『冒険の結末』
初めまして、紅葉です。初投稿です。お腹がすいているので感想などなどよろしくお願いします。
魔王を倒した後の勇者のおっさんの物語です。
本編は冒険物、過去編は恋愛マシマシに変貌します。
それでは、ごゆるりとお楽しみください。
鬱蒼と茂り、露に湿った森にも日は差し込む。
細く、だが整備された小道の先には一軒の丸太小屋があった。
随分と古い家だった。二つの窓にひさしが立てかけてある。ガラスは今にも割れそうだ。
修繕の跡が目立ち、ボロ屋と言われても仕方ないように思える家だった。
中に入ると生活の様子が伺えるものがいくつかあった。
だが、それらは全て薄く埃を被っている。久しく使われたことのない様子だった。
──この家には一組の老夫婦が暮らしていた。
暖炉に篝火が焚かれることはもうない。
使い古されたやかんが甲高い声を上げることもない。
その家はただ静かに、佇んでいる。
裏手には、石で作られた簡素な墓があった。
墓は用心が出来る場に作るものだと相場が決まっている。神の罰を恐れぬ愚かしい墓暴きが金品をこぞって盗み出すからだ。
だが、その心配はいらぬもの。墓下には元より何も入ってはいないのだから。形見すら、遺灰すらも。
その墓に刻まれているのは、二つの名前。
──シルヴィア
──グレイコーデ
一つ目の名を持つ者は、すでに逝った。
二つ目の名を持つ者は、今も旅を続けている。
♰
勇者と呼ばれる人たちがいる。
例えば、いにしえの時代。万を優に超える混沌の軍勢に挑み、神の祝福をその身に受けて打ち払った者のお話。例えば、国と国との争い。幾多もの戦火を潜り抜けた猛将のお話。
さらに言えば、喜劇場にて題目に入る代表作。冴えない平民が美姫の愛を勝ち取るお話。
「葡萄酒持ってきてっ! んとね、樽ごと!」
「あら、私とお酒で勝負するつもり? マナポーションの飲み比べじゃなくて?」
「あんたの特殊性癖に付き合ってられないわよ! 正々堂々と葡萄酒で、今日こそ酔い潰れたアンタをひん剥いて店の前に飾ってやるから、覚悟しなさい!」
「あらあら、怖ぁい。ちょっと前にひん剥かれたのはどなただったかしら、ねぇ? その可愛らしい『薄板』はみんなに見てもらえたかしらぁ?」
「言ったわね、言ったわねっ!? 言ってはならないことをずけずけと言ってくれちゃったわね! ……葡萄酒じゃ足りないわ! 火酒よ、火酒っ! この性女をぶっ殺してやるわっ!」
勇者とは何か。それは勇を示した者を呼ぶ呼称だ。
先に挙げた例も勇を示した者たちの記録である。勇者とは、ある種の人工物だ。求める人々がいるから成立するそれは、形を変えれば、見方を変えれば、どんな華々しい英雄奇譚であっても奇人変人の記録に変わる。
例えば、いにしえの時代。神の骰子遊びで人生を操られた哀れな手駒。例えば、国と国との争い。国に縛られ、幾人も死へ導き、血に酔って自害を選んだ者。
さらに言えば、喜劇場にて題目に入る代表作。意に染まらぬ婚姻を嫌った姫が、斜陽の故国を平民という形代を利用して裏切るお話。
「何の騒ぎ?」
「おい、このバカ共を止めろ! ここはそもそも酒場じゃないし、何なら施療院だぞ!」
「まぁまぁ、良いではありませんか。今夜ぐらいは騒いでも。幸いなことに、施療院の食堂は貸し切りですよ」
「くだらないね、あの二人。酒なんて飲んで何の役に立つのか」
「……いずれ分かりますよ。あなたも、酒に酔えなくとも分かるはずです」
「ふうむ。それよりも見ろ。新しい魔法を見つけたんだ。何でも『北を向いて爪を切ると深爪する』とかいうものだ。欲しいか? なぁ、欲しいのか? ……そうだ、そうなんだな! やっぱり欲しいんだな!?」
「「いらねぇ……」」
さて、時は遡ること八年と幾日前。
大北の最果ての不可植民地帯にそびえる巨躯の城にて、それは起った。
伝え聞く話によると、その城はいにしえの時代に混沌の軍勢の主である邪神が鎮座していたという。邪神は旧い勇者に討たれ、いつしかその城は忘れ去られていた。だが、城にある者が入城した。
その者は絶大な魔力を振りかざし、世の魔物、魔族を従え、人間に宣戦布告した。
『この世界に人など要らぬ。よって我は世界の人の仔らに告げよう。──我は魔王なり。人の世を滅ぼさんと君臨する魔族の王なり』
さあ、大変だ、人間の危機だ、世界の危機だ。
教会は魔の軍勢と戦える者を集め、その者は勇者と呼ばれて世界を救う旅に次々と旅立った。各国もそれにならい、団結し、魔の侵入を堅固な城壁と使命に燃える兵士によって辛うじて防いでいた。
