幽かな霊の話。
第八話。
その日の夜。
美琴の命令通り觜鬼と顎門、そして柏李は小鬼が聞いたという声を調べるために小妖怪たちの寝泊まりしている部屋の隣に集まっていた。
中央には何本目かも分からない蝋燭がちろちろと燃え、それを囲む三人の表情を照らしている。
「大体あの女は人遣い荒すぎんだよ」
「まあ、これも一種の修行だと思ってさ!」
「何が修行だ。これなら木刀片手に山ん中駆け回ってた方がまだましだ。」
相変わらず酒を煽りながら美琴への愚痴をつらつらと述べる觜鬼に顎門は楽しそうに笑い、そんな二人の会話を聞きながら柏李は溜息を吐く。
実を言うと柏李は美琴に頼まれて此処にいる訳ではないのだが、この二人だけで調べることが正直彼女自身がとても心配になり、自主的に手助けに来てくれたのだ。
すると、小妖怪たちの部屋から笑い声が聞こえる。その声の中には美琴に仰せつかった小雪の声もあって。
「流石夜桜一面倒見のいい小雪だね。ちび達楽しそう。」
「雪女と小妖怪なんて同じようなもんだからな」
「でも小雪はうちでも古株でしょ?」
牡丹雪のような白髪を揺らし、静かに微笑む彼女の顔を思い出す顎門。
白い肌に氷のような色の瞳をした可愛らしい彼女は、觜鬼、雷電と仲間にした後に美琴が誘った元人間の雪女。
雪山に捨てられ、その憎しみから妖へと成り果てた彼女は、人を殺しながら生活をしていた。妖たちの間でも名のある人斬りで、人を傷つけることを許さない美琴が彼女を気に入り、結果的に小雪は美琴に尊敬をの眼差しを向けるようになった。
長かった髪を彼女への忠誠心の証として短く切ることでその熱意を示し、今では美琴のお目付け役としてそばに居る。
「“人斬り梅雪”なんて肩書き、昔あったよね」
「嗚呼…あの誰が噂したかどうかも分からねぇ通り名な」
「本人は黒歴史だからって、その話しした瞬間氷漬けにしてくるから参っちゃうよ」
「誰にでも掘り返されたくない過去はあるものよ。」
小さく欠伸を漏らしながら柏李が呟く。
この組にいる仲間たちは過去に何かしらあり、それを美琴に救われたり、美琴が解決したことで彼女に着いてきた者たちが多くいる。
それぞれが抱えるものがあり、それを抱擁するように美琴がいる。
改めて考えてみると――果てしないこの美琴への忠誠心は一体何処から産まれてくるのか…。神である柏李にも分からなかった。
ただ、自然と頭を垂れてしまいたくなるような不思議な威圧感のある我らが主。
自分たちのその様子が敢えて形容するなら枝垂桜。そしてそんな自分たちを跪かせる美琴はこの屋敷にも咲き誇る染井吉野の桜のような堂々たる姿だろう。
さて――しばらく三人はそのまま夜の闇に溶け込むような静かな夜を過ごし、皆が寝静まった頃になって動き出した。
小鬼の言う不思議な声と言うものが果たして顎門の言うように幽霊のものなのか。自分たちに危害を加えるものなのか。
三人は腰に愛刀を携えながら部屋を出て一度小妖怪たちの寝床を覗く。
眠る小雪の周りで小さな妖たちが身を寄り添いあって眠る様子に顎門は穏やかな笑みを浮かべて部屋を後にした。
広い屋敷の中を物音を立てないように歩き回り、原因となる声の主を探すようにして聴覚に集中する。
特に柏李は幻獣白虎であり、その聴覚は猫又などの動物系の妖のそれを上回るため、部屋で眠る仲間たちの寝息を背に違和感を探す。
一刻。二刻。時間が唯々過ぎていくだけで特に変わった様子もなく、小鬼の聞いた声と言うのも彼らの耳には入らなかった。
三人は一度部屋に戻り情報を共有しようとするもその声を聞いた者はいないため無駄骨となってしまった。
「貴重な睡眠時間ただ浪費しただけじゃねぇか」
「いや、普段から昼寝するか酒呑むかしかしてないじゃん」
「其れはそれ、之はこれ。んで、どうすんだよ顎門」
「え、俺?」
「彼奴から仰せつかったのお前だろ。俺は巻き込まれただけだ」
「そこは知恵を絞ってよ若頭ぁ」
「こういう時だけ若頭扱いしやがって…」
がしがしと己の頭を掻きながら觜鬼は頭を悩ませた。
はっきり言って小鬼が寝ぼけていただけだと考えたくなるようなことだが、三人はその考えを一旦除外した。
仮に寝惚けていたとしたら其れは其れで良いが、一縷でも仲間たちに危険が及ぶようなことなのであれば、觜鬼たちが対処しなくてはならない。
