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2章  5話 眠る少女と起きて見る悪夢

 少女が眠っていた。

 それこそ『死んだように』という比喩が適切なほど穏やかに。

 胸の上下だけが、彼女の生存を証明している。

 彼女からは驚くほど生気が感じられない。

 可憐な容姿もあいまって、ベッドに横たえられた人形のようだった。

「眠ったまま……ずっと起きないんです」

 女性は娘の頭を優しく撫でた。

 だが少女が反応することは――ない。

「医者に見せても原因が分からなくて」

(だから、あんなに憔悴してたのか)

 天は女性があんなに疲弊していた理由を悟った。

 一年間も娘が原因不明の昏睡に陥っているのだ。

 母親にかかる精神的な苦痛は計り知れない。

「できることといえば、家で家族が話しかけることくらいしかない……そう言われていまして」

 女性の声は震えていた。

「近所からは、うちの娘は悪いものに憑りつかれた――なんて言われることもあって……」

 きっと悔しいのだろう。

 娘が苦しんでいるのに、周囲の人間が無責任な噂話をすることが。

 もし大切な人が同じ目に合っていたのなら、天も同じ感情を抱くことだろう。

 女性のように、悔しさで手が震えるだろう。

 しかし――

(《象牙色の悪魔》――《悪魔の眼》)

 天の瞳に幾何学模様が浮かぶ。

 そして、解析する。

 悪魔が少女の体を観察し、あらゆる要素を拾い上げる。

 そしてそこから、完全に限りなく真実に近い推論を築いてゆく。

 結果は――

「案外、遠からずかもな」

「どういうことですの?」

 天が小声で呟いた内容にアンジェリカが反応を示す。

 だから天は――女性には聞こえないように答えた。

「この子は……《ファージ》と接触したことがあるみたいだ」

「……そんなことが分かりますの?」

「まあな」

 悪魔が導き出した解析結果にはこう記されていた。

 ――《ファージ》との接触の痕跡あり、と。

(現代医療では分からない原因。なら、常識外れの部分に原因がある……か。ある意味で当然の結論かもしれないな)

 《ファージ》が元凶であるのなら、原因など分かるはずがない。

 そもそも《ファージ》という存在が認知されていないのだから。

「怪我した様子もない。毒だったのなら、一年も生きているわけがない」

「魂のみを食らう《ファージ》がいたとして、捕食された後ならば昏睡で済むはずがありませんわ」

 少女は生きている。

 だが、昏睡の原因には《ファージ》が関わっている。

 なのに《ファージ》と関わってなお生命を維持している。

 それでいて目覚めない理由。

(これは……箱庭に戻ったら報告しとかないとな)

 箱庭にいるのは《ファージ》に関するプロだ。

 天は少女の顔を見つめる。

 痩せてはいるが、肌の色は健康的だ。

 心臓だって動いている。

(まだこの子は、助けられるはずだ)

 偶然出会った少女。

 偶然見つけることができた、声を上げることのできない被害者。

 だからこそ、救いたい。

 彼女の命を掬い上げたい。



『聞いたことがない例だな』

 帰り道、天が電話をかけたのは妃氷雨だった。

 ALICEという存在が生まれるよりも前から《ファージ》と戦ってきた彼女なら、何か知っているかと思ったからだ。

 もっとも、空振りに終わってしまったが。

『だが、ありえない話ではないだろうな』

 氷雨はそう言った。

 例はないが、彼女としては考慮する価値のある話のようだ。

『《ファージ》は人間を食らう。だが、その手段自体は多岐にわたる』

「……ああ」

 天もALICEとしてそれなりに戦ってきた。

 だから《ファージ》にも色々な種類がいることは理解している。

「確かに、ほとんどの《ファージ》は体ごと人間を食べるけど……中には、体は食べない個体もいる」

 魂というべきなのだろうか。

 人間が持つ何かだけを捕食対象とする《ファージ》もいた。

 その場合は、傷一つない死体だけが残される。

「だけど……俺が見た女の子は生きてたんだけど」

『――――寄生、と考えればどうだ?』

「……! なるほど……」

 氷雨の指摘で天の中の歯車がかみ合った。

 状況を説明するには、今のところもっとも納得のいく理屈だ。

「宿主を殺さず、長く搾取するタイプというわけですわね」

 天の傍らでアンジェリカはそうつぶやいた。

『現代の技術なら、眠り続けている人間の延命も充分に可能だ。派手に人間を襲うよりも露見するリスクは低く、長く餌を手に入れ続けることができる。総合的に見れば、漫然と人を襲うよりも効率的だろうな』

「実際、俺たちも本来なら見過ごしていただろうしな」

 あの女性と会ったのも、彼女の家に行ったのも偶然だ。

 あそこに《ファージ》がいる可能性など考えてもいなかった。

『もしも寄生型という仮説が正しければ、それを見つけられたのは幸運だったな』

 箱庭は《ファージ》の出現に気を配っている。

 それでも見つけられなかったということは、寄生型の《ファージ》を感知することは現在の箱庭にある技術では不可能だということ。

 あのまま気付けていなければ、より被害は拡大していたかもしれない。

『ともかく、お前たちは帰って来い』

「ああ。《ファージ》が見つかった以上、他のメンバーも――って……」

 当然ALICEを招集するものと考えていた天が固まる。

「なんでだよ……! 《ファージ》を見つけたんだから、今すぐ倒すのが俺たちじゃないのかよ……!」

『話を聞く限り、すぐに少女が害される可能性は低い。焦って動くよりも、万全の準備を整えるべきだ』

「でも――」

『なら、どうやって寄生型の《ファージ》がいることを確かめる? 確かめられたとして、どうやって倒す? まさか、少女ごと殺すつもりか?』

「ぐぬ…………」

 天は黙り込む。

 氷雨の言うことを否定できない。

 心は焦っている。

 娘を想い続ける母親のことを考えると、一秒でも早く助けてあげたくなる。

 だがその焦燥に引かれたまま行動したのなら、他ならぬ少女が危険にさらされるかもしれない。

『勘違いするな。私たちは世界を救うために戦っている。だが、そのために個人の命をないがしろにするつもりはない』


『当然、お前たちが見つけた少女も救うぞ』


「……おう!」「もちろんですわ」

 そう二人は氷雨に応えた。

 大事の前の小事などと切り捨てたりしない。

 世界も救う。目の前の少女も救う。

 そのために、天たちは戦っているのだから。

『あらかじめ言っておく』

 氷雨が改めてそう言った。

 その声音は、先程よりもさらに重みを持っていた。

『私の経験則でしかないから断言はできない。だが、寄生型という生存戦略……そんなものに行き着ける《ファージ》となればおそらく――』


『――そいつは上級だ』


「ぁ…………」

 その時、タイミングを狙ったように天の視界に黒が舞い降りた。

 彼女の視界の端で、黒い服の少女が降りてきた。

 臍と太腿が大胆に露出した黒い服。

 三つ編みにされた血の色の長髪。

 何の気配もなく現れ、目が離せない存在感を持つ少女。

 少女は天たちを見ると――微笑んだ。

「さっきぶりだね」


「アタシの名前はレディメア・ハピネス」


「君たちが話していた――《上級ファージ》だよ」


 2章のボスの登場です。

 戦いの中で、アンジェリカの根幹に触れていくことになります。

 

 それでは次回は『夢へと至る招待状』です。



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