晴天、伊予国へ参る話。
第十三話。
美琴の命により、顎門は伊予国に滞在することとなった。
元々旅は好きで、趣味の一環でこの国を渡り歩いた事もあるから苦では無いし、仕事だと分かっているからなんてことは無いが…この伊予国の夏は酷く暑く、日差しを凌ぐための笠を被りながら山奥まで少し登山する。
木々が生い茂り、岩肌や小川を通って辿り着いたのは、大きな御神木の根に少し大きな祠のある神聖な場所。
その周りには草木は無く、まるでそこだけ空間が違うかのようにひっそりと存在している。
四国に住む化け狸たちの総本山であり、隠神刑部を初めとする太三郎狸、金長狸の“四国三大狸”の三柱が時折集まって近況報告等をする…言い方によっては老人会のようなものだと顎門は思っている。
雷電に言ったら罰当たりだと怒られそうだなと少し思いながら祠の前に立ち、息を吸って声を張る。
「四国三大狸殿方!突然の訪問お許しください!わたくしは桜山の顎門と申す人の子でございます!
本日は御三方にお目通りしたく参上仕りました!」
森に顎門の声が響く。
自然がまるで彼を見定めるかのように静まり返り、緊張が走る。
次の瞬間。
《よう来たな、人の子よ――》
そんな声が聞こえると和太鼓の音が一つ鳴り、瞬きをした瞬間景色が一瞬にして変わる。
先程と同じ場所にいるものの、全てがまるで夜に飲まれたように薄暗くなり周りには蛍が飛び交っている。
その蛍のお陰でただの闇ではなくなり、灯火のように蛍はその尻を光らせて飛んでいる。
その光につられるように後ろを見ると、十尺(約三メートル)ほどの大きな年老いた狸が三匹、顎門の周りを囲むようにしてそこに座っていた。
「久しぶりじゃのぉ門坊」
「がいに早い再会じゃったな。」
「刑部から聞いたけんど琴の嬢は息災か?」
「三郎の旦那、刑部の旦那、長の旦那!お久しぶりです!ええ、うちの大将は相変わらずですよ!」
にこやかに声をかけてきた三匹それぞれに頭を下げ挨拶をする。
すると今度は二つ、和太鼓の音が聞こえると景色がまた変わり、まるで江戸時代の城の広間になり、上段に三匹が横に一列に座り顎門を見下ろす形になった。
顎門はと言うと、景色が変わると同時に立っていたのにも関わらず豪華な座布団に座り、眼前には豪華な御膳が置かれている。
見るからにもてなされているのが分かり此方も少し緊張が解れる。
…確かに自分は何度もこの土地に来ているし、道も知っている。御三方とも面識があって、琴が此処に自分を送るのも分かる。
だが自分はただの人間。流石にこの御三方を前にして緊張しないなんてこと今までだって無かった。
だから今でも手は汗で濡れ、暑さだけじゃない汗が背中に滲んでいる。
妖気と神聖な空気が混じったこの空間。普通の人間だったら耐えられず気を失うだろう。
だが自分だって伊達に觜鬼や鈴袮みたいな馬鹿でかい妖気に囲まれて生活してない。こういう時に夜桜で耐性が出来ていて良かったと顎門はしみじみと思った。
「ほいで今日はどうしたんじゃ。また趣味の旅かの?」
持っていた煙管から口を離し、紫煙を吐きながら御三方の中で一番年齢が高く、顎門と仲の良い刑部が問いかけてくる。
顎門は一度唾を飲み、目の前にあった御膳を避けて、両手の拳を畳に押し当て頭を下げる。
その様子に三匹が小さく唸るのが聞こえた。
「本日は我が主、夜桜美琴の遣いで参上致しました。主からの言伝を聞いて頂けませんでしょうか。」
「…うむ。申してみぃ」
「有難う御座います、金長狸様。」
