4章 17話 悪は滅びない
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
天は大剣を構える。
一撃でいい。
腕が折れようと、筋肉が引きちぎれようと。
マスキュラを断ち切るだけの斬撃を。
その一心で、天は剣を横薙ぎに振るう。
「ぃぎッ!?」
天の顔面を襲う衝撃。
それは右ストレートだった。
マスキュラの拳が、天の顔面に炸裂したのだ。
圧倒的な体格差。
小柄な天の体は客席まで吹っ飛ばされる。
座席を大量になぎ倒してやっと天の体は止まる。
衝撃で脳震盪を起こしたのだろう。
客席に横たわったまま天は動けない。
神経を断たれたかのように体が言うことを聞かないのだ。
あの状況。
マスキュラは天が放つ一撃は危険だと察知したのだろう。
だから最初に潰した。
カウンター気味に決まったパンチは一撃で天を戦闘不能に追い込んだ。
――――天が囮だと気付かずに。
倒れたまま天は戦場の行方を見守る。
そこでは――
美裂がチェーンソーで彩芽の腰を両断していた。
美裂は首を絞められたまま自由な腕でチェーンソーを振るい、マスキュラに斬りかかっていたはずの彩芽を斬り捨てたのだ。
本来なら最悪の事故。
しかし――
「《黒色の血潮》」
彩芽が相手なら話が変わる。
「なッ!?」
マスキュラが驚愕の声を上げた。
――彼の腰が両断されていたから。
天の役目は囮。
あからさまに危機感を煽ることでマスキュラの攻撃を誘い、彩芽が彼に接近するための布石となること。
そして彩芽の役割こそが要。
彼女自身が、マスキュラへとダメージを通すための媒体となること。
最初の戦闘で、マスキュラを斬ることはほぼ不可能だと感じていた。
だから、彩芽を斬り、『斬られた』という事実そのものをマスキュラに押し付ける。
そうすることで彼を倒すしかないと感じていた。
美裂の状態が分からない以上、天が彩芽を斬る役割を果たすのがプランB。
しかし突然の事態によって、天が囮役を務めた。
本来想定していなかったパターン。
しかしそれを天たちはやり遂げた。
相手の意図を一瞬で汲み取り、自分がなすべきことを理解した。
――仲間だから。
☆
「アタシは悪人だからさ」
「人質がいたくらいで約束守ったりはしないんだよな」
美裂はマスキュラの腕から逃れ、自らの足で床に立った。
彼女の足元では、マスキュラが腰を断たれた状態で転がっている。
「ってて……」
「大丈夫か?」
美裂は客席から戻ってきた天に声をかけた。
あの拳が顔面にクリーンヒットしたのだ。
かなりのダメージだったはずだ。
「平気なわけないだろ……ったく、アイドルの顔殴るなよな」
天は乱暴に顔を拭いながら歩いてくる。
足元がふらついている様子もない。
「――どうする?」
天はマスキュラを見下ろしながらそう言った。
――まだ彼には息があった。
しかし美裂たちの攻撃力では、彼の体を斬れなかった。
トドメを刺そうと思えば、彩芽の《不可思技》に頼るしかない。
そのためには彼女の体を切り刻む必要があるわけで――
「そうですね。さすがに私も死んでからダメージを交換することはできませんし、このまま死ぬまで待つしかありませんね」
死という事実そのものをシフトすることはできない。
ある意味で、それが彩芽の能力の限界だ。
「じゃあ、縛って死ぬまで待つとするか」
美裂の手元からワイヤーが伸びる。
幾重にも拘束してしまえば、死に体のマスキュラを封じることくらいは可能だろう。
そう思い美裂が彼に近づいたとき――
「離れろ美裂ッ!」
何かに気が付いたように天が叫んだ。
脳は反応しなかった。
だが、体は彼女の声に反応した。
美裂は素早くリング上から跳び退いた。
同時に、リングの四隅から影が昇る。
そして影は大きな柱となった。
「何だありゃ?」
美裂たちはわずかに困惑しながら影柱を見る。
――あんな力をマスキュラが持っていたようには見えなかったのだが。
ほんの数秒で影は形を失って散ってゆく。
再び現れたリングには、先ほどまでいなかった者たちがいた。
「ねぇミリィちゃん。食べ物が落ちてるからって食べちゃダメだよ」
「してねぇだろ。つか、あれマスキュラじゃねぇの?」
「上と下あるけどどっち?」
「いや……斬られてるだけでどっちもじゃねぇの?」
興味なさげな金髪の幼女と、マスキュラの死体を興味深げに観察している少年。
さらに二人の後ろには、赤髪を三つ編みにした少女がいた。
「でもこの場合、上だけあれば良くない?」
「だけどミリィちゃんは男の下半身が大好きなんじゃないかな?」
「こいつの場合は上半身が嫌いなだけで、別に下半身が好きなわけじゃねぇ。ってか、お前ら同族の体で遊びすぎだろ……」
グルーミリィ・キャラメリゼ。
レディメア・ハピネス。
ジャック・リップサーヴィス。
そこにいたのは、かつて倒したはずの《上級ファージ》だった。
ちなみに、天たちが地下に潜伏していた理由は、暗転した空間でも彩芽の能力の発動条件である『対象を目視する』を満たせるようにするためでもあります。
……あと1話とエピローグ数話の後、5章『あの日の君へ』を開始いたします。
5章のメインヒロインは瑠璃宮蓮華。
1章の最後に語られた過去。そして、まだ語られていない過去が関わる物語となります。
本作は2部構成を予定しており、5章は第1部の最終章となります。
物語の区切りとなる章ですので楽しんでいただけると幸いです。
それでは次回は『世界の影』です。




