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7月の第二火曜日

作者: ジョガムイト小林

 土の中で眠っていても、暑すぎて目が覚めるような季節になってきた。僕の一族は代々この相模原の駅近辺の土に住んでいると脳が記憶している。誰に聞いたわけでもない。母親にも父親にも会ったことがないまま一生が始まって一生が終わるのが僕らだ。

 暑くなってきたし、それと同時に僕の目も覚めたから、そろそろ地上の世界に行っていい頃だ。大丈夫かな。まぶしすぎて目が見えないとかないかな。今でこそ土の中だから周りは真っ暗で何も見えないけど、上の世界にはどんな美味しい食べ物があって、どんな楽しいものが待っているのだろう。明日の夜くらいに上に上がってみよう。長く眠っているとなかなか脳が起きなくって、こう色々な思いを馳せているだけでも疲れてくるのだ。

 今日も暑いけどいよいよ門出ならぬ土出の日だと思うとワクワクして満足に眠れなかった。横の土の壁からスース―と心地良い寝息が聞こえてくる。こんなに近くに誰か知らない人がいたとは知らなかった。僕の寝息はどうだったのだろうかと思っても、みんな数年くらい爆睡しているからそもそも誰の寝息がうるさいだなんて気にしていないだろう。

 

 どれくらい時間が経っただろう。掘れども掘れどもなかなか地上が見えてこない。重力に従って下に掘っていっている感覚はないから間違いなく地上に向かっているはずだけれども日光の気配がしない。おや、なんだか硬いものが手の先にある。これは石かな。しょうがないから迂回しよう。斜め左に進路を変えて石を越えたその時ビカッと目をつんざくような光が顔を覆った。あぁ、これが太陽の光。なんて気持ちのいい光なんだ。陰鬱とした気分が一気に吹き飛ばされるような感覚だ。このまま昇天してしまいそうな気持ちいい感覚に浸っていたけどウカウカしていられない。体がムズムズするからどこか日当たりのいいところで休もう。危ない!!!間一髪で大きな影は僕の体をよけていった。あれは何だったのだろう。振り返ってみると茶色でテカテカした二つセットの物が右左と一定のリズムで前進していく。見上げてみると僕らよりはるかに大きな体をした生き物がみんな同じような恰好をして忙しそうにどこかへ向かっている。彼らは僕を食べないということに気づいてホッとした。上から押しつぶされそうになったけど、僕のことを避けたということは彼らは僕を恐れているのかもしれない。とりあえず周りの安全は確保されているみたいだ。すぐ近くに一本の木があるのが目に飛び込んできた。体のムズムズが止まらないから早くしないと動きづらくなりそうな感覚に陥ったので急いで木の幹に乗り移った。少し登ってみるとさっきよりも周りがよく見えるようになって、なんだか角ばった平べったい物がブーンと大きな音を鳴らして走りすぎていくのが見えた。僕なんかの歩くスピードではとても追いつけないだろうと思いながら見ていたら急に背中のあたりが破ける感覚に襲われた。まだ地上に出て間もないのに誰かに襲われたのか…おや、気持ちよくなってきた。それに背中だけでなく頭も足も中から何か抜け出てくるぞ。あっという間に体の皮がむけてしまった。ふやけているからよく動けないけど、振り返ってみると背中が破けた僕の体がこちらを見ていた。オエーッ。


 何時間くらいその場所で過ごしたのだろう。木に口を突き刺してチューチューしながら待っていると、だんだん体のふやけ具合が治まってきて体が軽い感覚になってきた。体が乾くと同時に体が軽くなっていったのを感じた。そろそろ動いていいかなと思ったら、今までにない感覚が背中に走った。放尿するように力を入れてみると背中がバタバタと言い始めて我ながらギョッとした。刹那、僕がのろのろと木によじ登った時の何倍ものスピードで空に舞い上がった。

『30日間金利0』

そんな看板が目に入った。あれは何と読むのだろう。あそこに蜜はあるのだろうか。相模原の宙を舞いながら、さっき僕を踏みつぶしかけた巨大な生命体の街を見渡した。ここには僕らに適した土はそれほどないみたいだ。灰色の角ばった家に灰色の土みたいな地面ばかりで味気のない景色だ。

 巨大な生命体たちから逃げるように、彼らの向かう方向と反対に行くと幾らか木が見つかった。しかも僕と同じ姿をした者がチラホラいるではないか!この世界の情報を集めなければ。いきなり大勢の中に入っていって尋ねごとをするのは気が引けたので、小さめの木にとまって落ち着いた雰囲気の者のところに近づいた。


