桜の指南の話。(一)
第九話。
「ねえ琴。付き合ってよ」
鵺鳥の鳴き声を背景に、美琴が部屋で書き物をしていた時だった。
部屋の縁側から顔を出し、にこりと笑みを浮かべた顎門はそう口にし、美琴に手に持っていた竹刀を差し出した。その後ろには仏頂面の觜鬼もいて――二人共、剣道着を身にまとっていた。
「なんだ、稽古中か」
「そう!でも少し退屈でさぁ。琴が居たらもっと面白いし。」
「ふむ…まぁいいか。そこの仏頂面もやるのか?」
「觜鬼、俺との賭けに負けたからね」
「賭け?」
「一本勝負して、俺が勝ったら琴。觜鬼が勝ったら雷電と二対一の稽古するって賭け。」
自分が勝ったことが嬉しかったのか、顎門の表情には溢れんばかりの笑顔が浮かんでいた。
それと対照的に、觜鬼の眉間には深い皺が刻まれており、とても不服そうだった。
「まぁお前のことだ。上手いことやって勝ったんだろう?」
「へへっ。狡賢さは夜桜一だって自負してるからね。ってことでご指導ご鞭撻、よろしくお願いします師匠」
にこりと嬉しそうに笑う顎門の言葉に、美琴は持っていた筆を置き、縦に頭を振った。
*
「腰が低い。もう少し背筋伸ばせ。お前は力み過ぎだ。そんなんじゃそのうち竹刀がお前の馬鹿力で折れるぞ。先のことを見通して足を動かせ。」
「ちぃっ…!」
「ほら腰が引けてるぞ。私から一本取るんじゃ無かったのか?」
竹刀が体に当たる鋭い音が道場に響き、それら全ては美琴の持つ竹刀が觜鬼の体を叩く音だった。
剣術に長けている美琴は、時折仲間たちの剣術の稽古に手を貸すことがある。
型は無い。だが、そこらの剣術に比べて靱やかなその体躯を上手く使い、また的確に相手の急所を狙ってくる。それは一種の舞のような美しさがありながら、実戦向きなものだった。
流れるように美琴は自分に振り被ってきた觜鬼の竹刀を受け流し、觜鬼の腹部に強い蹴りをお見舞いした。
「ぐっ…!?」
「うわぁ痛そ……」
その様子を先に美琴に打ち負かされ休憩を取っていた顎門が口元に手を当てて呟くと、すかさず美琴の声が飛んできた。
その表情は何処か煽るような、挑発的なものだった。
「やめておくか?顎門」
「嫌ですぅ〜!まだ俺は負けてませんから!」
「ならかかってこい」
美琴に促され、顎門は再び構えを取る。
しかしやはり先程のダメージが残っているのか、どこかぎこちなかった。
「おい、ちゃんと集中しろ」
「わかってるって、の!」
「遅い」
「ぐえっ…!」
竹刀で膝裏を強く叩かれ崩れ落ちた顎門の様子を見て、美琴は溜息を吐く。
そしてそのまま顎門の背後へと回り込み、彼の頭を竹刀で叩いた。
「いっ!?︎」
「これくらいで動揺していてどうする。実践に出たらもっと怖いことが起こるんだぞ」
「あ、あのねぇ!俺こう見えても結構繊細なんだよ!?︎そんなことされたら流石の俺も傷つくからね!?︎觜鬼も笑いすぎ!」
頭を両手で抑え少し涙を浮かべながら後ろに立つ美琴を見上げる顎門に、美琴に蹴られ座り込んでいた觜鬼が上体を起こし眺めながらけらけらと馬鹿にするように笑っていた。
「ほう。なら今此処でその根性を叩き直してやっても良いんだぞ」
「ごめんなさいそれだけは勘弁してください」
「ふ、冗談だ」
くすくすと笑いながら座り込んでいる顎門の頭を軽く撫で、美琴は顎門の背後から退ける。
後ろに美琴がいる――その緊張から開放されたかのように顎門はぐだっ、とそのままその場に大の字に横になった。
「鬼畜…琴ってばほんと容赦ないよね……」
大きな溜息を吐きながらも、顔には薄らと笑みを浮かべており、疲れもあるようだが何処かこの状況を楽しんでいる様だった。
そんな様子を見て、今度は美琴が呆れたような表情をする番だった。
ふと、視線を感じそちらの方を見ると、そこには壁に寄りかかり、腕を組みながらこちらの様子をじっと見ている男――鈴袮の姿があった。
その隣には同じように今までの三人の動向を観察していた雷電もいた。
二人に気づいた美琴が手招きすると、雷電は静かに座り込んでいる二人の方へ歩み寄ってきた。
「派手にやられたな、觜鬼、顎門。」
「いやぁもう容赦無さすぎて死ぬかと思ったよ」
「俺はまだ負けてねぇし」
「腹決められてる癖によく言うよ」
けらけらと笑いながら答える顎門や不満そうな觜鬼に雷電が声をかけていると、鈴袮は黙ったまま美琴の隣に立った。
美琴よりも背が高い彼は、美琴と同じ様に話している三人を眺めているようだった。
「相変わらずお前達は仲が良いな」
「ふふ、まぁな。」
微笑む彼女がとても幸せそうに見え、鈴袮はその様子に目を細めた。
夜桜組という一つの大きな家族の中で、傍から見れば美琴という存在は異質だと誰もが思ってしまうだろう。
女性であるのに大将で、女性であるのに剣が強い。女性であるが故に、人々を魅力してしまう。
だが、それでも誰も彼女に不満を口にしないし文句を言う者は一人たりともいないのだ。それは美琴が強いだけでなく皆彼女のことを尊敬し慕っていたから。彼女は誰に対しても優しく接していた為自然と人は彼女を慕ってしまうのであろう。
そして何より、彼女は自然だ。
媚びることなく、屈することなく、ただ自分の思うがままに生き、人を救いたいという強い意思だけで彼らを己の懐へと招き入れる。
鈴袮は静かに目を伏せ、この組の誰も知らない“幼い頃”の美琴を思い出していた。
(――良い、仲間に巡り会えたな…)




