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夜桜物語  作者: 夕波 未晴
3/25

雷少年の話―閑話―

陰陽術を扱う少年が桜に出逢うまでのお話。



鳥のさえずりが聞こえ始めまだ日も昇っていない時間から、雷電の朝は始まる。

布団を畳み、欠伸をしながら掛けてあった着流しに腕を通して、しっかりと身支度を済ませる。

既にスッキリとしている頭で「起きてすぐ動けるお前が羨ましい」と、以前寝起きが悪い美琴に言われたのを思い出し一人小さく笑ってしまう。

寝起きで少し乱れていた髪を櫛で梳かし、いつものように後ろ髪を上下に分けて、上の髪を昔美琴から貰った髪紐で解けないようきつく縛り、部屋を後にする。

廊下の軋む音を出来るだけ最小限にしながらまた一つ、欠伸を漏らし草履を履いて庭に出る。

ゆったりとした足どりで庭の隅にある昔ながらの木の井戸で水を汲み、その場で顔を洗う。

近くの川から水を引いている為か、とても冷たいその水はまだ寝ぼけていた頭を冴えさせるには十分過ぎるほどで。

着物の裾に入れて持ってきていた手拭いで濡れた顔を拭き、一息吐く。

先程よりも明るくなり始めた朝焼けのを呆然と眺めながら大きく深呼吸をする。

少し肌寒い、冷たい空気が体に入るのを感じ、なんとも言えない心地よい気分になる。

今日の変わらない日常を少し想像し、そんな平和が壊れないことを祈るばかり。

雷電の朝はいつもこうだ。

彼の朝は日の出とともに始まり、その日の出に一つ願掛けをする。

ある時は仲間たちの無事を。またある時は平和な一日を。

彼の願掛けにはいつも仲間たちの顔が浮かんでいた。

彼にとって仲間は家族。それはここに来てから植え付けられた考えだった。昔の彼なら絶対に有り得ない考え方を、この組は容易に覆してしまう。

それが、この組の良いところなのかもしれない。


「今日も早いですね、雷電」


ふと、朝焼けを眺めていると同じように顔を洗いに来た仲間が声をかけてきた。

真っ白な肌に、露草色の大きな瞳。青みがかった白髪を前下がりに切り揃えた、可愛らしい容姿の少女――小雪(こゆき)

