3章 プロローグ 撮影会・8月号
(ついにこの日が来てしまった……)
天の心は荒れていた。
今日は雑誌のための撮影の日だ。
現在は7月。
とはいえ撮った写真が一瞬で雑誌に載るわけではない。
今、行われているのは来月号のための撮影だ。
つまり、8月のための撮影。
8月。それが示すのは――
「まあ、似合ってんじゃねぇか?」
美裂が笑う。
ある意味で、天にとってあまりにも残酷な言葉とともに。
「――その水着」
そう。今日は8月号のための撮影。
8月。夏。アイドル。
そうなれば求められるのは――
「っ、っ~~~~~~~~~~~~~~~~~~⁉」
(なんで水着なんか着てるんだ俺ぇぇ~~~~~~~~~~~⁉)
天は錯乱していた。
表情もひきつっていて、体も動きが固い。
――遺憾ながら、天も女性用の下着を身に着けている。
だが水着を着たことはない。
しかも、これはただ着ているだけではないのだ。
(これ、雑誌に載るんだよな……⁉)
全国規模で流布されるのだ。
……震えた。
「み、水着NGのアイドルになったらダメか……?」
自然と天の顔が熱くなる。
彼女が着用しているのは赤のビキニだ。
彼女の髪色に合わせたのか、生地は燃えているかのように赤々としている。
下半身はパレオのおかげで露出こそ少ないものの、覗く白い脚は健康的な美しさを醸している。
天は体を抱き、少しでも肌を隠そうとするも――
「そう言いつつも谷間を作るあたり、実は乗り気なのか? ――これだからツンデレは」
「ツンデレじゃないっ……!」
――天には身体的悩みがあった。
もっとも、女性の肉体になった時点で悩むべきでないところなどないのだが。
それを差し引いても、特記すべき悩みの種があった。
それは――
(この谷間が憎い……)
――意外と、胸が大きいのだ。
いうなれば中の大――くらいか。
不自然なほどではない。
だが、ビキニに寄せ上げられただけで容易に谷間が作られてしまうくらいのサイズ感はあった。
平均身長を下回る小柄な天であるがゆえに、平均を少し上回る大きさというのは意外と目立つ。
(服を着てれば誤魔化せてたけど、水着ばっかりは――)
服の下なら隠せていたが、脱いでしまえばボディラインが見えてしまう。
「赤髪ツインテール。ツンデレ。俺っ娘でボーイッシュなのに隠れ巨乳。かーっ。これが男に媚びまくる系アイドルの姿か」
「こ、媚びてない!」
不本意なレッテルに天は抗議した。
とはいえ、客観的に見れば少しあざとい気もする。
「さすが、ファンの男女比7:3は違うな」
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」
さらに残酷な追撃が天を襲う。
ALICEの雑誌にはアンケート用紙が付属している。
そこからファンは投票を行うのだ。
そうすることで、ALICEはファンの声に耳を傾け、今後の方針に反映させてゆく。
その中にはファンの男女比などもある。
男女比によっては、キャラ付けも考えていく必要があるからだ。
そして天宮天のファンの男女比は――7:3。
明らかに男性が多かった。
すでにネットでも『天ちゃん』以外にも『ツンデレちゃん』などと呼ばれることがある。
意図せずして、ツンデレキャラとして定着しつつあった。
ちなみに女性ファンの比率が最も高いのはアンジェリカの4:6だ。
高身長で凛とした姿は、女性の目に格好よく映っているらしい。
余談だがアンジェリカの不幸体質はファンの間でも有名で、そんなところも人気の秘密だとか。
「これは確実にエロい目で見られるな」
「…………」
「知ってるか? うちの雑誌、8月号だけ妙に売り上げが伸びるんだよなぁ。やっぱそれって水着目的――」
「やめろぉぉ!」
「将来、古本屋で来月号を見つけたら特定のページに不自然な濡れ跡が――」
「本当マジでやめろ!?」
ついに天は頭を抱えた。
