1章 26話 声が届かないなら歌で響け
「きっついな……!」
天は大剣を振るう。
それは一太刀で迫る腕たちを切り捨てた。
肉塊から伸びた上半身のほとんどはすでに個人の識別ができる状態にない。
肉塊と同じ色。ぬらりとしたフォルム。
彼らはあの肉塊の一部となっているのだ。
そうなっていないのはただ一人。
「おい! 大丈夫か!?」
天は一直線に莉子へと駆けつけた。
そして彼女の方を揺らす。
すると、莉子の瞳に意志の光が戻った。
「……お姉ちゃん? ここは――?」
「大丈夫だ。すぐ助けてやる」
いまだに状況が把握できていない莉子。
そんな彼女の手を掴む。
そのまま天が彼女の体を引き抜こうとするも――
「……いいよ」
莉子の手がするりと逃げる。
「お姉ちゃん。私を助けないで」
「なんで――!」
天は声を荒げる。
莉子が手を握り返してくれたのなら、それだけで救えるのだ。
なぜそれを――
「お姉ちゃん。私のお父さんとお母さんが死んじゃったのはね、私の誕生日なの」
「それが今なんの関係があるんだよ……! いいから手を握れって……!」
それでも莉子は助けを求めない。
「なぜか遠回りをして家に帰っている途中で――事故に遭ったの」
「分かった! 話は後で聞く! だから今は――」
「潰れた車の中ではね、ケーキが飛び散っていたんだって」
「……!?」
思わず天は固まる。
莉子の誕生日。不自然な帰路。ケーキ。
それらを考慮すれば、悪魔でなくとも真実に至ることができる。
「私を幸せにしようとして――お父さんとお母さんは死んだの」
きっとその日は、幸せな一日になるはずだったのだろう。
バースデーケーキを前にして、思い出を積み重ねる予定だったのだろう。
それが、たった一つの事故で壊れてしまった。
最高の日が、最悪の日になった。
自分が幸せになろうとすると、誰かが不幸になる。
莉子はそう思うようになってしまった。
「それは違う……!」
天は否定する。
だが莉子の心を覆う霧を払えない。
彼女の心は、まだ捕らわれている。
「くっ……!」
動揺のせいか隙を見せすぎた。
天は背後から迫る存在に気がつかなかった。
肉塊と同化した上半身たちの一人が彼女の脇の下へと腕を入れる。
そのまま天は羽交い絞めにされてしまった。
これでは手を伸ばせない。
それに――手を伸ばしても、莉子は握り返してくれない。
「放……せぇ……!」
大量の腕が天に殺到する。
両腕だけでなく、両脚も押さえ込まれる。
髪を引っ張られ首から音が鳴った。
反射的に悲鳴をあげてしまえば、指が口内に侵入する。
そのまま顎が外れそうな程引っ張られ、唾液がこぼれてゆく。
窮地に陥る天。
そんな彼女を前に、莉子は穏やかに――自分を諦めたような笑みを浮かべていた。
「だから、これで良かったんだよ。お姉ちゃん」
――これで、最後になるから。
自分が死ねば、もう周囲の誰も不幸にならない。
そう莉子は笑う。
それが――腹立たしい。
「――ぁあッ!」
天は雄叫びをあげて首を振る。
両手も両足もとりあえず構わない。
最初に自由を取り戻すべきなのは口だ。
莉子をこの世界に呼び戻すための言葉だ。
決死の抵抗で、口内を蹂躙していた指から逃れる。
「莉子!」
そして叫ぶ。
「幸せと不幸が釣り合うって話、してたよな……!」
天が思ったことを話す。
心の底から湧き上がった言葉を伝える。
「あれ、絶対嘘だって思ってた! どう考えても、生きていたら不幸のほうが多いだろって思ってた……!」
幸せが勝る人間なんて一握り。
拮抗する人間さえ限られる。
大多数の人間は、不幸の皿ばかりが満たされてゆく。
そんな理不尽の天秤を片手に生きている。
「でも、最近少しだけ考え方が変わった……!」
それは多分、天だから気付けたこと。
「人生で不幸のほうが多いのは当然だって思い始めてる……!」
――なぜなら。
「生まれてきたことそのものが、幸せだったんだから」
――死んだことのある天だから分かる。
死の恐ろしさも。
生まれることの尊さも。
すべてが終わる瞬間を知ったから、すべてが始まることの奇跡を理解できる。
「最初から幸せの皿にはとんでもなくデカいのが乗ってるんだ。そりゃあ、不幸もいっぱいないと天秤が釣り合うわけがないんだ」
天は笑う。
天宮天と莉子の視線が交わる。
「だからお前の天秤は壊れてなんかいない。いつか――お前の幸せと不幸も釣り合うはずだ。大きすぎる不幸の先には、同じくらいかは――分からないけど……幸せな未来があるはずだ」
天は腕を振るい、肉塊を散らした。
そして再び、手を伸ばす。
「来い……! 不幸を払いすぎたまま死ぬなんてもったいないだろうが」
充分、莉子は苦しみ抜いた。
ここで死んだのなら、彼女の天秤は釣り合わない。
それを莉子は『自分の天秤は壊れているから』などと言い訳をしている。
だが天はそれを許さない。
「未来を信じられないなら、俺のライブを見に来いよ」
――取り戻したい。
「幸せになれないかを決めるのはそれからだ」
――莉子を取り戻すだけでは足りない。
「俺が、お前を幸せにしてやる」
喪われた両親を生き返らせることはできない。
天が親になれるわけではない。
代わりを用意するだなんて無責任なことは言えない。
それでも――納得できる未来を。
莉子が『これが自分の未来だ』と胸を張って納得できるような人生を。
「お姉ちゃん……」
「掴め‼」
天は手を伸ばす。
すでに限界は近い。
莉子が肉塊と同化するまで、もう時間がない。
もしも彼女が救いを拒絶したのなら――
そんな天の不安は無意味だった。
「……うんっ」
莉子が握り返した手は、こんなにも力強かったのだから。
次回からエピローグです。なお、エピローグだけで3話くらいある模様。
それでは次回は「デッド・オア・ファーストライブ」です。
ついに天がアイドルデビューします。