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夜桜物語  作者: 夕波 未晴
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お喋り烏の話。(一)

第十話。

季節は初夏――。

不思議な土地であるこの桜山の桜は夏であろうとその花弁を散らせることなく咲き誇り、澄み切った桜の香りに混じって夏の草の香りが集落を包む。

桜屋敷にある美琴の自室に飾ってあった桜の盆栽は花弁を散らし、青々とした緑が目に優しく、桜ばかりのこの部屋に夏を運んでいるようで。

部屋の家主である美琴は、黒く長い髪を高い位置で括りながら自室で本を読んでおり、首筋にはじんわりと汗を滲ませながら夏を実感していた。

そんな彼女は読んでいた本を静かに閉じて、「ふう…」と息をつく。

背伸びをしながらゆっくりと立ち上がり襖を開け、廊下に出れば吹き抜ける爽やかな風は肌に触れるたびに汗を流していき、少しばかり涼しさを感じられた気がして目を細めた時。


「美琴!」


きらきらとした笑顔を彼女に向けながら縁側を歩く彼女に駆け寄るのは、夜桜組で保護された人間の光月(こうづき)。彼の手には空になった手水桶があり、その後ろにいた彼と同じ境遇の小さな仲間たちが庭で打ち水の手伝いをしていた。

その姿を見て美琴はクスリと笑う。

光月が何処か照れたように、だが嬉しそうな表情で美琴に声をかける。


「今日もいい天気だね」


彼は、この桜山の屋敷に住んでいる人間の中で顎門に次いで古株になるだろう青年。まだ二十代半ばでありまだまだ若さを感じさせる外見をしており、いつも美琴のことを気にかけてくれている優しい人物だった。そして光月の手にある手水桶を見ると美琴も彼に笑いかける。


「ふふ、嗚呼。打ち水してくれてたのか。ありがとう」


彼女を見かけた時よりも花が開いたような笑顔を浮かべ、その言葉だけで彼が嬉しそうにしている様子がよくわかった。


「うん!暑い日差しが続くから、少しでも清々しい気分になれればいいと思って小妖怪たちとやってたんだ」


光月の言葉に美琴は「そうか、それは有難い。私にもできることがあるなら手伝わせてくれないか?」と優しく光月の頭を撫でながら言った。それに照れくさそうな笑みを浮かべる彼は、小さく「お願いします……!」と言うとその頬が赤くなっていた。

それを屋敷の屋根の上で見ていた觜鬼(しき)は持っていた酒瓶の酒を煽りながらその様子を眺めていた。

その隣では同じように眺めていた鈴袮(すずね)が小さく笑いながら觜鬼に目をやった。


「手伝いに行かないのか?」

「…あ?行かねぇよ面倒臭ぇ」


そう言う割には楽し気に彼らを見ているのは鈴袮には分かっていたが、その言葉に呆れたように肩を竦めて見せると、觜鬼の置いた酒瓶を持ち上げ自分の杯に注ごうと傾ける。するとその手が握っていた瓶子の中に入っていた酒の雫が杯にぽたりと落ちた。


「…何本目だ」

「さぁな」


再度、鈴袮は呆れたような表情を浮かべ、分かりやすく溜息を吐いた。

ふと、また視線を二人は彼らに戻す。

彼らは仲良さげに手際よく作業をこなし、もう終わるという所で美琴は小雪に声を掛けられて振り返る。

にこやかな彼女は御盆に乗せられた硝子の湯呑みを美琴に見せた。中には氷と共に麦茶が入っていて、冷えているからか湯呑みには水が滴っている。


「ありがとう小雪」

「お手伝いありがとうございました姫。光月たちも少し休憩してくださいね」

「ありがとう雪ちゃん!」


美琴と同じように湯呑みを受け取り少し休憩がてら先程までしていた雑談の続きを他の仲間に話し始める光月。

その光景を微笑ましげに見つめていた美琴が、視線を感じ後ろを見ると美琴たちをじっと見つめていた觜鬼と目が合った。だがすぐにぷいとそっぽを向かれてしまい、そんな様子に苦笑いしながら美琴は再び麦茶を口にした。


「よお琴姫!」


突然聞こえてきた大きな声に驚いて思わず噎せ返ってしまう美琴。

慌てて口元を抑えながら振り向けばそこには烏の頭を持った人型の妖――烏天狗がいた。

人型、と言ってもその身長は大きく、百八十以上ある觜鬼よりも更に大きな巨体である。


「おま、え…突然来て突然声をかけて来るな…流石の私も驚く」

「くかかっ!いやぁ琴姫の反応は何時も面白いなぁ!」


独特な笑いを零しながら噎せた美琴の背中を少し強めに叩く。

それを見ていた觜鬼と鈴袮はすかさず置いてあった瓶子を抱えて彼らのいる庭と反対側に降りる。触らぬ神に祟りなし――面倒事から避けるために。


(逃げたな彼奴ら…)


