3章 エピローグ4 記憶の欠片・生天目彩芽
「ここは――」
真っ白な世界。
青空どころか地面さえ存在しない白塗りの世界に彩芽は立っていた。
「死後の世界は完全な無だった。……ということでしょうか」
彩芽は思い出す。
周囲にまき散らされようとしていた死の閃光。
それを防ぐため、すべてを受け止めたという事実を。
ジャックの言霊は発言そのものを妨害しない限りどうすることもできなかった。
つまり、真っ向から受け止めた彩芽が生きている道理はない。
見えているのは白だけ。
もはやそれは暗闇と相違ない。
音を鳴らす存在は自分だけ。
気温も感じられず、風もない。
五感へ届く情報が極端に少ない世界。
――何も感じることができない世界において、人間は長く正気を保つことはできないという。
完全な無というわけでもないが、この世界も遠からずだろう。
だとしたら、このままゆっくりと精神を壊されてゆくのか。
静かな地獄。
「ある意味では、私にふさわしい最期なのかもしれませんね」
そうぼやいた。
心も体も壊されて無に還る。
自分らしい末路だ。
「……姉さん」
「!」
声が聞こえた。
久しく聞く声。
それでいて、忘れるはずもない声。
「……和樹」
生天目和樹。
それは、弟の名だ。
――もう死んでしまったはずの、弟の名だ。
「死後の世界という予想は間違っていなかったみたいですね」
彼が現れたことで、もう言い訳の余地はなくなった。
彩芽は微妙な微笑みを浮かべた。
再会を喜ぶような、胸がチクリと痛むような。
そんな複雑な気持ち。
その意味を自分でもいまいち理解できていない。
「和樹」
目の前に立つ少年に歩み寄る。
失った家族の名前を呼びながら。
ずっと前から決めていた。
彼に会ったら最初に――
「……ごめんなさい」
――謝ると。
「弱くてごめんなさい。守れなくて、ごめんなさい」
――最初に死んだのは母だった。
彩芽たち姉弟を守った結果だ。
次に死んだのは弟だった。
格好つけながらも震えていた彼は、彩芽をかばって死んだ。
生きてほしい。
自分が死んだとしても、家族だけは。
そうやってつながれたバトン。
だが、最後は彩芽も死んでしまった。
家族がつないだバトンを、自分は取り落としてしまったのだ。
家族の犠牲を、彩芽は無駄にした。
「私だけ……生きていてごめんなさい」
その癖に、自分にだけ再びチャンスが与えられた。
最後まで逃げ続けた自分だけが、命を与えられた。
ALICEが救世主だというのならば、もっと英雄にふさわしい心の持ち主がいたというのに。
守られただけの自分が、やり直すことを許された。
そんな理不尽が、彩芽を苛み続けた。
「こんな私だけど……また……みんなと一緒にいさせてください」
仲の良い家族だった。
だからきっと、彼は今も母――咎芽とともにいることだろう。
死を迎え、家族とまた会える。
一緒にいたい。
そう願う。
自分だけ生き返っておいて恥知らずな願いだと言われても仕方がないだろう。
それでも、思ってしまうのだ。
またみんなと――
「…………嫌だ」
だが、聞こえたのは否定だった。拒絶だった。
和樹は間違いなく、彩芽を拒んだ。
「僕は、姉さんを許さない」
「…………」
「姉さんと一緒になんていたくない」
そう言い捨てると和樹は背中を向けた。
「だから――帰ってよ。元の世界に」
彼の背中がそう言った。
「ッ!」
その時、世界が切り替わった。
世界が白と黒に分かれる。
一本の境界線に隔てられたモノクロの世界。
和樹は白い世界に。
彩芽は境界線上に。
二人はそれぞれ立っていた。
「かず――」
「来ないでッ!」
彩芽が一歩踏み出しかけた時、和樹の怒声が響いた。
彼女の足が止まる。
「姉さんの顔なんか見たくもない」
会いたくない。
一緒にいたくない。
……その言葉の意味を理解できないほど馬鹿ではない。
彼が優しいことをよく知っているから。
「…………」
彩芽は振り返った。
黒。
そこは先の見えない闇が広がる世界。
過去には影が落ち、未来は闇の中にある。
現在さえおぼつかない、そんな不透明な世界。
そして、これまで生きてきた世界。
あの暗闇の中には、置いてきてしまったものもたくさんある。
すべてを捨て去って、解き放たれたいという気持ちはある。
だけど――
「……分かった」
彩芽は顔を上げた。
今、下を向いたら、零れ落ちてしまうから。
「和樹――」
「お姉ちゃん。もう一回、頑張ってくるね」
彩芽は元の世界に帰ってゆく。
家族の、優しい拒絶に背中を押されながら。
これにて3章は終了いたします。
次回からは4章『暗殺者に花束を』を連載していきたいと考えています。
メインヒロインは太刀川美裂。
正直サブタイトルから、彼女の過去は大体分かってしまいますね。
3章の時点で、美裂が『プロ』扱いされれていたり示唆している部分はあったのですが。
そして、身辺整理処置を受けていないことで『周囲の人間から忘れられていない』という部分が4章のポイントになっていく予定です。
それでは次回は『撮影会・10月号』です。
テーマは『ハロウィン』です。
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