越章 4話 ALICE ALIVE
宿泊券をもらってすぐ、天は蓮華に旅行の提案をしていた。
旅行には準備も必要なため、サプライズにするよりも早めに伝えておいたほうが無難だと考えたためだ。
それに今回は向かう場所の事情により、普通の旅行より準備に時間がかかると想定していた。
もっとも、蓮華が難色を示せばその時点で終わる話だったけれど。
とはいえ蓮華はあっさりと天の誘いを承諾してくれた。
元よりあまり心配はしていなかったが、友人たちの気遣いが無駄にならずに済んだのは幸いだった。
そして旅行当日――
「……ごめんなさいね」
バスに揺られながら蓮華が発したのはそんな言葉だった。
「何がだ?」
天は問い返す。
旅行に誘ったのは天だ。
それに蓮華が何か妙な行動をした覚えもない。
彼女が謝る理由がまったく分からなかった。
「あそこに行くのなら、電車のほうが早かったでしょう?」
――でもまだ、電車に乗る気分にはなれないのよね。
蓮華はそう漏らした。
瑠璃宮蓮華は電車に乗れない。
その話を聞いたのはわりと最近のことだ。
原因は――蓮華の死因。
彼女は電車事故で亡くなったという。
それ以来、彼女は電車に対して恐怖心を持つようになってしまった。
だから今回はバスで目的地に赴くことにしたのだ。
そのことが引っかかっていたらしい。
「まあ仕方がないんじゃないか?」
確かに、目的地に向かうことが目的であるのなら電車のほうが適していただろう。
だが目的はそうじゃない。
目的はあくまで、蓮華とともに幸せな時間を過ごすこと。
彼女の事情を汲むことなど当然だった。
「それに、こっちのほうが景色もゆっくり楽しめるだろ」
ALICEとしてすごしてきた天たちにとって、景色を楽しむことができるような時間は少ない。
限られた自由時間を除けば、外に出ることができるのは仕事や戦いのためくらいだったから。
何の憂いもなく景色に没入できるというのは久しぶりだ。
「正直、けっこう新鮮だな。町の外なんてこれまでは行けなかったし」
「そうね」
それは蓮華も同じようで、彼女の口元には笑みが浮かんでいた。
「景色を楽しむだなんて気分になれるのは……本当に久しぶりね」
「蓮華――」
瑠璃宮蓮華という少女は本質的に不器用だ。
何事も器用にこなしているように見えて、身を削り続けている。
要領が良いのではない。
困難に対し、限界を超えて頑張ってしまうだけなのだ。
そんな彼女が世界の危機を前にして、よそ見などできるわけがない。
これまでの彼女には、歩むべき道しか見えていなかったのだろう。
そして責務から解放された今、彼女はやっと道程の景色を楽しめるようになった。
「この世界で、貴方に会えて本当に良かったわ」
これはきっと、喜ぶべき変化だ。
蓮華が浮かべた笑顔は安らかで、美しかった。
「――あの場所に行くのね」
蓮華は窓の外を眺める。
「……ああ」
天は頷いた。
「家族もいない。家もない。町の名前さえ違う。きっと……面影なんてないんでしょうね」
「でも――面影がないことを確かめる必要がある」
「この世界で生きていくと決めたから」
生前の世界と今世の世界。
二つを隔てる線を引く。
そのための儀式なのだ。
天も蓮華も、どこかで忌避していた。
生前住んでいた場所へ赴くことを。
――この世界は、生前とあまり変わらない。
都会は高層ビルが並び、郊外に行けば自然もある。
時代も文化も大きく違うわけではない。
だから違和感なく過ごすことができた。
だがそれは、この町が天にとって初めて住む場所だったから。
元々何も知らない町だから、多少の差異があっても気にならなかった。
そういうものだと思えた。
しかし、これから向かう町は違う。
よく知っているからこそ、記憶にある景色とのギャップが大きいはず。
そのギャップと対峙したとき、自分はどう思うのか。
何も思わないのか。
それとも、決して手の届かない故郷への郷愁に打ちのめされるのか。
自分でも想像のつかない自分の心。
それを思い知るのが怖くて、天たちはこの町を訪れることができなかった。
でも――今なら違う。
「蓮華」
「……?」
「楽しみだな。旅行」
天は笑いかける。
今でも自分の気持ちは分からない。
でも不安はなかった。
「……ええ。楽しみね」
二人は笑い合う。
たとえ思い出が取り戻せないと分かったとしても。
ここには、新しい思い出を紡いでゆける人がいるから。
蓮華は今でも電車に乗れません。
このあたりのトラウマは、天とすごしていくうちに少しずつ解消してゆくのでしょう。
それでは次回は『ALICE ALIVE2』です。