2章 8話 夢への扉は楽園へと続くのか
準備は整った。
天は横たわるアンジェリカと向き合った。
「いるんだろ? 出てきやがれ」
そう投げかけた。
するとアンジェリカの体から黒霧が滲みだす。
それは人の形を成し――少女となる。
「待ちくたびれたよ」
少女――レディメアは笑う。
「アンタが寄生型の《ファージ》ね」
「そうだけど、その呼び方は可愛くないからやめて欲しいかな?」
――アタシにはレディメア・ハピネスって名前があるんだから。
そうレディメアは言った。
「まあ……どうでも良いだろ。大事なのは、お前がハッピーな夢の国に連れて行ってくれるって話だけだ」
美裂としても長話するつもりはないのだろう。
彼女はレディメアにそう切り出した。
「うふふ……そーだね。帰れなくなっちゃうくらいハッピーな夢だよ」
「そうかい。悪りーけど、アタシたちは夢を見る側じゃなくて見せる側なんだよな」
「ですので、夢の国には住めません」
美裂と彩芽はそう言い切る。
そんな言葉もレディメアは涼しい表情で受け流す。
「それなら、死ぬまで抱いていればいいよ」
レディメアは虚空を指でなぞる。
すると、空間がめくれ、黒い世界が現れた。
先の見えない暗闇。
まるで異空間へのゲートだ。
「アタシに勝てるっていう夢をね」
レディメアは笑う。
そして異空間を指で示した。
「ここを通れば、アタシ以外でも夢に入れるよ」
レディメアの体が霧散してゆく。
彼女の体がそのままアンジェリカへと伸び、溶けてゆく。
「夢の世界で、神に勝てると思うならおいでよ」
夢に住む《ファージ》。
もしも彼女が夢を操れるのなら、確かに彼女な夢の中においては神のごとき力を持つのかもしれない。
だからこれは不利な戦いだ。
人数差があっても、覆すことができるか分からないほどの。
だが、躊躇う者はいなかった。
「それじゃあ――行くわよ」
蓮華の宣言に従い、天たちは夢の世界を目指した。
☆
「ま、そんな夢みたいな話があるわけないけどね」
アンジェリカの部屋。
そこに現れたのはレディメアだった。
床には眠る天たちの姿があった。
「あれは夢に続くゲート」
そこに偽りはない。
「なら、眠った体はここに残るよね?」
ただ言わなかっただけ。
この上なく無防備な体が残るという事実を。
「精神が夢に入り込んでいるから、何をしても起きられない」
今の彼女たちはただ寝ているわけではない。
レディメアにより、意識が夢の中に固定されているのだ。
おかげで、途中で目覚めて夢の世界から弾き出されることはない。
逆にいえば、何をされても目覚めることはない。
「能力を解除しない限り、もう一生起きられないんだよね」
――何をされても。
レディメアは微笑む。
「馬鹿だなぁ」
これから始まるのは一方的な凌辱と蹂躙だ。
「そんなことだろうと思っていた」
「……!?」
部屋の扉が砕ける。
そこから飛び込んできたのは軍服の女性だった。
彼女が手にしているのは――サーベル。
「なッ……!」
「私たちも、お前が正々堂々と戦うなんて思っていないさ」
突然の出来事に動揺した隙を突き、女性はレディメアの首に刃を押し付けていた。
――速かったのではない。
スピードだけなら天やアンジェリカのほうが勝っている。
だが、巧かった。
部屋の前にいても気付かないほど完璧に気配を隠された。
レディメアの警戒が薄れ切ったタイミングを完全に読まれていた。
あれは生まれ持った才能ではない、経験が育んだ技術だ。
「瑠璃宮と話していた懸念が当たったらしいな」
女性――妃氷雨はそう嘆息する。
そして、氷のような視線がレディメアを貫く。
「今すぐ殺されたくなければ、夢の世界とやらに戻れ。そして、あいつらが勝てば、大人しくあいつらをこちらの世界に戻せ」
彼女が要求したのは夢の世界に戻ること。
そして、ALICEが勝てば彼女たちを解放すること。
無条件にALICEを解放することではない。
あくまで対等条件で戦うことだけを要求している。
それをレディメアは笑う。
「立場が分かっていないのかな? 脅しのつもりみたいだけど、アタシを殺したら、みんな目覚めないって分かってるの?」
――レディメアを殺せば、夢に囚われた人々の意識は自然と戻る。
だがその事実を彼女はまだ話していない。
だからこそ、この言葉は脅迫としての意味を持つ。
万が一にもALICEが目覚めなければ困るのは氷雨なのだから。
そのはずなのに――
「それがどうした」
氷雨の刀がさらにレディメアの首に食い込んだ。
「お前が私の言う通りにしないのなら、どうせあいつらは助からない。それなら、無意味にあいつらを死なせるより、せめてお前だけでも殺しておくべきだ。迷う必要がない」
――覚えておけよ。
氷雨は低い声でそう告げる。
「お前に許される生存の道は『夢の世界であいつらを殺して逃げる』か『ここで私を殺して逃げる』かだけだ」
(分が悪い……かな?)
この状況から氷雨を殺すのは難しい。
ここは現実世界。
十全に能力を発揮できないのだから。
力を出すよりも先に殺される。
となれば――
「仕方がないか」
レディメアは選択した。
「それじゃあ、夢の世界であの子たちを殺すことにするよ」
そうすれば解決する話だ。
どうせ、あの世界では負けない。
少し手間が増えるだけだ。
もしここで意固地になれば、本当に氷雨はレディメアを殺す。
逆にいえば『ALICEが生き残る可能性』を残してさえいれば、氷雨はレディメアを殺さない。
勝敗の行方をALICEに託すだろう。
「あのまま夢の世界に閉じ込められていれば、あの子たちも苦しまずに済んだかもしれないのに」
「本当……可哀想」
レディメアは再びアンジェリカの夢へと帰った。
☆
「……戦場は整えてやったぞ。あとは、お前たち次第だ」
次回からはアンジェリカの夢に入ります。
彼女の夢ということで、彼女をほのめかす世界となっています。
それでは次回は「砕けた現実が夢となる」です。