その様子を横目で見ていた美琴は悔しそうに奥歯を噛み締め、光月や小雪にちょっかいを掛けている烏天狗に溜息を吐く。


「――で、お前は何しに来たんだ烏」

「いや何、散歩がてら遊びに来た迄よ。先日狸の旦那も来たと聞いたしな!」

「相変わらずお前のその情報は一体…」

「山は儂ら烏の庭だからな」


くかか、と再度笑う。その顔を見てまた美琴がため息を吐いた。

烏天狗は古い妖で、一族の長をしていた。ここら一帯の山は元々彼らの一族の所有地であり、そこを美琴たちが譲り受けたことを切っ掛けに古くから親交のある妖だ。

しかし、彼は今はただの隠居の身である。年齢はさほど高くはないが自由人な彼は一族の長を自身の息子に託し、暇を持て余しては空を自由に飛び回り、こうして屋敷を訪れては美琴たちにちょっかいを出して帰っていく。

また空を舞う烏は全て彼ら一族の眷属(けんぞく)なため、烏たちの見たもの、聞いたものは全て烏天狗へと伝わり、噂好きの烏天狗はその噂を広めたりすることも屡々あり、美琴曰く『お喋り烏』と呼ばれる所以はそこにあった。


「今日はいい天気だなぁ琴姫。絶好のお昼寝日和だぜ?」

「だったら自分の巣で寝ろ馬鹿。」

「心地好い風に桜の香。今度からはここで昼寝することにしようかねぇ」

「人の話を聞け。」


美琴と会話…と言うよりも一方的に話をしながら縁側に腰掛ける自由人な烏天狗。そして、腰に差していた扇子を取り出し自分を仰ぎ始めた。

その様子に呆れながらも美琴は彼に問いかける。


「……何か用があったんじゃないのか」

「嗚呼、そういえばそうだ。」

「……。」

「そんな露骨に嫌そうな顔をするなよ琴姫。傷つくじゃないか」

「ならその無駄に大きい図体を引きずって帰れ。」

「つれないのぉ。……まあいい、本題に入ろうか。」


烏天狗は扇子をパタパタさせながら話を続ける。少し目付きが鋭くなった烏天狗に美琴は静かにその隣に腰掛け、楽しげに遊ぶ光月と小妖怪たちを眺めながら話を始める。

烏天狗の目は、冷めた夏空を写していた。


「狸の旦那の件もそうだが、鬼蜘蛛も此処に来ただろ?」

「嗚呼…側近の夢見が悪いと相談しに来た。結局は付喪神の仕業だったようだが…それがどうした?」

「――先日うちの住処の一つが人間に壊された」


相変わらず扇子で仰ぎながら何処か冷めた目で空を見上げていた烏天狗はぽつりと言葉を零した。

それが耳に届いた美琴は目を見開き言葉を失う。


「突拍子も無く話すが事実だ。俺たちの巣に人間らしき存在が火を放ってな。家族は無事だったが寝床が炭と化した。」

「人間らしき、とは…」

「狸の旦那の時と同じさね。変な邪気を纏った人間。」


また、妖の里が一つ消えた。

その事実に美琴は胸を痛めながら烏天狗の話に耳を傾ける。


「可笑しいと思わんか?」


ぱちん。開いていた扇子を閉じ、まるで彼女を射止めるかのように美琴に向ける。

濡れ羽色の羽毛から覗く漆黒が美琴を鋭く睨み、つい美琴も息を飲んでしまう。


「普段姿を見せない付喪神が夢枕に立ち、鵺鳥(ぬえどり)鎌鼬(かまいたち)のような妖が現れ、そして人間に取り憑いた狐が妖を滅ぼした。…何かが起こる予兆かもしれん」


ここ最近の出来事は、本当に不思議なものばかりだった。

実を言うと美琴自身も気にはなっていたのだ。

今までも確かに妖たちの間で小さな事件はあったが、ここまで立て続けに起こり――ましてや四国を統べる刑部の守護する人里が滅ぼされ、山神と奉られていた烏天狗の住処も狙われた。

先日仲間となった鎌鼬の旋風のことや鵺鳥もそうだが、仮にも人も共に住んでおり、自分よりも強い妖気で守られているこの桜山にまるで“逃げてきた”かのように現れる。

そして、普段は妖の夢に出てくるはずのない付喪神が突然野干のそよぎの夢枕に立った。これはもう偶然ではない。

何か大きなものが裏で動いているのではないか。

美琴はそう感じていた。

少しずつ険しくなる美琴の様子に、離れたところで見ていた光月や他の妖たちが不安そうな表情を浮かべ始めた。それを一瞥した烏天狗は


「―――なんてな!冗談だ、くかかか!」

「いっ、!」

「美琴!ちょっと烏天狗、美琴に何すんのさ!」


ばしっ、と美琴の背中を力強く叩き豪快に笑い出す。

痛みで少し前のめりになった美琴に光月が心配で駆け寄り背中を擦りながら烏天狗に驚きと怒りが入り交じった表情で睨む。


「かかっ!そう怒りなさんな坊主。

なぁ琴姫よ!今の世は陰陽師だの妖が跋扈しているだのの時代ではないんだ、何も心配することはない!それに桜山だってあの四神(しじん)が守り神としているんだ。『仲間を信じる』、それがお前の流儀だろう?」


がしがしと美琴の背を摩っていた光月の栗色の髪を混ぜるようにして撫で繰り回しながら烏天狗は笑う。

美琴は体制を戻しながら溜息を吐いて「…それもそうだな」と同意しながら微笑んだ。見ていた小妖怪たちも二人の会話から不安がなくなったのかまた楽しそうな笑みを浮かべ遊び始め、光月の表情も柔らかくなった。



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