4章 エピローグ2 破滅のトリガー
「どうやら太刀川が、身辺整理処置の希望を取り下げたようです」
「……取り下げたとして、問題はないのか?」
「はい。例の人物が、こちらに損害をもたらすことはなさそうです」
「……そうか」
氷雨の報告に、厳樹は無表情でそう答えた。
現在、二人はエレベーターの中にいた。
向かっているのは地下。
彼女たち二人しか知らない秘匿空間だ。
「しかし、無駄足になってしまったな」
「申し訳ございません」
「実害がないのなら構わない」
エレベーターの扉が開く。
彼女たちがいるのは地下一階。
にもかかわらず一分以上エレベーターは下降を続けていた。
その理由は単純。
ここがかなり深い位置に存在しているからだ。
不気味な赤いランプに照らされた大空間。
そこは立方体の空間だった。
かなり広大な造りとなっており、一辺あたり数百メートルはあるだろう。
深く、広い。
意味もなく、こんな空間を秘密裏に作るわけがない。
そして、その意味は部屋の中心に鎮座していた。
「こいつも、今回は出番がなかったようだな」
「はい」
氷雨は厳樹の斜め後ろに立ったまま、目の前の存在を見上げた。
――それは部屋の半分を占めるほどに巨大な肉塊だった。
あらゆる生物を無作為につないだような狂ったデザイン。
あまりに雑多で、規則性も実用性もない姿。
だからこそ不気味で、恐ろしい。
人間に理解を許さない化け物がそこにいた。
――肉塊は動かない。
いくつもある大小の眼はすべて閉じており、眠っていることが分かる。
もっとも、目覚めたところを見たことはないのだが。
――身辺整理処置をした人間は世界から忘れ去られる。
これと似た現象を起こす存在がいる。
――《ファージ》だ。
あの化け物に食われた存在は、あらゆる記録から抹消される。
単純な話だ。
身辺整理処置とは、目の前にいる巨大な《ファージ》に対象を食わせることなのだ。
そうやって、ALICEとなる者の情報を洗い流すのだ。
事務所の地下に《ファージ》が封印されている。
そんな事実をALICEに伝えられるわけがない。
だから身辺整理の詳細は秘匿されているというわけだ。
「ようやく、殺すべき敵の全貌が見えた」
厳樹は躊躇いなく肉塊に歩み寄ってゆく。
眠っているとはいえ、あの化け物を前にして尻込みしないなど狂気でしかない。
まともな精神を持っていれば、足が竦むことだろう。
歴戦のALICEである氷雨でさえ生理的嫌悪が拭えないのだから。
そんな化け物を前にしても、厳樹は一切曲がらない。
「私は《ファージ》を滅ぼす」
彼は両手を広げ、化け物の前に立った。
肉塊は反応を見せない。
「そのためなら、何でも利用してやろう」
それでも彼は語る。
目の前の化け物にではない。
自分自身に。
「たとえそれが――世界を滅ぼすトリガーだとしても」
彼にとって、目の前の肉塊は復讐のための手段でしかない。
手段なんかに話しかける奴はいない。
だから彼は、そのトリガーを引くであろう自分自身に語りかけている。
「なあ――――」
「――――マザー・マリア」
始まりの街にラストダンジョンがあるという展開。
そして身辺整理。
その性質は、莉子に起きた現象に近い。
ついに箱庭が持つブラック部分が少し出せました。
それでは次回は『記憶の欠片・太刀川美裂』です。