月日は流れ、魔王は討たれた。
勇者は救世の英雄と讃えられ、今、ここに伝説となったのである。
王都、教会付属の施療院にて、勇者パーティは数年に及ぶ凱旋の疲れを癒やしていた。
木卓の片側。机に両手を打ち付け、周りを顧みずに大声で叫ぶ少女。
うなじほどに切り揃えた黒髪と紫にきらめく瞳。わずかながらの幼さを残す顔つきに裏打ちされた健康的な身体は、しかし、一切の肉感的な様子を感じさせない。
「……っぱぁ! もう一杯! もういっぱいよ!」
もう片側には、椅子に枝垂れかかるようにして座る女。
小さな口は退屈そうに笑みをたたえて目の前の少女を見ている。床につくほどに長くしなやかな黄金色の髪と緑に濡れた瞳。黒髪少女とは打って変わって、その体は肉感的な膨らみに溢れていた。
飲み比べには興味なさげに、ちらりと傍らの男に向けられる流し目はどこか妖艶だ。
「ねぇ、もう諦めたらどうかしら? いくら飲んでも私には敵わないわ」
ちらり。
「まだ、まだよ……!」
「そう真っ赤な顔で言われても、ねぇ……?」
もう一度、ちらり。
気づいた男が目を上げる。
濃い灰色の髪を短く切り揃えた男だ。素は柔和だった顔が今は引き攣っていた。
青い瞳を怪訝そうに細めて金髪女を見やる。
「何だ、その目は」
大きく振りかぶった黒髪少女のジョッキ。そこからこぼれ落ちた葡萄酒が灰髪青年の髪に赤いまだら模様を作った。その下の料理も葡萄酒に浸かってひどい有様だった。
不機嫌な声色も良く分かる。
「そろそろ止めなくていいのかしら、あの子。あのままだと明日には使いものにならないと思うのだけど」
「ほっとけ。あの単細胞には何を言っても無駄だ。二日酔いも経験だからな」
「あらあら、あなたも薄情な男ねぇ。幼なじみ、じゃなかったの?」
「だからどうした? あのバーサク幼なじみとかいうバケモンには──」
ゴンッ、と鈍い音が木卓から響く。黒髪少女が木卓に顔を突っ伏した音だった。寝息が聞こえる。……というか、あれは気絶か失神の類いだろう。
どこまでも心地よさそうな寝顔を晒す黒髪少女に、灰髪青年はため息を漏らした。
「──心配するだけ、無駄だろうが」
「そうですね。君は彼女との模擬戦に結局のところ、一戦も勝てませんでしたし。ただの一般人だと自称している彼女に……勇者なのに」
「あー、もう、思い出させんなっ! こちとら聖剣も抜けない勇者もどきなんだ! 『本物』と比べられても困るんだよ!」
灰色の髪をくしゃくしゃとかき混ぜる男を微笑ましげに見守るのは、大柄な男だ。皮膚は煉瓦色に焦げたように黒ずんでおり、服の下からも筋肉の形が見える。迫力のある見た目と禿頭からのつぶらな赤い瞳。そして、この言葉遣い。
どこまでも『似合わない』を体現する男である。
「……つくづく教会も人選を間違えましたね。でも、それでもです。世界を救ったのは間違いなく貴方なのですから。彼女が眠っている間だけでも誇ってください、勇者様」
しかし、灰髪青年は据わった目で虚空を睨みつける。その目には、複雑な感情が渦巻いていた。
「……それが気に入らねぇからこうやってるんだよ」
勇者様。本当は目の前で幸せそうな寝顔を見せている黒髪少女が呼ばれるべきだった呼称。灰髪青年は誰になんと言われようとも、その考えを曲げるつもりはなかった。
そんな心境など関係ないとばかりに眠りこける黒髪少女。
「彼女を送りましょうか? 部屋は二階でしたよね」
「ああ、頼む。くれぐれも丁寧にな」
「……おや?」
「あんたが殴られるかもしれないからだ」
黒髪少女の寝起きの悪さは災害級だ。禿頭男の首が明日取れていてはこっちが困る。そんな気遣いを知らないのか知っているのか、途端に破顔して、禿頭男は頷いた。
「分かりました。ご心配にあずかり光栄ですよ、勇者サマ」
「……ハンバーグ、たべたーい……にゅ……」
黒髪少女から聞こえた寝言を遮るように手をひらひらと振る。黒髪少女を抱きかかえた禿頭男が去ると、木卓に着いていたもう一人も立ち上がった。
「これで終わり?」
「何がだ?」
宴会か酒盛りか。予想していた言葉をその人物は静かに外した。
「僕たちの冒険だ」
しんと先ほどまでの騒がしさが消えた食堂に子供のような高い声が通った。
透けるような銀髪と鏡色の瞳を持った浮世離れした風貌。一段と低い背丈はまるで子どものようだ。言葉遣いから少年のようにも思えるし、線の細さからは少女のようにも見える。
それは、エルフだった。
