でんぱ霊
「小生瀬と~?」
「藤の!」
「「夕暮レディオ!」」
二人が声を揃えて番組タイトルをコールする、軽快なBGMのジングルを鳴らして地方局でやっているラジオ番組「小生瀬と藤の夕暮レディオ」が始まった。コナーこと小生瀬一彦が相方の藤美奈子と共に夕方の一時間、雑談と音楽をリスナーに提供するだけのよくあるラジオ番組だ。
「──ところでコナーさん、今日が何月何日かご存知ですか?」
「七月七日、七夕でしょー。いや流石にね、僕はもういい年したおじさんだけど、そこまで曜日感覚狂ってませんから」
藤は笑いながら軽く謝ると、本題を切り出した。
「そう、七夕なんです……が。ところで今日、スタッフがいつもより少ないと思いません?」
「──あ。本当だ。いつも少ないスタッフでなんとか切り盛りしているけど、今日は本当に必要な人だけしかいないじゃん。みんなどうしたの。辞めちゃったのぉ?」
もちろん、このやり取りすらディレクターの根本瑠璃が用意している台本である。
「実はですねぇ……居ないスタッフは局の最寄りの駅に設置されている、七夕の短冊飾りの取材に行ってるんですよー!」
「えぇー!」
「そこから、実況生中継で短冊飾りの様子を伝えてもらおうかと」
「あー、それでネモディーも居ないんだ。あの人好きそうだもんなーこういうの。ダメでしょーディレクターが外に行っちゃあ」
***
小生瀬が「ネモディー」と呼んでいる根本は、この時数名の番組スタッフと共に局から出て数分の久楼駅に居た。
「おおー、何度見ても立派な竹だこと」
根本は飾り付けられて風に揺れている笹の葉と短冊をカメラに納めると、早速番組のSNS公式アカウントに投稿した。
「今から久楼駅でロケやります……っと」
「──ネモさん、そろそろです」
「はーい」
それから数分後、スタジオと久楼駅を繋ぐ中継が始まった。
***
「──えーじゃあ、そろそろここらへんで久楼駅に行っているネモディーを呼んで見ましょうか」
「ネモさーん」
「はーいネモです。私は今、久楼駅にいまーす。駅前の広場には大きな竹が設置してあって、その笹の葉の方に地元の園児や児童の皆さんが願い事を書いた短冊が飾られているんですよー」
「へー、どんな願い事が書いてありますか?」
「えーとですね、大きくなったらプロ野球選手になりたいとか、あ、ケーキになりたい、みたいな微笑ましいのもありますね」
「叶うといいねぇ」
「そうですねぇ。そしてですね、子どもたちだけではなく駅の利用者の方も願い事ができるように、短冊を書くコーナーが久楼駅では特別に用意されているんです。早速、私もお願い事を書こうと思います」
「ちなみに、ネモディーはどんな願い事をするの」
「それはですねー。あ、先客の方がいらっしゃいま……」
突然、ざりざりというノイズが入りだした。
「あれ、ネモディー?ネモディー?」
「ネモさーん」
ノイズに紛れて、根本の声がかすかに聞こえる。
「……先程書いてい……、教えて…………です……。うわぁ、……この……暮レデ…………リス……いつも…………嬉し…………前は。あっラジ…………え」
「え」という彼女の戸惑いを含んだ声を最後に、ぶつっと一方的に音声が途切れた。おいおい、放送事故だなこりゃ、と思いながら小生瀬が拾う。
「……リスナーの皆さん、申し訳ない。せっかくネモディーが頑張っているけど、今、機材の方が調子悪いみたいです」
藤も続けてフォローに回る。
「番組公式アカウントでネモさんが笹の葉飾りの写真や動画をアップしているので、そちらもぜひご確認くださーい」
「……いやー、それにしても残念だったなぁ。僕もネモディーのお願い事聞きたかったよ。ちなみに、美奈子ちゃんなら何お願いしてた?」
「何でしょう……宝くじ当たりますようにとか?」
「現金だなぁ!」
「えーだって──それなら、コナーさんだったらお願い事、何にするんです?」
「壊れない機材」
小生瀬はわざと大げさに言って、藤の笑いを誘った。ふふっと藤が笑うのを確認した小生瀬は続ける。
「いやでもさぁ、織姫も彦星も昔の人だから機械って言われても困っちゃうかもね」
「そうですよぉ。それに欲しい物お願いするなら──」
「「サンタクロース」」
台本にはない雑談だったが、なんとか二人で場を保たせていると、再び根本からの音声がやってきた。しかし、聴こえてくるのは「ざーーー」というノイズ音だけである。
「ネモディー?まだ直ってないよー」
