夢に立つ話。(一)
第六話。
明くる日。
宴は日が昇ると共に終わり、いつの間にか大広間の座卓には刑部が用意したであろう人数分の手打ちうどんが置いてあり、本人の姿は一枚の柏の葉だけを残し消えていた。
食後、昨日より仲間になった旋風の首には組の色を表す江戸紫の布が巻かれ、晴れて夜桜の一員として認められたことで、夜桜には日常が返ってきた。
常日頃より暖かな雰囲気に包まれている夜桜組だが、刑部がいたこと、旋風という新たな家族が増えたことで、その日の始まりは何時もより和やかに流れていた。
(今日も平和だな)
縁側に座り、食後の茶を啜りながら広間から聞こえてくる笑い声に美琴はそんな言葉を心で呟く。
その顔には微かな笑みが浮かび、視線の先にある桜が彼女の黒曜の瞳に映り、とても儚げな印象を受ける。
ひらりふわりと膝に落ちた花弁を指先で遊び、和やかな空気につられてひとつ欠伸を漏らすと、門番をしていた綴里が美琴の元に駆け寄ってきた。
「お嬢。客人だぜ」
綴里の言葉に顔を上げると、駆け寄ってくる彼の後ろには見慣れた顔がいた。
逆立てた鳶色を揺らし、懐手のまま歩いてくる彼は、人の形をしてはいるものの、着物の背中には大きな膨らみがあり禍々しい脚を隠していることがわかる。
また、彼の背後に控えている顔色の悪い若い男の尻からは一本の狐の尾が生えている。
「よぉ姫さん!元気そうじゃねぇか!」
片手を上げて美琴に屈託ない笑顔を向けるのは刑部と同じように夜桜と縁の深い妖――土蜘蛛だった。
京都の山を根城に、夜桜組とは一風変わった『土蜘蛛一派』の大将をしている土蜘蛛は、美琴の旧い友人の一人。
土蜘蛛は、元は人間同士の蔑称から生まれた妖で、人の悪意ある心が生んだ存在。
都の山を荒らし回っていた乱暴者ではあったが、人間嫌いではあるものの、仲間を大切にする義理堅いところを美琴に気に入られ、数百年前に夜桜組の傘下として加入し、今では京都を守護する妖をまとめ上げている。
「土蜘蛛…お前がここに来るなんて珍しいな」
普段土蜘蛛は京の山から降りては来ず、山の中で仲間たちと和気藹々と笑い合い飲み合い…夜桜となんら変わりない生活を送っている。
夜桜と京の山とは少し距離があり、土蜘蛛自身もあまり夜桜に来ることはなかった。
曰く、この地域の長閑さが正直肌に合わないらしい。
「少しあんたに用事があってな。それよりも先に紹介するな。俺の側近のそよぎだ」
「野干のそよぎと申します…美琴様のお噂は兼ねてより土蜘蛛様から伺っております」
静かに頭を下げたそよぎを一瞥し、土蜘蛛は快活だった表情に影を落としながら「実は此奴のことで少しばかり相談があるんだ」と美琴に言った。
刑部の一件でもそうだが、美琴の元には悩みや相談をしに来る妖が多くいる。時には刑部の時のような妖関連のこともあれば、人と対話をしたい、作物の育ちが悪い、何某が気に食わない等、本当に多種多様な相談をしに彼女の元に来る。
土蜘蛛やその近辺の妖たちの中で、美琴という存在はよい相談相手という印象が強いのだろう。
さて――土蜘蛛は綴里が持ってきた茶を片手で掴み一口、口に含んで喉を潤すとゆっくりと息を吐いた。
その隣では土蜘蛛に「寝ていろ」と命じられ、柱に身を任せながら浅く寝息を立てているそよぎがいた。
「此奴最近眠れなくて困ってるみてぇなんだよ」
「…ほう」
興味深そうに美琴は、眠っているそよぎに目を向けた。
土蜘蛛は少し眉間に皺を寄せ、静かに語り始める。
野干のそよぎは生まれた時からあまり霊力がなかった。
母親と父親も、野干ではあったが霊力はそこそこあり、何故か息子のそよぎはそれが微弱であった。
だが、土蜘蛛の側近として仕えていると、否が応でも霊力の強い妖ばかりがいる中で生活することになり、その所為か年々霊力がつき始めたと言う。
仲間たちからしたらそよぎ自身が成長を遂げたと喜ぶところなのだが、霊力がつき始めると、そよぎの睡眠は浅くなり始め、今では毎夜眠れない日々を過ごしているそうだ。
今のように最初は眠りにつくことが出来るのだが、深い眠りになりかけた瞬間、頭に不思議な“音”が聞こえるのだと言う。
「どんな音なんだ?」
「そよぎ曰く何かを打ち付けるような音らしい。」
「ふむ…」
美琴は顎に手を当て、少し考えると「…それ、夢枕じゃないか?」と言った。
「夢枕?」
「嗚呼。神仏が夢に現れ、その者に何かお告げをしたりすることを言うんだ。神は元より人を導くのが仕事だが…時たま悪戯好きな神や仏が夢に立つこともあってな…」
まるで何かを思い出すように目を伏せながら語る美琴の様子に、土蜘蛛は違和感を感じるも、それは隣で唸るそよぎの声に掻き消された。
いびきとは違う、少し苦しそうな唸り声を喉で鳴らし、ゆっくりとそよぎは目を開いた。
「大丈夫かそよぎ。」
「…はい。」
「またあの音か?」
土蜘蛛の問いかけにそよぎは弱々しく頭を縦に振る。
すると美琴がそよぎの前に行き、膝を着いて下から彼を見上げる。
「い、いけません美琴様…私のような者に膝を着かれては…!」
「気にするな。それより額に触れるぞ」
膝が汚れると言われながらも美琴は優しくそよぎの前髪を避け、額に触れる。
少し冷たい美琴の指先が額に触れ、また美琴の整った顔が近くにあるせいか、そよぎは少し身を固くした。
美琴はそのまま額に触れていた手を顎に当て、考えるとそよぎに再度視線を移す。
「そよぎ。君、何か神や仏と関わったことは?」
「え?」
「君のその眠れないという現象は恐らく夢枕だと思う。だが、そもそも土蜘蛛一派は神を信仰していない。私たちのように神を仲間にするという行為もしていない。」
彼女の言う通り、今まで土蜘蛛一派には神などいなかった。神を嫌っている訳では無いのだが、人の悪意の塊であった土蜘蛛からしてみれば、神聖な神という存在が相反する存在である為、神そのものを受け入れたことは一度も無かった。
「何でもいい。何か思い当たることは無いだろうか」
「そ、そう言われましても…神や仏様は私共には程遠い存在ですので…」
「そうか…」
「何の話だ?」