彼女は“雪女”と言われる妖の一人であり、夜桜では美琴のお目付け役、そして組の料理当番である。


「まあな。お前は朝餉(あさげ)の仕込み?」

「ええ。昨日貴方たちが貰ってきた魚使おうかと。」


と、他愛もない話をしながら小雪が顔を洗い始めようとしているのを見て、雷電は彼女に背を向ける。

彼の真面目さが際立つその行為は、女性の身支度を見るのは礼儀としてなっていない、という彼の考えで。

だが小雪はあまりそういうことを気にしない性格なので「律儀な人…」と小さく笑いながら言葉を呟き顔を洗い始める。

冷気を纏う雪女特有の、ぽと、と彼女から滴る水滴が氷になり地面に落ちていく音が聞こえ始めると、雷電は思い出したように彼女に声をかけた。


「そう言えば昨日の鎌鼬(かまいたち)、大丈夫だったか?」

「はい。今朝方一度目を覚ましまして。少し混乱して暴れかけてましたが、雷電がくれた呪符のお陰で今は小妖怪たちと一緒に眠ってます。」

「そうか…あれが役に立ったようで良かったよ」

「ここに来てから初めて陰陽術というものを見ましたが、不思議なものです。

妖を退治するための術を、逆に妖の為に使えるようにするなんて…流石は雷電ですね」


顔を洗い終え、手拭いで顔についた氷を払いながら小さく笑いを零す小雪に、困ったような笑みを浮かべてしまう。


「買いかぶるなよ。陰陽術つっても、俺の術は低級。そこらの妖封じ位にしか役に立たねぇよ」


所詮己は無能。

彼の心に出来た傷は、それを酷く実感させるものだった。

雷電の言葉に小雪は小さく溜息を吐き、何処か呆れたように笑った。


「その人間らしい考え方は相変わらずですね。」

「これでも、根っこの方は人間サマなんでね」

「…貴方は人間ですよ。一寸特殊なだけです」

「一寸、ねぇ…」


苦笑い混じりに言葉を濁すと小雪はやり返したと言わんばかりに、にこやかに微笑んだ。

彼女の笑顔は美琴のものとは違い、きらきらと太陽に輝く粉雪のような優しさが含まれている。

柔らかく、優しく、それでいて輝かしい。そんな彼女に見透かされているような気がして雷電は話を切り上げるように言った。


「ほら、そろそろ仕込みに行けよ。俺はこれから鎌鼬の様子見に行くから」

「ふふふ。わかりました。朝餉の時間には戻ってくださいね」


くすくすと笑いながら小雪は軽く彼に会釈してその場を後にした。

彼女の背中を見送り、朝から変な事言ったなと彼女との会話を思い出し自分に呆れを感じながら屋敷へと戻る。

















小雪の言っていた小妖怪たちの部屋に入ると、鎌鼬は既に目を覚ましており、長い体を布団の上で丸めるようにして大人しくしていた。

怪我をしていた前足にはしっかりと小雪が巻いた包帯がされていて、昨日よりは落ち着いた雰囲気だった。


「今日は落ち着いてるみたいだな」


他の小妖怪たちが目を覚まさないよう、小声で鎌鼬に声をかけると、こちらをじっと見つめてくる鎌鼬に表情を和らげる。

ゆっくりと布団の近くに座り寝息を立てている小鬼の頭を撫でる。

ここには、行く場所もない、身寄りのない小さな妖達の部屋。小妖怪と呼ばれる彼らは、何時消えてもおかしくない、灯火のような生活をしていた子達。そんな彼らに手を差し伸べたのが他でもない我らが大将である美琴だ。

かく言う自分も、昔彼女に拾われた――救われた者の一人なのだが。


「…悪かったな。突然動き止められて、驚いて死んじまったんじゃないかって心配してたんだ。」


寝返りを打った一つ目の妖に布団を掛け直しながらぽつりと言葉を零す。

心配していたのは自分だけではなく、心の優しい美琴も、対峙していた顎門(あぎと)鈴袮(すずね)も、攻撃した觜鬼(しき)も、手当をした小雪も。

きっと鎌鼬の存在を知る夜桜の者たちは皆少なからず何かしら気にはしていることを鎌鼬に伝えると、呆気にとられたように目を丸くした。

ここら一帯に現れるのは、大体が人間に追いやられた妖たち。

昔の、人から恐れられていた時代ならまだしも、現代社会において妖と言うものは希少なもので、そして興味関心を引く存在。

人々は彼らを捕まえ自分たちの欲求を満たすために悪用する。そんな人間ばかりではないことは分かっているのだが、運悪くそう言った者たちに弱い彼らが捕まってしまったら最後だ。 そんな彼らを自分たちは、己の敬愛するその人は絶対に見放したりしない。

