恋は落雷の如くの話。(二)
顎門が雷神を連れて桜山を回っている間、風神は広間で觜鬼や他の妖たちと酒を飲みながら帰りを待つことにしたらしく、再度酒を飲み始めた。
その輪に入ろうかとも思った美琴だが、その輪の中に珍しく雷電が居ないことに気がついた。
いつも仲間たちの輪に当たり前に居て、仲間たちのどんちゃん騒ぎに笑ったり呆れたりと表情を変えている彼が、珍しく居ないことに疑問を抱き、美琴はその場を後にして彼を探した。
時折広間へと向かう仲間たちに彼の所在を聞いて自室に篭っていると聞き美琴は雷電に与えた部屋に向かった。
襖は閉じられ無音に等しいぐらいの静けさがあるその部屋に声をかける。
「雷電、居るのか?」
声をかけると中で少し物音がし、か細い声が聞こえてくる。
「あー…居るにはいるんだけどよ…」
「…?どうかしたのか?」
美琴が疑問をぶつけると、少しだけ開けられた襖から雷電が顔を覗かせる。
いつもより青くなった彼の顔色に美琴は目を見開きどうしたんだと慌てる。
元々色素の薄い雷電はあるものの、こんなに具合が悪いと全面的に出ているような顔色は初めてで、美琴は心底驚き心配の色を隠せなかった。
「どうしたんだ本当に…」
「……じ、ん」
「え?」
「…………雷神、もう居ねぇ?」
「え、嗚呼。今顎門と桜山を回っているが…雷神殿がどうした」
気まずさと居た堪れない様な表情で目を泳がせる雷電に何かあると感じた美琴は、部屋に入り落ち着くまで隣で彼の背中を摩る。
「……俺、昔っからあの神苦手でよ」
「苦手?」
「なんつうか…ほら、俺って“雷獣”体ん中に居るだろ…?」
自身の胸元に手を添えて呟く雷電に美琴は頷いた。
陰陽師の家系に産まれた元人間の雷電は、才能に恵まれず弟に地位も親からの信頼も、全てを奪われた経験がある。家族からも見放された彼は愛を求めて、封印されていた雷獣を解き放ってしまい、結果的に一族をその獣に殺され、奇しくも雷獣に見初められた彼は胎内に己の仇を宿し、妖となってしまった。
「雷獣って雷神の眷属みたいな逸話もあるし、なんなら雷神いる所雷獣ありみてぇな…なんか、あの神見てっとむず痒いというか…変な嫌悪感みてぇのがあってだな…」
ぐちゃぐちゃな感情を必死に掻き集めて言葉にしているような、何とも言えないその気持ちを言いながら雷電は目を逸らしたまま苦笑いを浮かべている。
顔色は相変わらずそうで、美琴もそういう事かと眉を下げた。
確かに雷電にとって雷神は天敵のような存在とも受け止められる。
何故なら雷神は文字通り雷の神であり、雷を操る彼は雷電にとっては家族を奪った“雷”そのものであるからだ。
本当の仇は己の中にいて、仇である雷を具現化したような存在が目の前にいる。
そんな曖昧な存在がいたら雷電自身も不安定になるに決まっている。
「まぁでも嫌いじゃねぇんだ…組としても世話になった御仁だしな?ただ、うん………」
必死に言葉を濁しているようだが、その表情からは抜け出せない違和感があるのだろう。
「この前なんか魚釣りしてたら偶然目が合っちまって…鳥肌やばすぎて直ぐ逃げちまってな」
あははは、と乾いた笑みを漏らし自分の体を擦る雷電に美琴は何と声をかけていいのか分からなかった。
「まぁ幸いあっちは俺の事知らねぇから何とか逃げきれたけどな…」
「知らない?そんなことあるのか?」
「あ?そりゃそうだろ。」
俺は一度も雷神に顔合わせたことねぇからな。
雷電の言葉が美琴の胸に響く。
何かが引っかかる。何か、こう。交わってはいけない点と点が交わってしまいそうな気がする。いや、交わっているのだろう。それを理解したくないのは自分の脳だ。
美琴は徐々に事の重大さ、複雑さ、そして面倒臭さに気づきゆっくりと頭を抱えた。
「……雷電。そんなお前にとてつもなく言い難いんだがな…」
「な、なんだよ改まって正座なんかして…」
「……実は――」
雷神が――雷電に惚れた。
その言葉は雷神がいると言うだけで痛手を負っていた雷電に追い討ちをかけるかのように心臓にぐさりと刺さった。
*
「――つまり、逃げた俺を女だと勘違いした雷神が、お前に相談しに今日来てて…今その女探しに桜山を探し回ってる…と」
「そういうことだ。…そんな顔をしてやるな」
縁側に二人で座りながら話をし、頭を抱えながらまるで苦虫を噛み潰したような顔で俯く雷電の背中を撫でながら美琴は取り繕った笑みを浮かべて慰めていた。