と、小生瀬がおどけてみても、何も変化はなかった。それでも根本からの反応を待って二人が一、二秒ほど沈黙していると、「ざーーー」というノイズの中から一音一音区切りをつけて、根本ではない別の女の声が聞こえてきた。
「か、わ、の、お、と、み、た、い、で、しょ」
笑うのをこらえているかのような声に思わず、収録ブースの中の二人は顔を見合わせた。藤が素の調子で、
「誰これ」
と呟く。ブースの外のディレクションを行う副調整室にいる、アシスタントディレクターの金森に小生瀬と藤は目をやるが、彼もその他のスタッフも首を横に振るばかりで、これがドッキリではないことを示していた。番組が放送中にも関わらず困惑して沈黙してしまった二人に、またノイズの中から女の声が囁く。
「え、み、ひ、で、す」
その言葉にブースの中の二人だけでなくスタッフ全員が戦慄した。全員の脳内を同じ名前が駆け巡る。ラジオネーム「あるいはエーミッヒ」──支離滅裂な内容の投稿ををほぼ毎日番組に繰り返すことでスタッフ間で不気味がられている女。かろうじて読み取れる内容から、性別と小生瀬のファンであることが推測されていた。
小生瀬は中継の音声を切るように身振りで示し、音響スタッフも切ろうと機材を操作するが、ノイズは流れ続けている。
「えーと……」
完全にパニックになってしまった現場で、藤はなんとか番組の体裁を保とうと言葉を探すが、彼女自身もパニックに陥っていた。
「あ、あの、エーミッヒさん。あなたは一体──」
事もあろうにエーミッヒに向け質問をした藤を小生瀬は慌てて制止する。
「ちょっと、美奈子ちゃん!」
「でも……」
藤が言いかけたところでぷつりと雑音が消え、
「いきます」
とだけ声がして中継は途切れた。
「は……」
しん、と静まり返ったブースで、二人は放送中なことも忘れて脱力した。小生瀬も藤も、現状に頭が追いつかずにいる。そこに、ブースのドアを開け副調整室に居た金森が慌ただしくノートパソコンを持って入ってきた。思わず藤は身構えたが、金森であることに気づくとほっとした顔で彼を迎えた。
「どうしたの」
「今、これが……」
と、震える声で金森は二人にパソコンの画面を見せた。そこには、
「手紙ば右じ出る家ね星動きますかかかかかかかかかかかかかかかかか犬れ筆仰向け渡む」
と、番組宛てに届いたメッセージが表示されている。スタッフにとっては見慣れた、日本語が使われているけど日本語になっていない、ただの文字の羅列。
「あいつだ……」
普段ならゲストが座る、小生瀬の隣の空いている席に金森は座ると、
「どうしましょう……」
とうめいた。彼も放送中なことを忘れて、頭を抱え大きなため息をついた。
「雑音入ってきた時くらいで、ネモさんと一緒に行っているコにも連絡したんですけど、全然繋がらないんですよ……」
小生瀬はそんな彼の声を隣で聞きながら、じっとりと背中が汗ばみインナーシャツが肌にへばりつくのを感じた。
「悪い冗談であってくれ──」
そう願ってぎゅ、と目を瞑り瞬きをするが、何も変化はない。それどころか、じ、じ、とブースの照明が鳴いて点滅し始めた。ぎょっとして小生瀬が天井を見上げたその時だった。
「え」
と、藤は呟くと、震える指でブースの外を指差した。小生瀬と金森が彼女の指が指し示す方を見ると、外の廊下へと続く副調整室のドアが完全に開いていた。放送中に開け放していることなどまずないドアが。開かれたドアから見えるはずの、普段なら照明が常時点いていて明るいはずの廊下が、まるで墨で塗り潰されたように暗い。そして、先程まで副調整室に居たはずのスタッフ数名の姿がこつ然と消えていた。
「あいつら、どこ行ったんだよ!」
金森はスマホを取り出すと消えたスタッフに電話をかけてみたがその誰もが電話には出ず、
「ただいま電話に出ることができません──」
とメッセージが流れるだけだった。
「どうなってるんだこれは……」
「放送どころじゃないですよ、もうここ出ましょうよ」
藤は副調整室が見える窓に背を向けて二人に向かってそう言ったが、この時、小生瀬と金森は同時に窓の向こうに現れた彼女の存在に気がついて驚愕していた。
彼女は、デニムを履いてワインレッドを少し淡めたようなハーフスリーブのブラウス姿で、青白い肌をした裸足で擦るようにしてゆらりと廊下から副調整室へと入ってきた。うつむいている上に乱れた長髪で表情は見えないが、そのことに小生瀬は瞬間、安堵した。
もし目を合わせたら──
