3章 10話 すれ違い
「私も懲りませんね」
夕焼けに照らされながら、彩芽は一人で立っていた。
彼女がいるのは事務所の入り口だ。
理由は――
「――お疲れさまでした」
今となっては唯一となってしまった肉親を見送るためだ。
今日は生天目厳樹が事務所を訪れてから三日目。
つまり、今日から彼はしばらくここに現れることはない。
だからこそ彩芽はここで待っていた。
それは毎年繰り返されてきたことだ。
毎年繰り返されてきた徒労だ。
「……それでは私はここで」
部下として厳樹を見送っていたのだろう。
彼の斜め後ろで追従していた氷雨は、彩芽を一目見るとそう言って立ち去った。
親子水入らずということだろう。
もっとも、水を差されることは目に見えているが。
「――――」
厳樹が立ち止まる。
立ち止まらざるを得ないよう、彩芽が道をふさいで立っていたからだ。
「…………」
ゆっくりと彩芽は道を開ける。
別に、返事があるまで通さないなどというつもりはない。
そこまで子供ではない。
だが、確実に彩芽の存在を厳樹に認識させた。
それだけで充分だ。
「どうしてここにいる」
厳樹が発した声は疑問なのか糾弾なのか。
その鋭い視線からは読み取れない。
「家族の見送りをすることはおかしいことですか?」
「世間的にはおかしくないだろう。だが、私は望まない」
そう厳樹は言い切った。
「そんな暇があれば力を蓄えろ」
それとも――
厳樹の視線が彩芽を貫く。
「もう復讐心は忘れたのか?」
復讐心。
それは、生天目彩芽の原動力となるべき感情。
時が過ぎても、仲間が増えようとも変わってはいけない根幹。
「……まさか」
だから彩芽はそう答えた。
それだけで厳樹が聞きたかったことは終わってしまったのだろう。
そのまま厳樹は彩芽の傍らを通り過ぎてゆく。
「――お前じゃなければよかった」
そう残して。
「そうですね……」
みんな死んでしまった。
母も。弟も。
仲睦まじい夫婦だった。
将来を嘱望された弟だった。
姉は――大人しいだけの、邪魔にならないことだけが取り柄のような人間だった。
「生き残ったのが私じゃなければ……違った未来があったんでしょうね」
ただ、姉にだけ素質があった。
ALICEとして生き返り、戦う素質があった。
失われた家族。
戻ってきたのは、大した才覚もない娘だけ。
ある意味では必然だったのかもしれない。
生きている娘より、失くしてしまった妻と息子の復讐に固執してしまうことは。
娘が復讐の手段に見えてしまうことも、仕方がないのかもしれない。
(やっぱり、変わっていなかった)
これまでずっと繰り返してきたことだ。
何度も確認したことだ。
(あの人の復讐心は今も変わらないまま)
身を焦がすほどの激情。
だからこそ厳樹はここまで来ることができた。
ALICEをここまでの組織に仕上げたのは厳樹だ。
始まりは彼一人だった。
人材も金も、すべて彼が集めた。
そしてALICEなどという超自然的な戦力を手に入れた。
そこまで走り続けた彼が抱いているのは妄執というべきだろう。
そんな彼が今さら、娘一人だけを特別に思えるわけがない。
彩芽でさえも、手札の一枚に過ぎない。
分かっている。
分かっていた。
だから彩芽は追わない。
厳樹へと振り返ることさえない。
「――どういう意味だよ」
「……え?」
だから彩芽は、彼女の登場に気付けなかった。
「今のはどういう意味の言葉だって聞いてるんだよ」
少女は赤髪を揺らし、厳樹を問い詰める。
「なんの話だ」
「忘れたとは言わせねえぞ。それとも、忘れるくらいどうでも良いってのか」
少女――天宮天は明らかに怒っていた。
「『お前じゃなければよかった』って言ったよな」
天はそう口にした。
「俺だって、自分が部外者だってことくらい分かってる」
天は厳樹を睨む。
「家族同士だし、『最初は見てない、聞いてない』で通そうと思ってた」
おそらく彼女は少し前から近くにいたのだろう。
しかし彩芽と厳樹――親子が対面していることに気付き身を隠していたのだ。
親子の時間を邪魔しないために。
「でも、さっきのは無理だ」
しかし、天は飛び出した。
それほどまでに厳樹の言葉を許容できなかったのだ。
「誤解だってんなら説明してくれよ」
天は厳樹の目の前に立つ。
「俺が馬鹿みたいに空回りした勘違い野郎っていうなら説明してくれよ」
「アンタにとって、家族って何なんだよ」
厳樹は《ファージ》絶対殺すマンと化しているので、彩芽に対する扱いもかなり雑です。
でも実は、以前は家族想いな普通のサラリーマンだったりします。
厳樹って世間的に見て『脱サラしてアイドル事務所を経営し始めた目がめっちゃギラギラした怖い人』なんですよね。……謎すぎる。
それでは次回は『家族』です。