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4章 エピローグ1 悪として

 とある病院の一室。

 美裂は一人の女性を見ていた。

 初めて会ったときは黒髪だった。

 そして再会したときは白髪だった。

 きっと、重ねた苦しみが彼女を変えたのだ。

 そしてその原因は、美裂だった。

「……ん」

 女性――荒須紬が目を覚ました。

「ここは……」

 まだ意識がはっきりとしないのか、寝ぼけた様子で彼女は周囲を見回している。

「病院だよ」

「…………」

 美裂が声をかけたことで、紬は彼女の存在を認知した。

「良かったな。内臓に異常はなかったみてぇだし、今日中に退院できんじゃねぇの?」

「…………綾は」

 紬は身を起こしてそう問い詰めてくる。

 内臓が無事だったとは言ったが、腹には痣が残っている。

 普通の人間にとっては重いダメージだったはずだ。

 体を動かすのも辛いはずなのに、彼女の視線には圧があった。

「無事だよ」

 そう美裂が告げると、紬はまたベッドに沈み込んだ。

 やはり体を起こすのは辛かったらしい。

 娘の無事を聞き安堵したのか、彼女は天井を見上げながらつぶやいた。

「――最悪の夢を見ていた気がするわ」

「そうかよ」

「夢かと思ったら現実だったわ」

「……そりゃどうも」

 最悪の夢。

 それはきっと再会の夢なのだろう。

 彼女の人生をめちゃくちゃにした悪人が目の前に現れた。

 そんな悪夢だ。

「人の家族を皆殺しにしておいて、謝罪の一つもないのね」

「そっちこそ、アタシを殺してんじゃねぇか」

「正当な復讐よ」

 そう紬は言い切った。

「……だな」

 美裂も否定する気はない。

 どんな理由であれ、紬に恨まれる原因は美裂の行動だ。

 それを責めることができるわけがない。

(帰るか)

 美裂は立ち上がり、紬に背を向ける。

(アタシは、こいつの人生にいるべきじゃない)

 さっさと別れて、そのまま消えてしまおう。


「私は、あなたのことを忘れない」


 そんなことを考えていたからだろうか。

 紬の言葉が背後から聞こえた時、美裂は足を止めた。

「あなたは最低の悪人よ」

 紬の視線が背中に刺さる。

「私の人生を、家族を奪った悪人」

 ――そして


「そして――私の大切なものを命がけで守った……悪人よ」


「全部奪ったくせに、最後に残った宝物だけ守って……」

 ――本当に、ずるい悪人よ。

 紬はそう言った。

 彼女の表情は――見なかった。

「そうだよ」

 美裂は応える。

 彼女の言葉に。

「アタシは――救いようのねぇ悪人だ」



「良かったのか?」

 病院の廊下で天は待っていた。

 美裂が紬と交わした会話も聞こえていた。

 だからそう問いかけた。

「何がだ?」

「いや……謝罪の機会さえないっていうのはキツイんじゃないかと思ってな」

 謝罪。

 それ自体が心を救うことだってある。

 たとえば、仕事だと割り切っているつもりでも、遺族に対して抱き続けてきた罪悪感を。

 謝ることで、癒される心もあるだろう。

 だが、美裂はあえてその機会を無視した。

「ハッ……! 罪悪感がすげぇから謝らせてくれってか?」

 そう美裂は笑う。

「アタシは謝らねぇよ」

 

「謝ったら、あいつはアタシを許さなきゃいけなくなるだろうが」


 紬も理解しているはずだ。

 自分の娘を助けたのが誰かを。

 多分、謝罪を求めたのは彼女なりの譲歩だったのだろう。

 美裂が謝ったのなら、娘を助けてくれた事実と相殺するという譲歩。

 禍根を忘れてもいいという、彼女なりのメッセージだったのだ。

「アタシは悪人で、あいつは被害者。それがすべてなんだよ」

 だけどそれは、美裂を恨めなくなるということ。

 あの日の傷を、心の内に隠さねばならないということ。

 だから美裂は謝らなかったのだろう。

 もっと恨んでいい、憎んでいいと。

 娘を助けたくらいで許さなくていいと。

 それが、すべてを奪われた紬の正当な権利だと。

「そうか……」

 だから天はこれ以上何も言わなかった。

 部外者が口を出していいことじゃない。

 美裂と紬。

 あの二人にしか、この話を語る権利はない。

「なあ。もう全部、消しちまうのか?」

 だから代わりに、天はそう聞いた。

 身辺整理処置。

 美裂に関するすべてを抹消する処理。

 そうなればもう、紬は美裂のことを忘れてしまう。

 それはつまり、美裂を許してやれる存在がいなくなってしまうということ。

 彼女の傷が、不治のものとなってしまうということ。

「いや。やっぱ身辺整理はナシにするわ」

「は?」

 美裂が口にしたのは天の想定していたものとは違った。

 一方で、美裂は晴れやかな表情で笑う。


「だって、アタシのこと忘れてくれないらしいからな」


 それもまた紬が言ったことだ。

「記憶を消したくらいでどうにかなる執念じゃねぇよ」

「大丈夫なのか?」

「大丈夫じゃねぇの? 今日からアタシたちはもう、赤の他人だ」

 禍根は忘れないが、すべて過去にした。

 紬は美裂を憎み続けることだろう。

 だが、それだけ。

 彼女もまた自分自身の人生を生きていく。

 新しくできた家族とともに。

 そこに美裂が入り込む余地などない。

 復讐なんかに時間を割く暇はない。

 そういうことなのだろう。

 収まるところに収まった。

 そう表現するにはあまりに歪な結末。

 だが、そういうものなのだろう。

 当人たちが、それでも良いと思っているのだから。


 それなら、ここで物語は終わりだ。

 悲劇の復讐譚は、ここで終わりだ。

 許さず、許されず。

 忘れず、忘れられず。

 それでももう、交わらない。

 歪なままに生きていく。

 何も解消することなく。

 互いに胸にしこりを抱えたまま、自分なりに生きていく。

 そんな釈然としないストーリー。

 その結末の評価を決めるのは、当事者だけだ。

 だから――


「そういえば、美裂が言ってたラーメン屋ってこの辺なんだよな? 食いに行かないか?」

「そーだな。今度はちゃんと奢ってやるよ」

「さんきゅ」


 そんな何気ない会話を交わしながら、天たちは街を歩いてゆく。


 次からのエピローグは4章の締めくくりというより、これからへの情報開示のようなものとなります。


 それでは次回は『破滅のトリガー』です。



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