振り向いて彼女の存在に気がついた藤が叫びそうになるのを金森が抑え、そのままブースの窓際の真下に三人は倒れるようにして隠れた。荒れる呼吸をなんとか抑え、三人は息を殺しそこに座りこむ。空気が湿気を帯び小生瀬の額に脂汗が浮かぶ。そのじっとりした雰囲気が、壁越しに彼女がいるのを知らせていた。
何分ほどそこに座っていただろうか、気がつくと明滅していた照明は元に戻っていた。ばかに明るい照明の下、三人は息をひそめてゆっくりと頭を持ち上げ、彼女が立ち去ったのか確認するためにブースの外の副調整室の様子を窺った。彼女の姿は、そこには無かった。三人は揃って大きく息を吐く。相変わらず外の廊下は暗いままだったが、それでも、彼女が居ないことは三人にとって何よりの安心材料だった。
「……俺らも外に出ますか」
金森が誰に語りかけるでもなく独り言のように呟くと、副調整室へと続くドアに手を伸ばした。
「ま、待って!」
藤は金森の腕に飛びつくと、ドアノブから彼を引き離す。
「あの廊下に行くの──」
ムリムリ、と青ざめた顔で彼女は首を横に振る。小生瀬もこのブースから動きたくないのは藤と同じだった。廊下に出た途端、彼女に出くわしたらと思うと、とても足が動かない。しかしこのままブースに留まり続けるのも、あの真っ暗な廊下へ出て行くことと同じくらい恐ろしい。金森も半分はここに居たいという気持ちがあったのだろう。何も言わず、その場に腰を下ろした。
「放送が変だって、そろそろ誰か来てくれていいのに」
そう呟く金森に対しうんうんと頷くと藤は小生瀬にも同意を求めた。
「きっと誰かが来てくれますよ。ね、コナーさ──」
藤は息をひゅっと呑んだ。そして、遅れて小生瀬の背後を見て彼女がいることに気が付いた金森が
「うわあああっ」
と叫んでブースのドアの前へと再び向かう。小生瀬は恐怖のせいで思い切って振り向くことはできなかったが、首を少し動かし目線だけを後ろに立っていた彼女の足元向ける。骨ばった細い裸足がかすかに濡れて、彼女の足元のカーペットを湿らせている。その確認だけで限界だった。逃げようと先にブースのドアの前にいる藤と金森に
「ま、待ってくれ!」
と小生瀬は叫んでなんとか駆け寄る。しかし、ブースのドアは三人で力を合わせ開けようとしても、まるで外から抑えられているように動かない。ばちっと音を立て、照明が再び、ちか、ちか、としだした。
「なんでっ」
「あ、あいつコナーさんのファンなんでしょっ。俺らを巻き添えにしないでくださいよぉ!」
明滅する明かりの下、金森は小生瀬の肩を掴み揺さぶり、彼女が佇んでいる方に小生瀬を押し出そうとする。
「そうよ、コナーさんが狙いでしょお!」
藤も金森に同調すると、小生瀬に力いっぱいの体当たりをした。
「うわ!」
どさ、と仰向けに倒れ込んだ小生瀬は、うつむいていた彼女の顔を真下から拝むことになった。彼女は、口元は微笑んでいたが目は瞬きもせず異様なほど見開いて小生瀬を見据えていた。小生瀬と目が合うと、
「ざあああ」
と、ラジオのノイズを口真似でし始めた。首をだらんとさせうつむいたまま、ゆっくりと膝を曲げ、爪が伸び切っている右手で小生瀬の顔を触ろうとする。
「ひいい」
小生瀬は震える両手と両足で昆虫のように這ってなんとかドアのそばの二人の方へと逃げるが、
「ざあああ」
という彼女の声──いや、音は消えないどころか次第に音量を上げ、まるで、勝ち誇ったかのような、慌てふためく三人をあざ笑うかのような笑い声へと変わっていった。
「あははははははははははは」
「うふふふふふふふふふふふ」
その音もやがて、ごぽ、ごぽ、という、喉を鳴らすような音になりだした。為す術もなく彼女の変遷を見ることしかできなくなった小生瀬たちは、うつむいた彼女の口から血が滴り落ちだすのを見た。その血はぼたぼたと粘度をもって口元から床へと零れ落ちる。あっという間に小さな水溜りのようになった血の中にいる彼女は、ねち、と音を立て赤黒い血を足指に絡めながら、擦るようにして一歩、小生瀬たちへと踏み出した。
「く、来るなっ」
小生瀬は立ち上がると、そばにあった椅子を引き寄せ勢いをつけ彼女に投げつけた。ご、と鈍い音を立て椅子は彼女の頭部に命中する。まるで粘土細工のようにぐにゃりと彼女の頭部は凹んだが、それでも彼女は血を吐き続け、ゆったりとした歩みは止まらない。
「もうやめて!」
と藤は叫んで両耳を抑え、金森は諦めたようにその場にへたり込み床を虚しく叩いた。