「くっそ…何で俺が女に見間違うんだよ…。こんなこと顎門や觜鬼の野郎にバレたら…嗚呼考えただけでも胃が痛てぇ…」
きりきりと痛み出したのか腹を抑えながら前のめりで愚痴をこぼす雷電に掛ける言葉が見つからないのかひたすらに背中を擦る。
考えたことも無い。だが確かに言われてみれば雷電の顔は整っているといえば整っているし、肌は他の男たちよりも白く、剣術は美琴に習ってはいるが生粋の術者気質なため筋肉も付きにくく体力もない。しかも菜の花のようなその髪も長く、最近では蒸し暑さのせいか一つに結われていることもあるため、遠目から見れば確かに女と見間違うのも無理はない。
と、彼の容姿等を考えていると段々不憫に思えてきたのか、美琴はどうしたものかと溜息を吐いた。
ここでもし雷神に「貴方の焦がれた人は実は雷電で、雷電は貴方のことが苦手です」などと言った日には…。
「…桜山に雷神殿の嘆きの大雨…加えて雷まで落とされては洒落にならん。折角里の者たちが育てた作物が…」
「気にするのはそこかよ…」
「当たり前だろう。私たちの里は自然の恵みによって成り立っている。天候が崩れれば作付けした野菜が駄目になってしまうではないか。」
「……まぁ、そりゃそうだけど……」
「それに、あの方は伊達に“雷様”と人々から恐れられている存在ではないからな。」
神であり妖。
人々は昔から自然を畏怖していた。雷神はそんな彼らの畏怖から産まれた…言わば妖と同等の存在。しかし、人々はそんな存在を“かみなりさま”と呼んで祀っている。そのため彼は神となり、人々に雨の恵を与えている。
人に愛され、人に畏怖される存在。
それが風神雷神と呼ばれる自然そのものの存在理由となる。
そんな彼に見初められてしまった。
雷電の悲痛な嘆きが響き渡る中、美琴はその言葉を聞き流しながらどうするか頭を悩ませた。
「そもそもなんで俺なんだ!あの神ならいくらでも相手くらいいるだろうが!!なのによりにもよって俺って……」
雷電の言葉に、一瞬美琴の中の時が止まったかのように思えた。
「――…恋は盲目、と言うやつだよ。一度惚れてしまっては、どうにも出来ないものさ」
美琴は何かを思い出したように空を見上げて呟いた。その言葉はとてもか細く、雷電に言っているはずなのに、まるで誰かに言い聞かせるような、何処か含みのあるような言い方に雷電は美琴に視線を向けた。
静かに、黒曜が揺れている。
「……美琴、お前…」
刹那。二人を包むように強い風が吹いた。
その風に靡く髪を押さえながら美琴は不味い、と呟き雷電を後ろの部屋に押し込むようにして腕をを引っ張った。
「は!?」
「良いから隠れてろ…!」
必死な美琴の言葉に急いで隠れるとほぼ同時に荷物を持った顎門を小脇に抱えた雷神がその場にふわりと降り立った。
「…ん?嬢ちゃんなにしてんだ?」
「い、いえ…お帰りなさい。どうです?お目当ての娘は見つかりましたか?」
「……いや見つからなかった。途中で里の者たちに渡された野菜で童が動けなくなってな」
「これはまた凄い量を貰ってきたな…」
「雷さま凄い張り切って探すもんだから疲れた…」
「そ、それは悪かった」
顎門から貰った袋をのぞき込むとこの時期に採れる野菜が多く入っており夕餉時に間に合ってよかったなと顎門に笑いかけるも疲れ果てた彼の表情に少し笑いを零してしまう。そんな二人のやり取りを見ながら雷神は辺りを見渡して首を傾げた。
そして、ある一点を見て動きを止める。
それは美琴の後ろ――先程美琴が雷電を押し込んだ部屋だった。
それに気がついた美琴は冷や汗を背中にかきながら雷神に問いかけた。
「……どうされました?」
「いや、あの向こうに誰かいるのか?」
「あれ?そう言えば此処雷電の部屋じゃん」
「らいでん?」
「顎門その話は…」
「雷電はうちの陰陽師ですよ。でも妖を胎内に飼ってるから人じゃないですけど」
美琴は慌てて止めようとするも既に遅く、顎門の言葉に雷神の瞳は怪しく光り雷電のいる部屋に向けられた。
その様子に美琴は頭を抱えて溜息を吐く。
すると、
「ちょっと雷電!部屋に篭っていないで少し庭の手入れ手伝ってください!」
「ぅお!?小雪!?」
屋敷の廊下へと続く襖から現れたらしい小雪に縁側へと押し出された雷電は少し体制を崩しながら出てくる。
その姿を見た瞬間、雷神は目を大きく見開いて固まってしまう。
