3章 5話 大人たちの話
「スカウトは順調なようだな。神楽坂」
会議室に生天目厳樹の声が響いた。
声量が大きなわけでもない。
それでも重みを感じさせる声だった。
「最近はALICEの研究も進んでますからねぇ」
神楽坂助広はへらりと笑う。
厳樹を前にしても飄々とした態度は崩れない。
この事務所のトップは生天目厳樹だ。
しかし、その活動の全権を任されているのは妃氷雨と神楽坂助広の二人。
氷雨が担当しているのは戦闘訓練と、指揮。
つまり彼女が担っているのは救済者としてのALICE。
一方で、神楽坂助広が関わっているのはアイドルとしてのALICE。
彼女たちのスカウト、そしてアイドル活動を支えている。
そう――スカウトだ。
死人をALICEとして蘇生させる技術体系を築いたのは彼だ。
ALICE適性を持つ死体を回収し、新しいALICEとする。
ある程度のレベルまでは氷雨も理解しているが、ALICEシステムにおいて彼以上に知る人物はいないだろう。
「しかし、気になる点もある」
そう言って、厳樹は三枚の履歴書をテーブルに置いた。
投げるように置かれたそれは机上を滑り、机の中心で止まった。
三枚の履歴書。
そこに書かれているのは三人の少女だ。
「天条アンジェリカ。彼女に関しては『身辺整理』が終わっていると記されている」
ALICEとなった人間は周囲から忘れ去られる。
厳密にいえば、忘れ去らせる。
それがこの事務所における身辺整理。
身辺整理を経てしまえば、いくら本人が覚えていても親でさえ彼女たちのことを思い出せないのだ。
「彼女は資産家の娘でしたからね。必須でしょう」
「そこに異論はない」
厳樹の視線はアンジェリカの履歴書に向けられている。
――そこには、彼女の詳細について記されていた。
彼女が氷雨たちに話していないような過去まで詳細にだ。
ALICEは人知を超えた力を持つ。
だからこそ入念に過去を洗ったのだろう。
「問題は残りの二人だ」
厳樹の視線がさらに鋭くなる。
「なぜ太刀川美裂は身辺整理処置を受けていない?」
「…………」
「理由があるのなら言ってみるといい」
身辺整理処置は全員が受けているわけではない。
最たる例は生天目彩芽だ。
彼女は厳樹の娘だ。
親子という関係性が、生天目彩芽が救世主として戦う上でのモチベーションとなりうる。
そう判断されたことで、彼女は身辺整理処置を受けていない。
――生天目という姓を捨てさせ、他人とすることを提案したのが厳樹であるというのは皮肉な話だが。
「――彼女の経歴はご覧になりましたか?」
「無論だ」
助広の問いに厳樹はうなずく。
「彼女の家系はプロですからね。情報漏洩の心配はありませんよ」
「処理をしない理由にはならないだろう」
「……ただ消すには惜しいツテだったもので、ね」
意味深な助広の意味。
この書類を確認した者たちに、その意味を理解できない者はいなかった。
「確かに、これからALICEの戦力を底上げするうえで役に立つ……か」
厳樹が背もたれに体重を預けた。
太刀川美裂に関しての対応に問題はないと判断したのだろう。
「そういうわけで――」
「だが、最大の問題は彼女だ」
「……」
部屋が沈黙に包まれる。
だが予想されていた事態だ。
「天宮天。なぜ――彼女の経歴だけ空欄なんだ」
天宮天。
彼女に関する履歴書がほとんど空白であるという事実がある以上、この質問は避けられないものだっただろう。
「……実は、彼女だけは調べても、この世界で生きていた形跡がまったくなかったんですよね」
「――どういう意味だ」
「――例の事件があってから、ALICEの身辺調査は徹底しましたからね。すでに身辺整理処置をしていた瑠璃宮蓮華はともかく、他のALICEの情報は網羅しています。でも、天宮天だけは別なんですよ。彼女だけは、生まれる時点ですでに身辺整理処置を受けていたかのようにまっさらだ」
助広は肩をすくめる。
ほかのALICEの過去を詳細に調べ上げる手腕。
それをもってしても、天宮天の表面的な情報さえ手に入れられなかったらしい。
「怪しい点は」
「問題なし」
「……そうか」
厳樹は目を閉じて息を吐く。
「――お前の意見も聞きたい」
そして氷雨を見てそう言った。
「私の目から見ても、天宮天に違和感はありません。思想や素行に問題はなく、ALICEとしての性能も高い」
氷雨の言葉に嘘はなかった。
「……よく分からないからといって廃棄するには惜しい人材というわけか」
「はい」
《ファージ》と戦うという使命に対する妙な聞き分けの良さなど違和感がないわけではない。
まるで元より覚悟していたかのような受け入れ方。
かといって、好戦的というほどでもない。
人並外れた自己犠牲精神があるわけでもない。
なのに戦いの運命を当然のように受け入れる。
普通ではない。だが、常軌を逸しているというほどではない。
変わっていても、破綻しているというほどではない。
天宮天が持つ戦闘力は高い。
しかも伸びしろも底知れない。
多少の不明点に目を瞑るだけの価値はあった。
「確かに不思議だよねぇ」
助広は暢気に笑う。
「覚醒直後は記憶の混濁もあったし、本人が過去を語ることもないし、調べても何も出てこない」
記憶の混濁。
そういえば、助広の報告にそんなこともあった。
まるで自分を男だと思っているかのような言動がみられた、と。
混濁もほんの一時的なものだったそうだが、その影響が残っているのか彼女の言動は年頃の少年を彷彿とさせるものであることが時折ある。
「本当。不思議だねぇ」
「特殊な『家庭』に生まれたのか。特殊な『過程』で生まれたのか」
「本当……不思議だねぇ」
助広は飄々と笑い続けていた。
天の経歴が空欄なのは転生者であり、この世界の住人でないからです。
同じ経歴のはずの蓮華が問題視されていないのは、すでに身辺整理処置を済ませていたせいで、経歴を調べようがなかったから。つまり経歴がなくて当然だったから。
そうでなかったら、蓮華が転生者であることは早い段階で認知されていたかもしれません。
それでは次回は『箱庭の夜』です。