2章 プロローグ 撮影会・7月号
ALICE。
この世界において、この名前は二つの意味を持つ。
一つは国民的アイドルユニット。
そしてもう一つは――《ファージ》から世界を守る救世主。
一般には知られていない化物と戦う組織。
そこには当然、知られてはいけない話も多い。
結論から言ってしまえば――ALICEには専属の出版社が存在する。
そこの社員は箱庭のスタッフのみ。
出版社はALICEだけを撮り、ALICEは他のメディアへの露出を避ける。
さすがにテレビ出演などは箱庭のスタッフだけで進めることは難しいのだが、その際は出演者などの情報を調べ上げてから出演の可否を決めるという。
話は戻るが、ALICE専門の雑誌。
そんなものが成り立つのはALICEの人気ゆえ。
だからといって雑誌である以上、それなりの頻度で出版できなければ収入はなくなり経営が破綻する。
結局何が言いたいのかというと――
「それにしても……着物着るのって初めてだな……」
天宮天は自分の姿を見て、そんな感想を漏らした。
燃えるような赤髪のツインテール。
少女は小柄ながらも、勝気な印象を与える。
そんな彼女に合わせたのか、彼女が纏っているのは赤い着物だった。
「なにより露出が少ないのが良いよな」
天は心からそう思う。
――天宮天は前世において男であった。
アイドルとして活動し始めて2カ月が経っていても、男性としての意識が消えることはない。
そのため可愛らしい衣装を着るのには抵抗があるのだ。
今日は、月刊ALICE7月号に掲載する写真の撮影会だ。
まだ6月上旬だが、編集の時間を考えれば妥当なタイミングだろう。
そして七月といえば七夕。
それこそが、天たちが着物を身に着けている理由だった。
「にしては、撮影のとき赤くなってなかったか?」
「なッ……!」
背後からそう指摘され、天は再び赤くなる。
「俺っ娘で普段は強気の癖に、女らしい格好をしていると恥ずかしくて赤面……結構あざといキャラしてるじゃんか」
そうギザギザの歯を見せながら笑うのは黒髪の少女――太刀川美裂だ。
普段は特に手を加えていない黒髪も、今日は綺麗に結われている。
彼女に用意されていたのは全体的に黒い着物だ。
「き、緊張してただけだし……」
天はそっぽを向く。
「逆に美裂はなんか適当な感じだったけど大丈夫なのか?」
天はそう問う。
確かにポーズを取ってはいたが、全体的に美裂の所作は雑に見えた。
撮り直しにならなかったということは問題がなかったのだとは思うのだが。
「まだまだだな」
そう笑うと、美裂はドカリと椅子に座る。
「アタシのキャラ的にはあれで正解なんだよ」
「……そうなのか?」
アイドルである以上、天たちにはキャラとしての方向性がある程度存在している。
美裂の場合は恋人というよりも女友達。恋愛対象というよりも悪友。
そんな立ち位置なのだという。
ちなみに天宮天はボーイッシュ系であり、女の子として扱われることに慣れていない少女――らしい。
人生の大半を男として過ごした経験がある以上、女の子として扱われることに慣れていようはずもないので、残念ながらその見立ては正しいといえるだろう。
「アタシはそういう女らしい『いじらしさ』なんて求められてないわけだ」
――どっちかって言うと。
そう言いながら、美裂は脚を組む。
着物がわずかにめくれ、わりと際どい位置まで脚が見えた。
「こういう、一緒に馬鹿やってる奴が不意に見せる女の部分――って感じだな。雑な動作のせいで少し見えちまうくらいのほうが良いんだよ」
「……はッ!?」
天は肩を跳ねさせる。
思わず美裂の脚を凝視していたことに気付いてしまったのだ。
悲しき男の性。
いつもならあまり異性であることを意識せずに付き合えている美裂が相手であっても、見えてしまえばつい――
(って完全に思惑に乗ってる!?)