 「あの、僕、今日地上に出てきてわからないことだらけなので、少し教えてもらってもいいですか?」

そういえば僕は誰かに話しかけるのが初めてだったので、いかにもというような挙動不審な問いかけになってしまった。

「ご苦労さん。ミンミンゼミです。君の飛んできた方向を見ると、あのつまらない場所から来たようだね。」

見知らぬ者にも丁寧に話してくれるミンミンゼミで助かった。しかも方向から察しがついているから、僕よりもだいぶ先輩セミのようだ。

「灰色の街には僕らよりずっと大きい生き物がいましたけど、あれは僕らのことを食べたりするんでしょうか?僕は逃げて正解だったんでしょうか?」

この一日ずっと引っかかっていたことを聞いた。このセミなら知っているだろうということを推測して聞いてみたのだ。

「あれはヒトというみたいだ。君が逃げたのは状況がわからないから何とも言えないな。彼らがセミを食べているのは見たことはないけど、あのヒトの小さい種族は我々を怖がることが少ないっていうのはこの3日間でなんとなくわかった。あぁ、夜は心配しなくていいぞ。ヒトは夜に行動することが少ないし、我々も夜はあまり動かないから寒さにだけ気をつけなさい。」

経験豊富な者の語り口で僕は圧倒された。でも、何も知らない僕が生き抜くための最低限の知識はこのワンストロークで手に入れた。このまま質問攻めかあるいは無言でいるのは厳しいところなので軽く礼を言ってまた森の方へ飛び立った。

 

 森へ飛んだのは良いもののそろそろ疲れてきた。口に合いそうなものはないだろうか。喉が渇いているような気もするけど、地上というのは体中にまとわりつくような湿気があって喉が渇いている感覚も鈍ってしまう。小屋の屋根あたりを飛んでいる時に見下ろしてみると自分の口元に見覚えのない管があった。土の中で暮らしていたときはなかったはずなのに、ミンミンゼミと話している時も気が付かなかった。動かしてみようとするけど思うように動かないし、空気が中に入ってくるようなスースーした音しかしない。物を食べるには不向きだし、喉が渇いたから仕方なく森の入り口の木にとまった。少し躊躇しながら口を思いっきり木に突き刺してみた。思いのほか気持ちがいいほどに突き刺さり、息を思いっきり吸うと水っぽい甘い汁が口の中一杯に広がった。脳汁が噴出しそうなほど、甘汁が僕の口の中で踊りだし、指先まで覚醒するようにシャキッと体にエネルギーが注入されている。このまま吸い続けては脳諸共ダメになってしまいそうなのでズボッと口を木から引っこ抜いた。体力は回復したがこれからどうしたものか。僕は自分がどうやって生まれてきたのかを想像した。でもどう頑張っても僕の細胞が生まれる瞬間まで思い出すことができない。しかも思い出そうとすると僕の理性が壊れるようなリミッターを外しかける体のうずめきを感じた。その刹那、一匹のメスが僕のもとへ降り立った。僕が無意識のうちに発していた声に惹かれたようだった。僕よりも2,3日大人なように見えた。ジッとこちらを見つめる目に吸い込まれるように僕はそのメスの名前すら聞くことなく背中側に周り無我夢中で何かをメスの腹部に流し込んだ。天に召されるような気分で事の次第を終え、僕の幸せそうな顔に目もくれることなく、メスはひらりとどこかへ飛んで行ってしまった。


 森の中で夜を明かした次の日、またやることがなくなったので昨日の相模原の灰色の建物の群れの方へ飛んでみた。一本の木にとまったとき、断末魔の叫びが聞こえてきた。しかもその声というのが僕の数少ない知っている声だったのだ。見下ろしてみると、蜘蛛の糸のような物がついた長い棒を持ったヒトの小さい種族が僕らの種族を捕らえていた。しかもその捕らえられていたのがあのミンミンゼミだった。緑の蓋が開いた透明な箱の中に彼は放り投げられ、やがてその蓋は閉められた。どうやらあの透明な箱からは僕らの力だけでは出られないらしい。近くにあった、二つの車輪がついた小さいヒトの持ち物と思われる物の前についた籠の中にはおびただしい量の僕らの抜け殻が入れてあった。血の気がサーッと引く感覚がした。やつらはセミを恐れないどころか僕らを支配することに喜びを感じているのか。小さいヒトの目がこちらを向いて笑顔になった。やらなければやられる。僕は今朝吸った甘汁をヒトに吹きかけて一目散に空へ飛び立った。地上は地獄だ。

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