3章 エピローグ3 祝杯
「ライブは無事に終わったようだな」
「……はい」
何をどう間違ったのだろうか。
サマーライブを終えた日の夜。
彩芽は厳樹と二人きりでいた。
「「…………」」
話し声はなく。
夜ということもあり物音もない。
「お父様はいつまで――」
「明日の朝にはもう出る」
「……そうですか」
彩芽は目の前にあった液体を口に含む。
最近になって味わえるようになった酒の味。
それにしても、親子同士での晩酌とはもっと平和的なものだと思っていたのだが。
「………………」
厳樹がワインボトルを持ち上げた。
だが注がない。
ただ持ち上げている。
「?」
彩芽は数瞬だけ考え、厳樹の意図を悟る。
「…………」
遠慮しながらも彩芽はグラスを厳樹に差し出した。
彼女の解釈であっていたのだろう。
厳樹は何も言わず、グラスにワインを注いだ。
「この酒は、咎芽が好きだったものだ」
ただ厳樹はそう言った。
――生天目咎芽。
彩芽にとって母であり、厳樹にとって妻にあたる人物。
厳樹が注いだのは、そんな思い出の味だった。
彩芽はゆっくりとワインを口内に含み、飲み込んだ。
「……私には少し、辛いですね」
虚飾に意味はないだろう。
彩芽は率直な感想を口にした。
「どうやら、私はお母様にはなれないみたいです」
生天目厳樹が愛しているのは妻だけ。
彼が愛した女性には、なれないらしい。
「……実は、私もこの酒は苦手だ」
「え?」
厳樹の言葉が信じがたく、思わず聞き返した。
「今日くらいは、と思ったんだがな」
厳樹はボトルを見て目を細めた。
懐かしむような視線。
「…………」
厳樹はその味が好きだったのではない。
妻を殺した《ファージ》を討てた。
仇をとれた。
だから、妻が好きだった味を思い出してみたかった。
それだけだったのかもしれない。
「無理に好きでもない酒を飲む必要もないだろう」
厳樹は新しいボトルを取り出した。
そして、注ぎ口を彩芽に向ける。
「飲んでみろ。さっきの酒より飲みやすい」
「……美味しい、です」
フルーティで、舌にやさしい味わい。
先程のものに比べて癖がなく、飲みやすい。
どうやら、彩芽の味覚は父譲りだったようだ。
「………………そうか」
「………!」
(今……)
(お父様が…………笑った?)
ほんの一瞬。
小さな変化。
だが、間違いなく彼は微笑んだ。
娘と味の好みが近かったから?
だとしたら――
「彩芽。私はお前が嫌いだ」
そんな気持ちを一蹴するように厳樹は断言した。
「……はい」
普段ならここで会話は終わる。
そして、またすれ違ってゆく。
しかし、今回に限っては続きがあった。
「――――私も、お前みたいに戦える才能が欲しかった」
「……え?」
(そう……だったんですね)
その言葉を聞いて、氷解した。
――決して厳樹は、最初から彩芽に対して冷たかったわけではない。
妻を亡くすまでは、普通の良き父親であったと記憶している。
そんな彼が彩芽に強く当たるようになった理由。
(お父様が私を嫌いな理由は――嫉妬だった)
――彩芽にだけALICE適性があったから。
彩芽にだけ、自らの手で復讐するための力があった。
心の底から《ファージ》が憎くて、殺してやりたい。
そう思っているのに、自分にはそれを実現する力がなかったから。
だから――妬ましかったのだ。
(戦うための才能がなくて、それでも諦めきれなくて)
(諦めきれなかったから、組織を作った)
自分の力では仇を討てないから、仇を討つための組織を率いることにした。
(諦めが悪くて、愚直な人)
凡人にはできない生き方。
大きな壁をいくつも乗り越え、彼はここまで来た。
「すみません……」
「嫌われていても、私はお父様のことが好きみたいです」
たとえ厳樹が彩芽を嫌っていてもいい。
それでも、彩芽にとって彼は大切な家族なのだ。
これが、10話で厳樹が口にした「お前じゃなければよかった」の本当の意味。
それでは次回は『記憶の欠片・生天目彩芽』です。
とはいえ、彼女の過去に関しては語るべき内容が特にないため、3章エピローグ1の際に彩芽が見ていたという夢の話となります。