「それに、そんなこと言うなら美裂も――」
天は反撃に転じようとして口を閉ざした。
美裂も――そう言いかけて。
美裂も。そう……彼女も決して小さくないのだ。
いうのなら、みかんサイズ。
「……美裂は恥ずかしくないのか?」
「別に恥ずかしいもんじゃないからな」
そう笑う美裂は確かに堂々としている。
「それとも、こういうのも悪くないか?」
そう言って、美裂が座り込んだ。
ぺたりと女の子座りになり、美裂は体を抱く。
そのまま頬を上気させ、上目遣いで見つめてくる。
水着の紐が少しズレ、肩から滑り落ちていて――
「あんま……見るなよな」
「っ…………⁉」
正直、心臓が跳ねた。
美裂は飾らない悪友のような立ち位置でファンからの支持を得ている。
異性としての友達だと意識させない。
ゲームを一緒にしたり、くだらない話で馬鹿笑いする。
なんなら好みの女の子の話さえしてしまうかもしれない。
そんな悪友がふいに見せた少女らしい姿は――大ダメージだ。
「って感じか?」
美裂はいたずらっぽく笑う。
小悪魔系……というより、渾身のドッキリを成功させた男友達みたいな笑みだ。
美裂のファンには、異性としての彼女を求めている人間が意外と少ない。
だからこそ美裂も、少女らしい振る舞いはあまり見せない。
あくまで不意打ち気味に、ほんの少しだけ。
女の子らしい仕草さえ『自分が女であることを利用してからかってくる友達』を思わせる言葉とセットにする。
美裂は他人の心の動きに敏感だ。
だからこそ、意図的に自分の印象を操ることができるのだ。
「ほら。天もアンジェ姫のサービス精神を見習えよ?」
そう言って美裂は親指である方向を示した。
そこではアンジェリカが――
「ちょ、見ないでくださいませぇ!」
――半裸になっていた。
どうやら、水着の結び目がほどけたらしい。
手で大事な部分を隠せてはいるが、すでに水着は水着としての仕事を放棄していた。
「多分……サービスじゃないだろ」
ただの不幸体質だ。
☆
「とはいえ、水着となれば主役は決まってるけどな」
天は美裂の言葉を否定できない。
実は、天自身もチラチラと見てしまっている自覚があったから。
流れる黒髪。白く、滑らかな肌。
柔らかな表情と整った所作は育ちの良さを感じさせる。
一言で表すのなら、大和撫子。
100人中95人以上が美人と答えるであろう女性。
だが、それだけではない。
「ぁ……」
(……大きい)
思わず声が漏れてしまうほどに。
女性――生天目彩芽が着ているのは黒いビキニ。
それも天たちに比べると布地が少ないデザインの。
たゆん。
そんな音が聞こえた気がした。
母性さえ感じさせる大きな膨らみが水着の下から主張する。
布に隠されてなお隠れていないのだ。
服を脱ぎ去れば、それはもはや兵器。
普段の淑やかな彼女を知っているからこそ、その妖艶な肢体を目にしてしまった時の衝撃はすさまじい。
貞淑な乙女でありながら、その体は蠱惑的。
そこに過激なポージングは必要なかった。
「アイドルっていうには体がエロすぎるよな。あの乳で性に目覚めた子供ってどれくらいいるんだろうな」
「どど……どうだろうな」
羞恥でしどろもどろになる天。
できることは、目をそらすことだけだった。
その視線さえ、ついチラリと戻ってしまうのは元男であるが故の宿命か。
「なにゴチャゴチャやってるのよ」
そんな時、別方向から声が聞こえた。
そこにいたのは腕組みをして仁王立ちした青髪ポニーテールの少女――瑠璃宮蓮華だ。
彼女が身に着けているのは青いスクール水着タイプのもの。
布越しでもヘソの位置が分かるほどに張り付いた生地。
その胸の膨らみは――
「…………ドンマイ?」
「理由によってはぶっ飛ばすわよっ……⁉」
残念ながら蓮華は――貧乳だった。
今回から彩芽メインの章となります。
それでは次回は『箱庭の外で一人2』です。