とうとう彼女は小生瀬の目の前へと来た。そして、顔を上げ小生瀬と向き合うようになると、その手のひらを広げ、顔を掴むようにして長い爪を彼女自身のまぶたの辺りに突き立てるように刺した。そしてそのまま、顎の方へとゆっくりと手を下ろしだす。眼球がみちみちと音を立て傷つき肌はえぐれ裂け、その裂け目からも赤黒い血が流れ彼女の爪を指を染める。傷で歪んだ上下の唇の隙間から、ひゅーひゅーと音を立て腐臭が漏れ出ている。
「あああ!」
それまで目をつぶりたいのにつぶれずにいた小生瀬の絶叫がブースに満ちた。再び笑い出した彼女の音を聞きながら、三人の意識はぷつりと途絶えた。
***
「──という話がうちの局にはあってさぁ」
地元のラジオ局に入社して数週間、まだほとんど雑用係みたいな俺にこの話をしてくれたアシスタントディレクターの宮永さんが、「怖いだろ?」とニヤニヤしながらタバコを吸っている。
「はぁ……」
本当にそんなことがあったのなら、心霊による放送事故としてそれなりに有名になっているはずだ。しかし、そんな話今までずっとこの地元で育ってきた俺でも聞いたことがない。
「まあ、実際にあったとしたら怖いっすね」
「そう、この話のキモはそこなんだよ」
タバコをくるくるっと指で回すと、宮永さんは続けた。
「この話は全てが実際にあったことじゃない。まあ、虚実入り乱れって感じだ。でも、新入りには必ずこの話をすることにしてる。何故だかわかるか?」
「いや、分かんないっす」
「その女、実際に収録現場に出るんだよ。その部分は事実だ」
「……嘘でしょう」
宮永さんは、もう笑っていなかった。
「嘘じゃない。それに収録現場だけじゃなく、こういう休憩所にも出たことがあったらしい」
俺はびっくりして周囲を見回すが、そんな人影はどこにもない。
「おい!探すな。見ようとするな。そのためにこんな話をしたんだ」
タバコの火をもみ消すと、宮永さんは缶コーヒーをぐい、と飲んだ。釣られて俺も持っていた缶コーヒーを口元に運ぶ。手が、少し震えた。
「『赤いブラウスにデニムを履いて、裸足でうつむいている女がいても絶対に気にするな』これがうちの裏社訓その一なわけ」
「二もあるんですか」
「ラジオネーム『あるいはエーミッヒ』からの投稿は絶対に読まずに廃棄すること」
「とにかく関わってはだめ、ってことですか」
「まぁそういうこと。ほっとけば大丈夫だし、慣れれば『出そうだな』って気配でわかるようになるから」
「イヤな慣れっすね……」
「──まあ、新人が何も知らずにいたり中途半端な情報だけ知っていたりすると、ついつい関わっちゃうからな。思いっきり怖い話をして、絶対に関わらないよう念押しするようになったわけよ」
そして宮永さんは、「絶対に無視するんだぞ」と言いながら早足で休憩所を出ていった。一人残された俺は、休憩所の汚い天井を見上げてさっきの話の意味を考えていた。俺を怖がらすだけで後からわっと驚かせるつもりなのかもしれないが、しかし、一方で妙に本当らしい部分がその話にはあるように思える。そんなことを考えながら目をつぶっていたら、誰かが休憩所に入ってくる気配がした。
目を開け、「お疲れ様です」と言いかけたところで俺は息を呑んだ。先程聞いた通りの格好をした女が、入口のそばの壁に背を向けこちらを向いて立っている。ただ一つ、先程の話と異なるのは、女は、うつむいてなどおらず、まっすぐに俺の方を見て笑っていた。目を合わせるのが怖いので、口元をちらりと見ると、女は微笑んでいるとかニッコリとか、そういう次元の笑い方をしているのではなかった。歯茎を見せ、口の端をめいいっぱいに上げ不敵に口だけで笑っている。そんな笑い方だ。きっと、おそらく、目は見開いて俺を見据えているに違いない。全身が怖気だつ。
「やばい」
俺はそうとっさに心の中で叫ぶと、飲み掛けの缶コーヒーは置いたまま、休憩所を出ようとした。フクロウのように顔だけ動かして俺を見ているのを視界の隅で感じながら、女の横を通る。
「ざあああ」
女のそばを通る時、そんな音がした。ザラザラとした気色の悪い音が。耳の奥から脳髄にまで直接響くような不快な音が──
その音はそれからも俺の耳にまとわりついていて、仕事をしていると時折実際に聞こえることがある。皆、無視をしているので俺にだけ聞こえているのか同僚も聞こえているのか確かめようがないことだが、俺は確信している。絶対、他のスタッフも気づいている。
「ざあああ」
ノイズは、止みそうにない。




