2章 エピローグ1 夢の後
「どうやら……死なずに済んだみたいだな」
天が目を覚ましたのはベッドの中だった。
白いカーテンで囲まれた白いベッド。
箱庭の医務室だろう。
「頭痛ぇ……」
ドクンと脳が痛む。
どうやら《象牙色の悪魔》の反動が抜けきっていないらしい。
「目ぇ覚めたみてぇだな」
頭上から声が聞こえる。
声の主は美裂だ。
彼女は天を覗き込んでいた。
「3日も寝てたぞ?」
「…………マジか」
気だるいはずだ。
数日も寝込んでいた影響で体がなまっているのだろう。
「ずっといたのか?」
もしかすると、ずっとここで天が目覚めるのを待っていたのだろうか。
そう思って問いかけると、美裂は一笑する。
「んなわけないだろ。アタシはさっき来たばっかだよ」
そう美裂は言う。
「ずっといたのはアイツだよ」
アイツ。
それだけで、誰のことか分かった。
浮かんでくるから。
ウトウトしながら座っている金髪ドリルの少女が。
……なんとなく、最終的には睡魔に負け、天を枕にして爆睡している姿も浮かんだが気のせいだろう。
「にしても、相変わらずアイツも運が悪いよな。何時間も待ってたってのに、部屋に戻ってすぐ目ぇ覚まされるなんてさ」
(――さっき来たばっかりの奴が、なんでアンジェリカが何時間もいたって知ってるんだよ)
アンジェリカがここにいたことを知っているのは、同じくここにいた人物のはずで……。
――指摘するのも野暮だろう。
ただ天は少しだけ頬を緩めた。
「ちゃんとアイツに礼言っとけよー」
天の無事を確認した時点で用は済んだのだろう。
美裂はあっさり背を向けると、手を振りながらカーテンを広げる。
「一生意識が戻らないかもしれないって話だったのに『運良く』目覚められたんだからな」
――運良く。
それはきっと、天のためにと引き寄せられた幸運だったのだろう。
ずっと一緒にいて、手繰り寄せていたのだろう。
「助けられちまったな」
「仲間っていうのは、そういうもんじゃないのか?」
天の言葉に美裂はそう返す。
仲間。
生前では縁のなかった言葉だ。
自分が危ない時には体を張って助けてくれる。
誰かが危ない時には自身をかえりみずに体が動いてしまう。
そんな関係。
「月並みな言葉だけど、仲間がいるってのは良いもんなんだな」
しみじみとそう思う。
女神に依頼された救世主という役割。
最初は一人で戦うのだろうと漠然と思っていた。
そして、それで良いと思っていた。
生前から天の世界は自分だけで完結していたし、普通じゃない自分だからこそ誰かと並び歩く姿が嘘臭く思えた。
だけど、今は違う。
違うと、言える。
「………………そーだな」
美裂は天から顔を逸らした。
「独りで生きて、独りで死ぬんじゃ……ちょっと虚しいからな」
背中しか見えない。
だが、なんとなく彼女の表情が曇っているのは分かった。
ALICEとは一度死んで、救世主という役割に当てはめられて蘇った少女たちのことだ。
アンジェリカは言っていた。
ALICEたちの生前には傷があると。
それはきっと、美裂も例外ではないのだろう。
☆
「運命は見えないからこそ、誰も抗えないのかもしれませんね」
とあるビルの屋上で少女が呟いた。
ゴスロリ衣装に黒い日傘。
夜を集めたような黒髪が風になびく。
全身が黒く統一された中で、赤い瞳だけが月のように輝いている。
昼空の下で、彼女だけが夜を纏っていた。
「ALICEは救世主。《ファージ》は災厄」
少女――月読は太陽に手をかざす。
「みんな、決まった運命の中でキャスティングされたお人形」
乗り越えるために壁があって。
笑いあうために涙がある。
そんなシナリオに沿って世界は回ってゆく。
「わたくしは、脚本家というには力不足」
「ですからせめて、ページをめくる役目くらいは担いましょう」
運命の外から世界を回すような神にはなれないから。
運命の中で、物語を回すような人になろう。
――月読はビルから身を投げる。
そのまま彼女は人波に紛れていった。
明後日あたりから、3章『血痕は黒くひび割れ』を開始いたします。
3章のメインヒロインは生天目彩芽。彼女と、事務所――株式会社ALICEの成り立ちに視点を置いたストーリーとなる予定です。
それに伴い、これまで登場していなかった代表取締役など、組織としての側面も出していけたらと考えています。
それでは次回は『夢の前』です。