今の天の反応は、悲しいほどに美裂の言う通りだった。
ドギマギしてしまう自分が悔しい。
「さ、さすがに彩芽先輩は着物似合うよなぁ……!」
「ん? ああ、確かにな」
天の苦し紛れの話題転換に美裂が乗る。
二人の視線の先には黒髪の少女がいた。
その姿はまさに大和撫子。
濡れ羽色の髪も、貞淑な所作も。
すべてが日本美人を具現化したような美しさだった。
「一人で着物も着てたしな」
天は一人頷く。
彼女――生天目彩芽は京都出身だからなのか、スムーズに着物の着付けを行っていた。
むしろ手間取っている天の手伝いをしてくれたくらいだ。
あの似合い具合だと、今回の主役は彼女だろう。
「そういえば瑠璃宮も一人で着てた……よな?」
着物を着る機会などそうそうないこともあり、天たちは着物を前に苦戦していた。
その中で滞りなく着替えていたのが彩芽と――蓮華だった。
青髪を編み上げ、完璧に着こなされている着物。
その堂々とした姿は姫を思わせる。
彩芽が主役となると予想したものの、蓮華が負けているということはない。
「蓮華のことだから、前もって調べてたんじゃないか? そういうとこマメだし」
「かもな……」
蓮華がALICEのリーダーであることに強い責任感を持っていることはこれまでの振る舞いで分かっている。
であれば、無様を晒さぬように事前に練習をしていても不思議ではない。
「つーかそれよりさ……」
美裂の視線が動く。
――ついに来てしまった。
話題が、触れるべきではない禁忌へと向かってしまう時が。
「あ、あ、あぁんっ……!?」「もっと、もっと奥ですのぉ……!」「あ、あんなに大きいのは無理ですわ……!」「でも、この大きいのが欲しいんですのぉ……!」
「切り出すと妙にエロいな……」
「……気にしないようにしてたんだけどな」
現場に響き渡る嬌声。
なんとか無視しようとしてみたものの、さすがにアレを見ないフリなど不可能だった。
当然だがALICEは健全なアイドルであり、子供に見せられないような撮影などしていない。
「アンジェリカぁ……。もう良いんじゃないか?」
そこにいたのは金髪ロールの少女だった。
彼女――天条アンジェリカは日本人離れした容姿を持つがゆえに、着物を着ていると日本文化に初めて触れる留学生を彷彿とさせる。
「まだですわ!」
そんな彼女は今、真剣な表情を浮かべていた。
彼女の手にあるのは銃。
当然オモチャだ。
彼女がしているのは射的だった。
――お祭りをイメージしているのだろうか。
彼女は一番の大物を狙っているらしく、さっきからずっとあの場から動いていない。
射的は欲しい物を撃ち倒すことで、景品を手に入れられる。
つまり大きなものを手に入れようとするほど難易度が上がる。
アンジェリカは規定の立ち位置から少しでも的に近づこうと前のめりになっていた。
的を狙うためには有効な手段ではあるのだが。
「ぉふ……」
思わず天は声を漏らした。
前のめりになったことで、アンジェリカの胸が揺れている。
重力で引っ張られた胸が、彼女の細かな動作に従って振り子のように揺れるのは精神的に強烈だ。
的に集中するあまり、襟元が少しはだけで谷間が覗いているのもまた心臓に悪い。
「――これでフィニッシュでしてよ……!」
照準を定めたアンジェリカが引き金を引く。
放たれた弾丸は、一番遠い位置にある大箱に――当たらない。
下方にズレた弾道は惜しくも机にヒット。
そのまま弾丸は発射された軌道を描きなすように跳ね返り――
「ひゃぅん!?」
――アンジェリカの胸元に入り込んだ。
「ぁ、や……! 中に……入ってしまいましたわ……!」
アンジェリカは襟元から手を入れて弾を探す。
しかしそのせいで着物はさらにはだけ――
「………………」
せめてもの慈悲として、天は両手で自身の顔を覆った。
これ以上、清い乙女の肌を見るわけにはいかないだろう。
「エロ部門――優勝だな」
――美裂の発言を否定する言葉を天は知らなかった。
ついに2章が開幕しました。
今章はアンジェリカメインとなります。
それでは次回は「箱庭の外で二人withアンジェリカ」です。