと歩き出す。
黒いフードを被り直したユーリは、ぱたぱたとフードをはためかせながらグレイコーデの傍に付き添った。
老年の勇者と若い魔族の旅が始まった。
第一章完結です。
ここまでお読みくだってありがとうございます!
皆様の心に何かしらの欠片が残ることを願っています。
この後は軽い登場人物の振り返りをしてから、第二章に続きます。グレイコーデたちの旅路はまだまだ終わりを迎えません。新しい物語、過去の仲間たちとの思い出、師弟の関係などもっと広がっていく予定なので、おつきあいのほどよろしくお願いいたします。
第二章からは執筆のペース維持のために毎日一部の投稿になります。……ですが、盛り上がるタイミングでは二部投稿もしようと思っているので、詳しくは活動報告を見ていただけると幸いです。
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