全ては美琴、乃至は夜桜組全体を守るためのこと。仲間を重んじる彼らにとって仲間の危険は絶対に避けたい。
それは、普段悠々と生活している觜鬼も同じ気持ちだった。
三人が膝を突き合わせ頭を悩まし、考えがまとまらなかったのか顎門が「あー」と言葉を漏らした。
刹那――三人は反射的に置いてあった刀を掴み、柄に手を掛け警戒心を一気に上げた。
「…聞こえた?」
「聞こえてるからこうなってんだろ」
それまで気怠げにしていた觜鬼の紅色の眼光が鋭く光り、身を低くする。
彼らの耳に届いたのは小鬼曰く『言葉で言い難い声』と言われたそれであり、その言葉は相応しかった。
猿の軋んだ鳴き声に近く。
狸の甲高い声に近く。
虎の地響きのような唸り声に近く。
蛇の地を這うような音に近く。
全てをくしゃりと丸めたようなその不気味な声に、三人は背を合わせて三方を見つめる。
「幽霊…つうかこれは妖の類みてぇだな」
「なぁんだ。幽霊だったら面白かったのに」
「あんたはまた面白がって…」
小さく溜息を吐く柏李に顎門は何処か余裕な表情で笑った。
すると、丸めた歪な声の合間に何かの声が加えられた。それは今まで挙げられた鳴き声とはまた違う声で。
《――…ヒ…ウ…》
禍々しい声の中で際立つ、絹糸のような柔らかな鳴き声が、丸められた声たちに紛れる。
聞き馴染みのない…だが知識として彼らの記憶にあるその声に觜鬼たちは互いを一瞥した。
「今のって…」
「…噂でしか聞いた事ねぇが…まさか」
警戒していた觜鬼は低くしていた体をゆっくりと起こし、恐らく聞こえてきたであろう縁側へと出る襖をゆっくりと開けると視界には何も変わらない庭があった。
屋敷を縁取るようにあるこの庭の一角には、植物を愛する美琴らしい立派な松の木が植えられている。
桜の木はあるのだが、それだけでは味気ないと昔美琴自身の手で植えられ今では立派になったその木に――何かがいる。
それが視界に入った瞬間觜鬼は鯉口を切り、再度鋭く眼光を尖らせる。
するとまた不気味な声が響き出すも、先程よりもあの鳴き声が聞こえやすくなっている。
《――…ウ…ヒョ…ウ…ヒョウ…》
「觜鬼これってやっぱり…」
「…嗚呼」
三人は確信したのか今まで張り詰めていた緊張を解き、觜鬼も姿勢を戻し大きな溜息を吐いた。
柏李が庭へと降り、松の木に近づき見上げると、枝には不思議な雰囲気の鳥がじいっと柏李を見下ろしていた。
黄褐色の鱗のような羽毛をもち、黒い嘴をしている一見ただの鳥だが、その眼は赤く、また尾は羽毛の色味とは掛け離れた白銀をしており、長くしなやかなそれが風に揺れている。
「――鵺鳥…」
*
「―――と、言うことであの変な声の原因は、鵺鳥が“鵺”になる為に擬態する動物の鳴き声を真似していたみたい。」
朝。美琴の手の甲に止まり毛繕いをする鵺鳥を見ながら、柏李が昨晩の出来事を説明した。
あの奇妙な鳥は鵺鳥という妖の一種。
その鳴き声は虎鶫と呼ばれる鳥と似ており、人間は虎鶫の別名として鵺鳥と名称しているが、本来鵺鳥とはまた別物で、虎鶫は鳥、鵺鳥は妖と判断される。
また鵺鳥は擬態を得意とする妖で、伝承や文献などに載っている《鵺》の正体。
猿の頭、狸の胴、虎の足、蛇の尾を持つ不気味な妖で、鵺鳥が妖として成長した後に必ず習得する妖の姿がその鵺。
「鵺鳥は本当に貴重な種で、滅多にこの世に産まれない妖なんだけど…あたしもこうして見たのは初めてだったから最初気づかなかったよ」
「鵺鳥が鵺に変化するのも希少だからな。此奴もまだ成長段階なんだろうね。
ちなみに柏李、鵺鳥は何を食べるんだろうか」
「え、姐さんもしかして飼う…いや、仲間にする気?」
「ふふ。まぁ希少な存在ならここにいた方が安全だろうしな。鵺に変化できた所を私も見てみたいし…それに、此奴も此処の空気が好きなようだ」
不意に羽を広げ美琴の部屋を飛びそのまま襖を抜けて庭の桜の木の枝に止まると、鵺鳥はあの綺麗な鳴き声を上げた。
《ヒョウ…ヒョウ…》
「…綺麗な声だね。良い朝の目覚めになりそうだ」
楽しそうに、居心地のよい声で鳴く鵺鳥の声に釣られて仲間たちが集まってきているのを眺めながら美琴は幸せそうな笑みを浮かべ、長閑な空気を楽しみ始めた。
そんな彼女の様子に、柏李もその落ち着いた空気感に絆された様に鵺鳥に目を向ける。
その口元には三日月が浮かんでいて、今日の日常も平和だと物語っていた。