そういう者たちが集まり組織されたのが夜桜組。此処はそういった者たちの大切な居場所なのだ。


「怪我治ったらで良いから、昨日の女の所に顔を出してやってくれ。誰よりもお前のこと心配してたからな。

あと、数刻したら飯持ってくるから、それ迄ゆっくりしてろよ」


妖たちの寝顔を一通り確認してはゆっくりと立ち上がり鎌鼬に一言告げて部屋を出る。

襖を閉め、部屋に戻ろうとすると、部屋に行く途中の廊下の角から美琴がふらりと現れた。


「お早う。相変わらず早いな、雷電。」

「お早う…珍しいなお前がこんな早く起きるなんてよ。」

「昨日の鎌鼬が少し心配でな。」


案の定、心配で早く起きてしまったらしい彼女は雷電と話しながら小さく欠伸を漏らした。


「今見てきたから大丈夫だ。昨日よりも落ち着いてるし。」

「そうか、それなら良かった。」

「余程心配だったんだな。」

「あれだけ威嚇されたら心配にもなるさ。

そうだ。朝餉まで時間があるし、少し話そう」


そう言って美琴は雷電に微笑みかけ、自室へと向かい、彼を招き入れた。

そこは小妖怪たちの部屋から少し離れたところにあり、一番景色が良く見え、またすぐ庭に出られる部屋を彼女は使っていた。

庭に生えた桜の木から花弁が散り、彼女の部屋の縁側に数枚桜色のそれが落ちている。

縁側だけではなく、彼女の部屋も桜まみれで。

趣味で育てている小さな桜の盆栽。

本好きの鈴袮から貰った本、それらを収納するための中々に大きな本棚には桜の木が使われているらしく、また桜模様が側面に彫ってある。

彼女の着物を入れるための桐箪笥にも桜が彫られ、桜模様の入った羽織が衣紋掛けに掛けてある。

部屋の奥の方にある座卓には彼女が気に入っている桜模様の湯呑みが丁度愛用している座椅子の前に置かれている。

桜。桜。桜。

仲間たちから貰ったものや彼女が個人的に用意した物もあるが、本当に桜だらけの其の部屋に来るのは初めてではないのだが、毎度来る度に雷電は少し緊張してしまう。

充満している庭の桜の香りと、彼女自身の甘い香りに頭の中がぼんやりと熱くなる。

ここまで彼女の雰囲気と彼女の物で溢れかえっている所が他にあるだろうか。

否、ない。あっても困る。


「そんな所で突っ立ってどうした?」

「ぇ、嗚呼いや、何でもない」


既に座卓の前に座って自分が来るのを待っていた彼女に声を掛けられ少し飛んでいた意識を戻す。入口の所で固まっていた足を無理矢理動かし、彼女の向かい側に座る。

部屋の隅に積み上がっていた座布団を引っ張り出し床に敷いて、座椅子に座る彼女と顔を突き合わせる。

こうして彼女と二人で話すことなどあまりない為、やはり緊張してしまう。

別に小雪や他の者達と話しているのと変わらないはずなのに、どうも彼女と話すとなると途端に心臓が走り回る。難儀なものだ。


「昨日は御手柄だったな、雷電」


緊張している雷電を他所に、美琴は開いている障子越しに、庭の桜を眺めながら雷電に言った。


「俺は何もしてねぇよ。觜鬼たちが体張ってくれたから俺の術が効いただけだし。」

「だが、お前が居なかったら、今頃私は鎌鼬の鎌で切り刻まれていたかもしれないんだぞ?」

「お前に限ってそんなことねぇよ。」


彼女の強さを知っているからこそ、雷電は美琴の言葉に苦笑いを浮かべた。

夜桜の剣術の指導は大将である彼女自身が行っている。ただし、彼女が教えるのは基本的な太刀筋のみ。

様々な種族がいるこの組で、それぞれの種族の特性を全力で発揮するために、自分が手を加えることはしたくないという美琴には美琴なりの考えがある。そのため彼女自身には流派などはなく、それを押し付けるようなことはしなかった。

