4章 5話 暗殺者に華はいらない2
「あいつの家族は――スパイだった」
美裂はそう語り始める。
あいつ。
それはきっと、古本屋で出会ったあの女性のことだろう。
「孤児を見繕って作られた偽装家族だった。だから――アタシたちの管轄になった」
子供までいたのなら怪しまれにくい。
そんな理由で、子供を用意したのだろう。
美裂の言葉にはそんなニュアンスが込められていた。
「任務は家族皆殺し――アタシの初仕事だった」
「で、まだトーシローだったアタシはしくじった」
――娘を殺し損ねた。
殺し損ねた。
その理由は――語らなかった。
ただのミスか。それとも同情か。
それを知るのは美裂だけだ。
「幸い娘は何も知らなかったからな。強盗による惨殺事件ってことで済ませられた。アタシたちも、娘を殺すことよりも太刀川家が露見するリスクの回避を取った」
――笑えるだろ?
美裂は空笑いを漏らした。
「いつだって、傷つけた奴はそのことをあっさりと忘れちまう。傷つけられた側が感じた憎しみを軽視しちまう」
「5年だ。5年かけて、娘はアタシを探し出した」
彼女は美裂の顔を覚えていたのだろう。
焼きつかせていたのだろう。
その執念が、美裂へとつながった。
「で、ある日、仕事帰りにグサッっとな」
そう言うと、美裂はベンチに体重を預ける。
「そのまま死んで、今度はアイドル生活ってわけだ」
――美裂はあえて乱雑に、露悪的に語る。
確かに、人を殺すことが罪でないわけがない。
だが、彼女には選択肢がなかった。
生まれた時から避けようがなかった。
そして――美裂を殺したという女性が感じた憎悪。
それもきっと真っ当なものだ。
国家にとって不利益でも、彼女にとっては大切な両親だったから。
釈然としない理不尽。
誰もが悪くて、誰かだけが悪いわけではない。
絶対的な悪者がいない悲劇の物語。
誰を責めていいのかが分からない、落としどころのない筋書き。
天には、うまく返す言葉など浮かばなかった。
「なんでそんな話を――」
赤裸々に語る美裂にそう問いかけた。
暗殺稼業。
本来なら、軽々しく話せる内容ではないはず。
それを話したのは――
「どうせ今日、身辺整理処置を受けるつもりだったからな。最後に、話しちまいたくなっただけだ」
ある意味で予想できていた回答だった。
今日で太刀川美裂という存在の生きた証は消失する。
だからこそ、わざわざ隠す必要がなくなったのだ。
「ま、安心しろよ。身辺整理処置を受けても、ALICEは影響を受けないからさ。別に今日でお別れって話にはならねぇさ」
――莉子は《ファージ》に食らわれて世界の記録から消えた。
それでも、天たちは彼女のことを覚えていた。
それと同じ理屈なのだろう。
ALICEは記憶処置の影響を受けない。
だから、天が美裂を忘れることはない。
「……ファンはどうするんだよ」
だが、ファンは違う。
太刀川美裂がアイドルとして築き上げてきたもの。
本気で自分のことを大切に思ってくれる人たち。
そんな皆に自分のことを忘れられる。
それはきっと、耐えがたい苦痛なのではないだろうか。
「そりゃあまあ……一からやり直すさ」
――デビューからな。
今、身辺整理処置を受けたのなら、美裂がアイドルとして生きてきた記憶も消えてしまう。
確かに美裂はすぐに戻ってくるだろう。
新人アイドルとして。
すべてのファンに忘れられ、また一から始めてゆくのだろう。
「死んでも終わりじゃない世の中だ。忘れられるくらいどうってことねぇよ」
生きていればまたやり直せる。
死んでやり直したALICEならなおさらのこと。
「アタシの過去はすべて消え、殺し屋だった過去はなかったことになる」
――アタシの中以外からはな。
彼女はそう笑う。
少し寂しそうに。
過去は傷だ。
いくら世界から記憶が消えても、彼女自身には刻まれたままだ。
皆が忘れても、彼女は忘れない。
一生モノの傷なのだ。
忘れられてしまうことで、許される機会さえ失ってしまう。
「じゃ、オッサンを叩き起こしてくるかな」
美裂は首を鳴らす。
どうやら話は終わりらしい。
「……俺も一緒に来ていいか?」
「ん? センチになってんのか?」
「なってないし」
悪戯っぽく笑う美裂。天は頬を膨らませる。
感傷的な気持ち。……強く否定はできない。
「なんか、どういうことするのか気になるだろ?」
ALICE。
本人である天でさえ、そのメカニズムをよく知らない。
どうやって生まれるのかなど、知らないことだらけだ。
だから気になったというのも事実だ。
「確かにな。あんま見るチャンスもないだろうし」
――じゃあ、美少女二人でモーニングコールしてやるか。
美裂の言葉とともに、二人は助広の部屋を目指した。
身辺整理処置を受けてしまうと、一般人であるファンからは忘れられてしまい、アイドルとしてデビューしたという記録も消えてしまいます。
そのため、実質最初からデビューしなおしとなります。
それでは次回は『オッサンの部屋で3人』です。