3章 19話 遺言
ジャックが地に倒れる。
背中に突き立てられた大剣はまるで墓標のようだ。
「……ふぅ」
天は息を吐く。
薄氷の勝利だった。
代替案はない。あの作戦が失敗した時点で勝ち目はなかった。
諦めるつもりはないが、苦しい戦いとなっていただろう。
「大丈夫か?」
天は拘束を解かれていた彩芽に歩み寄る。
「ええ。眠っているけど、怪我は治っていますよ」
そう言うと、彩芽は膝の上で眠っている蓮華の頭を撫でた。
やはりダメージが大きく、意識を保ちきれなかったらしい。
(こんな顔で寝るんだな……)
蓮華の寝顔は無防備で、普段の彼女とはかけ離れていた。
なんというか、想像していたよりも可愛い。
年相応の少女だった。
「って、俺が言ってるのは彩芽のほうだよ」
「私ですか?」
きょとんとした表情の彩芽。
「体もそうだけどさ――」
天はジャックの遺体へと視線を向けた。
「少しは……心も晴れたのか?」
復讐。
それは褒められた行動ではない。
だが、善悪で止まる感情でもないだろう。
それほどに身を焦がしてしまう衝動なのだ。
だからこそ、それを果たしてしまった彩芽の心が知りたい。
気持ちが晴れたのか。
去来したのは虚無だけなのか。
新しい人生を生きるための復讐だったのか。
自分ごと燃え尽きてしまうような復讐だったのか。
それが知りたかった。
「よく……分かりません」
彩芽はそう言った。
きっとその言葉に偽りはないのだろう。
「思っていたよりも……気持ちは晴れませんでした」
彩芽の瞳にあったのは切なさだった。
「なあ、彩芽」
「はい?」
「俺、また……彩芽のクッキーが食いたい」
「………………」
これからも一緒に生きてゆこう。
天はそう伝えたかった。
復讐を人生の終わりにしてほしくない。
復讐が生きる動機であってもいい。
でも、復讐をゴールにしてほしくない。
今日、彩芽の人生はゼロになった。
だが終わりのゼロではない。
スタートラインのゼロなのだ。
そう思ってほしかった。
「くす……。分かりました」
彩芽は小さく笑った。
天の言葉の意味を正確に理解してくれたのだろう。
「……さんきゅ」
二つの意味を込め、天はそう答えた。
「それじゃあ、みんなで帰ると――――」
「《お前らマジで死ねよ》」
「「ッ!」」
声が聞こえた。
最悪の声が。
「てめぇ!」
天が叫ぶ。
そこにいたのは倒れたままのジャック。
彼は腕を持ち上げ、天に照準を合わせていた。
「……知ってるかな? 人間って、倒れた状態なら……立っているときの三分の一以下の血圧でも意識を保てるんだよ」
ジャックの笑みが深まる。
嘲り、嗤う。
勝者と思い違った愚者たちを。
「人間にできるんだから、僕にできない道理もない」
「拝聴しなよ。僕の遺言をさ」
「《象牙色の悪魔》!」
(あの攻撃を防ぐ未来を!)
ジャックの手元には巨大な黒玉が生成されている。
これまでの攻撃とは比べ物にならない規模。
しかも込められた言霊は『死』そのもの。
おそらく――あれに触れた生物は死ぬ。
(あれを撃たせたらヤバイッ……!)
悪魔があの力の正体を看破する。
その答えは絶望的なものだ。
――即死の閃光を散弾銃のようにまき散らすというもの。
しかも射程は数百メートルに及ぶ。
(あんなのを撃たせたら、確実に一般人まで死ぬ!)
だとしたら――
「撃たせるかよッ!」
悪魔は答えを出していた。
――あの攻撃は防御不能。
死なないためには回避しかないと。
だが、避けられない。避けたら多くの人が死んでしまう。
(被害を最小限にとどめるなら――)
(攻撃が拡散する前に俺自身の体で防ぐしかない)
まだ発射されていない今の時点で、体ごと押さえ込む。
広範囲に振りまかれるはずの呪詛を一身に受け止める。
そうすれば一人死ぬだけで済む。
(こいつの攻撃を許したのは俺のミスだ)
肺を潰して、終わったと思い込んだ。
仲間の無事を気にするあまり、敵の死亡確認を怠った。
(だから、俺自身でツケは払う!)
仲間も、一般人も死なせない。
身を挺してでも守ってみせる。
「ありがとうございました」
天が駆けだそうとしたとき、そんな声が聞こえた。
同時に、彼女の足首が血を吹く。
アキレス腱を断たれ、天は地面に転がった。
(新手かッ……!?)
そう思い声の主を目で追って――固まった。
「クッキーは……私の部屋に置いてありますから。食べておいてくださいね」
彩芽だ。
彼女は何かを諦めたような、それでいて決意を感じさせる表情でジャックに歩み寄った。
「人を呪わば穴二つ……どうやら真理のようですね」
彩芽はジャックの前で膝をつく。
そして、死の呪詛を――抱きしめた。
「一緒に死にましょう。どうせ行き先も一緒でしょうし」
「ただ……私の大切な人たちを巻き込ませない」
「彩芽ぇぇぇぇぇぇッ!」
糸が切れたように彩芽が倒れてゆく。
必死の思いで彼女の体を抱きとめる。
彼女を土に触れさせたくなどなかった。
「彩芽! 彩芽!」
天は彩芽の名前を呼ぶ。
それでも彼女は応えない。
ただ安らかに――
「《象牙色の悪魔》!」
天は彩芽の体を解析する。
そうすればきっと――
「ぁ……」
天は腰を抜かすように座り込んだ。
「あや……め?」
生天目彩芽の心臓は……すでに止まっていた。
ジャックの遺言は最悪の置き土産に。
彼の言霊は絶対です。しかし、彼の指定していない部分には改変の余地が……
それでは次回は「欠けさせねぇよ」です。
エピローグ数話の後、4章「暗殺者に花束を」を開始いたします。
メインは太刀川美裂。彼女の過去にまつわるエピソードとなってゆきます。