自分も彼女に教わった一人だが、筋力体力は唯の人間と同じで。

逆に觜鬼や鈴袮は妖であるため自分の何倍も筋力体力がある。

だが自分にはあって彼らには無いものもあるし、その逆もある。それを上手く利用するのは自分の技量のみで、美琴はそれを信頼し各々で高め合う機会を多くくれる。

それが美琴の剣術…言わば生き方の教えだった。


「買い被りすぎだ。私は神ではない。突然の事には反応できないこともあるさ。

だが私はお前を信じていたから、あの時避けるという判断をしたんだぞ?…まあ、毎回同じ手順で捕まえているから避けることしか頭になかったんだけどな」

「お前こそ買い被りすぎだっての。俺の術の無能さはお前も分かってんだろ。」


小雪と話していた事の復唱のように言葉を紡ぐと、小雪と違って彼女は呆れたような笑みを見せることなく、只々綺麗な笑みを桜に向けているだけだった。


「嗚呼知っているさ。お前が己を無能だと罵っていることも、私はそんなお前を過大評価していることも。」

「お前なぁ…」


くすくすと笑う美琴に、此方が呆れてしまう。

美琴はいつもこうだ。

頑固な性格なのか、こうと決めたらそれを曲げない美琴は、いくら自分は彼女の言うような人間では無いと否定しても、その否定すら抱擁するように丸め込まれてしまう。


「雷電。お前はお前の術と己を誇っていい。」

「…お前の言う己、ってのはあれか?俺が忌み嫌ってる“此奴”のことかよ」


とん、と指で己の胸元を指し、目を細めて彼女を見る。

此奴…それは、雷電が“雷電”となった所以。

雷の名に相応しい存在が、彼の中には居た。






















彼は確かに、()()だった―――。

人と同じように産まれ、人と共に生きていた。

彼の生まれは陰陽師の家系であり、彼は次期当主になる為にこの世に生を受けた。

基本となる陰陽師としての知識や技術を名だたる陰陽師である両親から叩き込まれる毎日を過ごしていた。

全ては、一族存続の為に…。

しかし彼は陰陽術の才能がなく、次期当主の候補から外されてしまい、年の離れた弟が当主候補に選ばれた。

それ以来、両親は彼への関心を弟に全て注ぎ、彼は孤独を感じていた。

己の無能さ、無力さが全て奪い、孤立させた。

己が憎い。己の弱さが恨めしい。

そういった感情が、己の人生を大きく変えるものとも知らずに、彼はそれらの感情のままどうにかして力を付けられないか模索していた。

そんなある日、ふと、ある()()()を思い出した。

それは、絶対に開けてはならないと言われていた黒く塗られた古い木箱。

それには強力な結界を張るための呪符が何枚も貼られ、厳重に保管されている。

何百年も昔、一匹の妖が彼の先祖によってその箱の中に封印されていると両親から聞いていた彼は、それが何なのかよく知らなかった。

ただ、人にとって害悪にしかならないそれを開けてはならないということだけが、両親の、基家の掟だった。

だが、両親に見放され荒んでいた彼はその箱の中にいる妖に興味を持ってしまった。

もし、自分がその妖を退治出来たら…?

無能だと、役立たずと罵られ続けていた自分が、先祖が封印することしか出来なかったその妖を退治したら…きっと両親は自分を見てくれる。

子供ながらに思った彼は、無能ながら日々鍛錬を積み重ね、少しでも退治出来る可能性を高くしようと努力した。

そして――運命を変える事件が起きてしまった。


彼やその同期たちの元服の儀式が行われている中、密かに式典を抜け出した彼は木箱が保管されている部屋へと忍び込み、時間をかけてその箱の封印を解こうとした。

何重にも掛けられたそれは、無能と言われた自分には難しいもので。

やはり自分では無理なのか。

自分は何をしても無能なままなのか。

そんな自己嫌悪で心が黒く染まり始めると、途端に結界張っていた呪符が剥がれ始めた。

まるで、己の胸の内を見透かしたように、黒い炎に包まれてその呪符は燃え尽きていく。

最後の一枚が燃え尽きた次の瞬間。

箱が激しく暴れ、蓋が地面に落ちてしまい、その中から“何か”が飛び出した。

封印が――完全に解かれたのだ。

封印を解かれたその妖は彼に目もくれず、そのまま箱から飛び出し、その姿を式典中の陰陽師たちの前に現した。

犬のような尖った鼻と大きな耳。

憎しみと怒りで血走った金色の瞳。

二又に分かれた尾に、四本の足から生える鋭い鉤爪。

大人一人分あるほどの体躯に金色の毛並みをした――雷獣(らいじゅう)と呼ばれる伝説上の生き物だった。

雷獣が姿を表した直後、空は暗雲に包まれ、突如として大粒の雨が降り出した。

式典は外で行われていたため、術者たちはずぶ濡れの中、現れた雷獣に狼狽えてしまう。


「皆の者、今持ちうる術であの物の怪を退治せよ!!」


当主の一声で、狼狽えていた陰陽師たちが一斉に雷獣へと術を繰り出そうと構え始める。

が、雷獣は目にも止まらぬ速さで空高く飛び跳ね、陰陽師たちを空から見下ろした。


己を縛り付けた人間たちに裁きを下す―――!!