そして彼は、事前に美琴に託された伝言を彼らに告げた。
最近起きている不思議な現象。それに伴う各地から桜山に現れる妖や神たちの存在について。
そして破壊される神々と妖たちの住処。
それらを対処するにはこの三匹の協力が必須なため、もしもの時の為に桜山とこの土地へと繋ぐ縁を結びたい。
ということだった。
縁というのは要は掛橋のことで、三匹は神であるため、彼らを信仰する者には恩寵が与えられる。その恩寵として、美琴はこの土地を避難所の代わりとして里の者たちが立ち入ることを許して欲しい。
そう美琴は彼らに願ったのだ。
顎門の進言に太三郎狸は長い髭を手で撫でながら再度唸った。
「琴の嬢の願いは聞き届けた。じゃけん、儂らはこれでも神の端くれ。施し与えようにも何か献上品が無うてはな。」
「かーっ。お前さん、年老いてからしんから醜悪になったな。そのうち神堕ちしても儂は知らんぞ。」
「何言う金長よ。神である以上供物が無かったら施しは与えられん。それが神というものじゃろう」
「ほうじゃけん言うて恩人であるお姫に対して何か強請るのは別の話じゃろう」
「相変わらず頭の固い狸じゃ」
「お前に言われとうない禿狸め」
「落ち着け。どうせ儂ら三匹とも頭の固い禿狸じゃ。金長の言い分も、三郎の言い分もよう分かる。」
二匹の間に挟まれていた刑部は変わらぬ表情で小さく手を振り二匹の会話を止めた。
「…けんど、儂はお姫さんには大きな借りがある。そなたら二匹が貸さんでも儂はお姫さんに手ぇ貸すぞな。」
「刑部の旦那……」
刑部の慈愛に満ちた視線を受け、顎門はぽろりといつも通りの呼び方が口から零れる。
すると金長と太三郎は深く息を吐き互いに目を合わせ小さく頷いた。
「ええじゃろう。儂ら四国三大狸は桜山の夜桜美琴の申し出受け入れよう」
「っ、主に変わり、厚く御礼申し上げます!!」
深々と頭を下げる顎門に三匹は優しい目で彼を見つめながら笑った。
「あ、あと隠神刑部様にも、一つ申し上げたき儀が」
「今更畏まらんでもよいぞ童。ほいでどうした?」
「あ…ありがとう、旦那。…それでうちの大将に、旦那が前に話してくれた人里を少し調査してこいって頼まれてさ。少しの間この土地に居る許可と…子狸でいいんで案内とか諸々お願いしたくて…。
あ、酒とか野菜とか色々持ってきてるよ!勿論、御三方の供物としてね」
「お易い御用じゃ。嗚呼今晩は宴じゃのぉ。」
刑部は楽しそうに目尻の皺を濃くして笑うと、軽く手を叩く。すると同じ顔をした二匹の子狸が顎門の前に現れた。
「豆蔵と豆太じゃ。儂の七百六十三番目の倅の子の、そのまた子どもたちでな。儂の可愛い曾孫じゃ。案内はこいつらに任せるけん使うちゃってくれ。」
「な、七百…曾孫…。相変わらず規模がでかいなぁ旦那の家族は……。」
「豆蔵です!」
「…豆太です。」
にこりと明るい笑顔を見せるのは豆蔵という子狸で、仏頂面で顎門から目を逸らしているのが豆太という子狸。
人間の年齢で言えば十くらいの子狸だろうが、顎門よりも長生きしているのであろうその二匹…特に豆蔵は深々と顎門に頭を下げた。
「うん、案内よろしくね。」
「何か分かったら儂にも知らせとくれ。それと今から行くんなら山道気付けるとええ。夜が近づくと厄介な妖も出てくるけんな。まぁお主の強さなら危険はない思うが」
「分かった。ありがとう刑部の旦那。長の旦那と三郎の旦那も。」
顎門は再度三匹に深く頭を下げ感謝の意を見せ、二匹の豆狸たちに連れられて山奥にある狐憑きに滅ぼされた里へ向かった。