頭から冷や水をかけられたように、眠気と酔いが見事に覚める。
「……そうか。そうだな。もう、終わりだな」
灰髪青年はそれに答えた。
「お前たちとの冒険は、楽しかった。八年だ。八年間の冒険だった」
遠くを見るように目を細める灰髪青年に、エルフは肩をすくめる。
「旅立ちの日から狼に襲われたり、無限迷宮に迷い込んだり、聖女とは名ばかりの性女に襲われたり」
そこで金髪女がゆっくりと微笑んだ。
「それってどなたのことかしらぁ?」
無視して、続ける。
「竜に付け狙われたり、奇術フェチが術を暴走させて竜の巣があった山を丸々吹き飛ばしたり」
そこでエルフが露骨に目を逸らした。
「魔族と殺し合ったり、パーティリーダーを案内目的で入れた傭兵に掠め取られたり」
そこで禿頭男の姿を思い浮かべる。彼は無事に部屋に運んだだろうか。あの凶暴なバーサク幼なじみを。
「あっという間の八年だった。俺たちは魔王を倒したんだ」
灰髪青年が目を上げる。顔は満足そうに笑っている。旅の終わり。仲間との別れ。必然に起こるそれらを見据えて、寂しそうな顔をしても、灰髪青年は笑っていた。寂しそうに笑っていた。
「楽しかった。世界がこんなにも綺麗だって気づかせてもらえた。俺は、本当に幸せものだ」
「そうか」
エルフは短く呟いた。立ち上がると鞄の肩紐を肩にかける。
「なら、僕はもう行くよ。いつか会うときがあれば、酒でも誘ってくれ」
そう言って、エルフは食堂を出て行った。
後に残された金髪女は小さく口を膨らませる。
「名残り惜しそうな顔ぐらいしてもいいのにねぇ。エルフっていうのは、良く分からないわ」
そう愚痴る金髪女に灰髪青年は苦笑を浮かべた。
「エルフ……それもあいつはハイエルフだからな。神の眷属らしいし、いつから生きているのか。また会えるさ。むしろこっちがくたばる前に会いに来てもらわないとな」
「あなたがそう言うのなら、私はとやかく言うつもりはないわ……」
そう言って豊かに膨らんだ胸元を強調するように木卓に前のめりになる。
目線の先には灰髪青年。こんなぱっとしないなりでも世界を救った正真正銘の英雄であり。
息を吸って、吐く。
「あなたは、これからどうするつもりなのかしら」
英雄というものは、実を言うと使命が終わった後はすることがない。建国の英雄ならば、国の王にでもなるのだろうが、目の前にいる勇者は、王になるだけの器もなく、ただ勇者という力を備えた男に過ぎない。
勇者というものは、終わった後が大変なのだ。
共通敵が倒された後に残る英雄と呼ばれる個人。
──勝手な理由をつけられて処刑される、まではいかなくとも。
この国の王は、勇者一行に対して誠実であった。今すぐにどうこうとまではいかないだろう。しかし、王が変われば、その王が過去の英雄を快く思わなければ。
勇者とは、所詮偶像に過ぎないのだ。
手の届かぬ所にあるからこその偶像。手の届くところまで降りてきてしまえば、困るのは偶像として仕立て上げてきた人たち。
「そうだな──」
「なら、私と」
言い淀んだ隙を見逃す金髪女ではなかった。あくまでも自然体で、灰髪青年の言葉に自分の言葉を重ねる。
彼女は聖女として、勇者を最も近くで見てきたのだ。迷いなど生まれる余地はなかった。
──私と一緒になるのは、どうかしら?
言えたはずだ。言ってしまえば、優しい彼だ。断るはずがない。
聖女と勇者。なんとも自然な取り合わせだ。誰もが祝福してくれるだろう。一緒になれば、抑止力が生まれる。教会に所属する聖女と国が管理する勇者。
誰も手出しは出来ない。これが幸せに生きられる唯一の道なのだ。
けれども。
「……いえ、なんでもないわ」
口からこぼれたのは、そんな言葉だった。
「……? 俺はまだ分からないが、王都の近くに住みやすそうな土地があったからそこで暮らすことにするかな。冒険は終わった。俺たちは、もう旅を続けなくてもいいんだ」
「……そうかしらねぇ」
「ああ、そうだ。平和な時代の幕開けに丁度いい」
灰髪青年は──勇者は、そう言って少年のような顔でくしゃりと笑った。
それを見て、金髪女──聖女は思う。
──あなたには、やっぱりその顔が似合う。もう勇者じゃない、冴えない男。
笑いなさい。グレイコーデ。
勇者 グレイコーデ
一般人 シルヴィア
聖女 シンメリー・サリエル・アトリーナ
魔法使い 名乗らぬエルフ
傭兵 ドランド・ライゼンターク
勇者パーティーは、ここに解散した。
♰
それから、六十年余りの月日が流れた。