3章 3話 初めての接待
「天ちゃんを見ていると妻を思い出すねぇ」
(それ、もはや犯罪自白してるだろ……)
天の目が死んだ。
娘ならともかく、なぜ老年男性の妻と重ねられてしまうのか。
天の目から見て、貴麿は60代~70代。
彼の妻の年齢が40歳ほど下であるという情報を加味したのなら……。
――怖くなったので考えるのをやめた。
「んひ……っ」
天の口から小さな悲鳴が漏れる。
貴麿がおもむろに彼女の手を捕まえたのだ。
両手で包み込むように。
「投資家としてもファンとしても、天ちゃんたちとはぜひ仲良くしていきたいねぇ」
「ひゃ……ひゃぃ……」
天は裏返った声で答えた。
貴麿に手を撫でられるたびに背筋をくすぐられるような感覚に陥る。
(なんかゾワゾワと……)
尾骶骨から首の後ろに上ってゆく寒気。
男としての意識のせいもあって、男との握手は生理的に受け入れがたい。
――それも、異性として見られているとあればなおさらだ。
「~~~…………っ」
(今、絶対胸見てただろっ……!)
少女になった影響か、アイドルとしての職業病なのか。
最近、天は自分へと向けられる視線に対して敏感になっていた。
貴麿の視線が天の鎖骨を滑り、そのまま胸にまで落ちたことが詳細に分るくらいに。
(やっぱもっと厚い服を着ておくべきだった……)
夏ということもあり、今の天は薄地のシャツにホットパンツというかなりラフな格好だ。
暑さ対策の服装。今はその露出の多さが羞恥をかき立てる。
「財前さん」
赤面して震えている天を見かねたのか、彩芽が口を開いた。
「もう行ってくださいませんか?」
そう微笑む彩芽。
だが、どこか不穏な気配が漏れている。
殺気とは違うが、うすら寒い空気だ。
「……ははは。まったく、なんだかんだ君たちは似た者親子だねぇ」
へらりと貴麿が笑う。
特に機嫌を損ねた様子もない。
案外、彩芽が貴麿を引き剥がすために動くのはいつものことなのかもしれない。
「…………ありがとうございます」
むしろ、一瞬だけ反応が止まったのは彩芽だった。
似た者親子。
その言葉は果たして、彩芽にとって良い意味を持つのか、その反対か。
それは天には分からない。
「じゃあ彩芽ちゃん。よかったら、今度一緒に飲もうね」
「はい」
貴麿は彩芽の肩を触れると、手を振りながら事務所に入っていった。
「……彩芽って酒飲んでいいのか?」
天は隣にいた美裂に尋ねた。
飲む。
それが飲酒を意味することは間違いないだろう。
しかし、飲酒には当然ながら年齢制限があるわけで――
「まあ……ウチで唯一の二十歳だしな」
「…………そうなのか?」
ALICEはそれほど上下関係が明確ではない。
だから、あまり年齢の上下などは考えてこなかったのだが。
(成人してたのか……)
あの色香は、確かに未成年では醸しがたいものかもしれない。
「おっぱいだけじゃなくて、年齢もアイドルやるにはキツ――」
「美裂さん。それは言い過ぎですわ」
美裂の言葉を遮ったのはアンジェリカだった。
アンジェリカは金髪を手で払いのける。
「価値観は人それぞれですわ。確かに彩芽さんはネットでBBAと呼ばれることもありますが、それは同時に大人の女性としての魅力があることを意味しますの。事実、彼女はファンの間でママと呼ばれ――」
「アンジェリカさん」
「っ……⁉」
幽鬼が見えた。
アンジェリカの肩越しに見えた彩芽からは殺気が漏れていた。
「ど、どうなさいまして……?」
油が切れたブリキ人形のようなぎこちない動作で振り向くアンジェリカ。
彼女を出迎えたのは、白々しいほどの笑顔。
「明日があると良いですね」
微笑みながら彩芽が去っていった。
「なんでですのぉぉ……⁉」
二十歳になったアイドル。
BBAが禁句であることはある意味で必然だった。
アンジェリカ、無意識に地雷を踏む。
それでは次回は『迫るサマーライブ』です。