まさか雷電がこの場に出てくるとは思わなかったのか、美琴も驚きで口をあんぐりと開けていた。
雷神に見つかった雷電の顔色は真っ青で、今にも泣き出しそうな顔をしている。
それを見るなり雷神は目を細め、雷電を見つめた。
「汝は…」
声をかけられた雷電の肩は大きく跳ね上がり、恐る恐ると顔を上げると雷神と目が合った。
その途端、雷神はゆっくりと雷電に近寄っていく。
そんな彼に美琴は慌てたように口を開いた。
だが、雷神は雷電と目を合わせたまま美琴よりも先に口を開いた。
「うむ、流石はこの組の者だな。この雷神を見て臆さないとは中々だ」
「え、あー…」
雷電は自分だと気づいていない雷神に安堵と彼が目の前にいるという違和感に歯痒さを感じながら「…ありがとう…ございます」とか細い声で礼を述べた。
雷神はその返答に満足そうに頷く。
「確か雷電と言ったか。いかずちの名を冠する者…今まで会ったことがなかったが、面白い男ではないか。」
「雷電は少し内気でして…あはは」
珍しい美琴の乾いた笑いに聞いていた顎門は小さく吹き出す。
美琴は肘で顎門の腹部を殴ると笑っていた彼は苦悶の表情を浮かべる。
それを無視して美琴は雷電と雷神の間に入り、雷神を見上げ微笑む。
「さあ、そろそろ夕餉の時間になりますし、広間に行きましょうか。顎門は先に小雪にその野菜を渡してこい。雷電、少し顔色が悪いから部屋で休んでいるといい」
「はいはい…嗚呼横腹が痛い…」
「嗚呼…すまねぇな美琴」
美琴に言われた顎門がさっさと屋敷に入り、雷電に一度目配せしてから美琴は雷神連れて広間へと案内をしようとする。
雷電は雷神を連れる美琴たちの背に軽く頭を下げて怠い体を引き摺る様にして部屋へと入っていく。
*
広間では相変わらず酒を飲みながら騒ぐ仲間たちがいて、その中心では酔ったのか顔を赤くした風神が夜桜の面々と和気藹々としていた。
「おぉ、弟よ!どうだった娘は。振られたか!」
「兄者のその無配慮さはどうにかしてくれ。残念なことに娘は見つからなんだ。」
「そうかそうか!何、神の生は長いのだ。気長に嫁探しをすればよかろう!」
けらけらと盃に注がれた酒を飲み干しながら楽観的に述べる風神に、先程まで美琴たちをある意味振り回していた雷神は溜息を吐いた。
そのままその言葉に同意をした雷神は小妖怪たちにせがまれて兄の隣に座り、自分たちの成り立ちや過去の出来事を話すため彼らの輪に加わった。
その様子を見て一息吐いた美琴に鈴袮が歩み寄る。
「美琴、雷電はどうした」
「少し具合が悪そうだったんでな、部屋で休ませてる。」
ふらりと何処からともなくやって来た鈴袮に答えていると美琴も風神たちに誘われて話の輪に加わることとなった。
夕餉――とは名ばかりの、単純にいつも行われている宴が始まり、一刻、二刻と時が進み丑の刻に差し掛かる手前で宴はお開きとなり、広間で眠り転けた仲間たちを他所に美琴は風神雷神を見送るため庭に出ていた。
「騒がせたな嬢ちゃん」
「楽しい宴と歓迎、感謝するぞ!」
「いえ、相談にあまり乗れずすみません。是非またいらっしゃってください。」
「嗚呼。次来る時はあの女人を汝にも紹介するからな」
(諦めてなかったのか…)
そんな事を考えながら表面上はにこやかに美琴が二柱の神達に挨拶をし軽く頭を下げると、二柱は空に飛び立った。
小さく息を吐き、美琴は軽く立ち上った砂埃を手で払いながら屋敷へと戻ろうと振り向く。
すると、先程まで酒に酔い寝ていたと思われていた觜鬼が、柱に体を預けてそこに居た。
「…お前寝ていたんじゃないのか?」
「起きたんだよ。…ほら」
そう言って着流しの袂から畳まれた一枚の手紙を取り出し美琴に差し出した。
その紙には雷の紋が印されており、雷神の書いた物だと一目で分かる。
觜鬼曰く雷神が座っていた所にその手紙は置かれていたらしく、見てみると手紙には美琴の名前が記されていた。
美琴が手紙を受け取ると、觜鬼は案の定その場からすぐ立ち去り寝直す為に部屋に戻って行く。
眠ってしまっている仲間たちに布団などを掛け、美琴は自室に戻りその手紙に目を通した。
静かな夜に、またしとしとと雨が降り始める。
美琴は手紙の内容に目を丸くさせ、静かにその手紙を部屋の棚にしまった。
「………雷電…。」
小さく呟かれた言葉は徐々に強くなり始めた雨の音に掻き消された。