まるでそう言いたげな雷獣の雄叫びが空に響き渡ると、雄叫びが何時しか雷鳴へと変わり、一つ、二つ、三つと陰陽師たちへと雷が落とされていく。

雷を落とされた陰陽師たちは次々と断末魔の叫びを上げ、血を吹き、皮膚が爛れ崩れ落ちていく。

最初に雷に打たれたのは紛れもない、当主だった。

休む間もなく雷が落とされ、何時しか彼の住む屋敷が炎に包まれる。

両親は弟を抱き抱え逃げようとした。だが雷獣は逃げようとする陰陽師たちを見過ごさず、両親も雷の餌となった。

仲間が、家族が死に絶えていく中、燃える屋敷から逃げ出し、その光景をただ呆然と見ていた。

自分のせいだ。

自分がしてしまった愚かな行動で、家族も、仲間も、死に追いやってしまった。

絶望――。

それしか頭にはなく、ぽたぽたと目から涙が流れる。

すると、雷獣は崩れるように座り込んだ彼と目が合うと獣らしいにたりとした笑みを浮かべた。




「ぁぁああああ――――!!!」


笑みを浮かべていた雷獣が、彼に体を向き直したその刹那。

激しい痛みと突然襲い来る衝撃に、彼の口からは周りと同じ、断末魔の叫びが溢れ出る。

己の体よりも大きなその獣はまるで、雷のようにその実態を変化させ彼の頭上へと落下した。

それはもう――雷そのもので。

彼は周りの仲間たち同様血を吹き出し、そのまま息絶えるかと思った。

だが、彼は激しい動悸と強い痛みに悶えるだけで、血は一滴も出ていない。

それどころか、己の髪色が変わっていくのが視界の端で見えた。

黒く長い髪をしていた彼の髪は、色が抜け、白…と言うよりも金色のような毛色をし始めた。――後に知ったことだが彼の瞳も、金色へと変わっていたらしい。

それは、あの獣の見た目とほぼ同じで。

彼は…己は、妖と成り果てたのだ。

先程の雷獣は、彼の体へと入り込んだのだ。雷となり、彼の胎内へとその姿を隠した。

それはつまり、彼を人から“妖を宿した化け物”へと変貌させたのだ。

己の姿の痛みに苦しみながら彼は涙を零し、死に絶えた仲間たちに目を向け、悲痛の叫びを上げた。




「俺が、何をしたと言うんだ!!!!」




自分はただ、母に、父に、弟に、認められたかっただけなのに。

それだけなのに―――。


















「お前にとって、その獣が憎らしい相手なのは百も承知だ」


桜に向けられていた視線を雷電に向け穏やかに微笑む美琴に、雷電は息を飲んだ。

こんなにも美しく笑う人を、彼は彼女以外知らない。それぐらい、彼女の笑みは優しく、美しいものだった。


「だが私はお前が強くあろうとした証であるそれを否定したくないんだ」

「…証?此奴がかよ」

「嗚呼。お前が愛されたいと強くなりたいと願ったその表れだと私は思っている。それに今のお前なら、其奴を制御することが出来るだろう?

ただの陰陽師だったお前では出来なかったことが、夜桜組の雷電としてなら出来るようになった。次こそは、お前の大事な家族を、仲間を守れるようお前が強くなればいい。」


美琴は目を伏せ変わらぬ笑みを浮かべて彼に説いた。

雷電はあの出来事の後、自分の体に馴染んでいく雷獣の力を持て余していた。

人の体で妖を宿すなんて危険なことを無理矢理やられた己の体は、不思議なことに拒否反応を起こすことなくゆっくりと雷獣を受け入れるかのように、今まであった痛みが消えていった。自分が人じゃなくなることを突きつけているかのように。

そんな中、各地を周りながら旅をしていた頃の美琴が、騒ぎを聞きつけ燃え尽きた屋敷跡にやってきた。

その隣には、觜鬼と鈴袮もいたのを覚えている。


「あの時。お前が俺を見つけて声をかけなければ、今頃俺は人殺しの獣に成り下がってただろうな。」


人ならざる者になった己に、「力の使い方を教えてやる」と手を差し伸べてくれた美琴に、自分は救われたのだ。

己に妖として、夜桜の一人として『雷電』と名付けてくれたのも彼女で、対等に扱い、自分を初めての友人だと信頼してくれる彼女の存在が、雷電にとってとても大切な存在になった。


「そうなった時は、真っ先に私が止めてやる。」

「殺してくれるんじゃねぇの?」

「真逆。私の全てを用いてお前をまた救ってやるさ」


にっ、と口角を上げ勇ましいことを述べる彼女に、もやついていた心が晴れ渡り、笑みが浮かぶのがわかる。

くつくつと彼女の言葉に笑いを零すと、何処か清々しい気分になる。


「やっぱり俺の大将はお前だけだよ、美琴」

「ふふふ。それはそれは。光栄だな。

これからも信頼してるよ、雷電」


互いに顔を見合せ楽しげに笑い合う。

するとぱたぱたと足音が聞こえ、小雪が小妖怪たちを起こしに行く途中、美琴の部屋の前を通った。


「姫!…と、雷電も居たんですか。朝餉が出来ましたよ」

「嗚呼。今行くよ」


部屋を通り過ぎる小雪に軽く手を振ると、美琴はゆっくりと立ち上がる。


「さ、腹も空いたことだし食べに行こうか」

「おう」

「食事の後はみっちり扱いてやるからな」

「みっちりか…」


彼女の言葉に苦笑いを浮かべる自分とは対照的に楽しそうに笑う美琴に、何時しかつられて笑ってしまう自分に、どこか幸福感で胸がいっぱいになる。


「ほら行くぞ、雷電」

「嗚呼」


幸せな心持ちのまま、愛する家族の元に向かう。

今日も夜桜は平和だ。

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