1章 21話 定期戦闘訓練
「定期戦闘訓練なんかもあるんだな?」
天は呟いた。
現在、彼女は訓練室にいる。
だがそこにいるのは彼女だけではない。
ALICEの全員が揃っている。
今日は全員が強制参加とされている訓練日なのだ。
「ええ。普段は暇な時間に各々訓練をしていますが、全員で一緒に訓練をする時間も必要ですもの」
「確かにな」
アンジェリカの言葉に同意する。
任務において天たちは協力するのだ。
個々人の戦闘力が高ければいいわけではない。
こうして他の面々の訓練と触れる機会は大切なのだろう。
「そういえば、助広のオッサンはいないのか?」
天は周囲を見回す。
そこにプリン頭の中年はいない。
転生初日の戦闘訓練では、彼が同行していた。
だから今日も彼がいるものと思っていたのだが。
「神楽坂さんはプロデューサーでしてよ? 戦闘訓練にはいらっしゃいませんわ」
「あのオッサン……プロデューサーだったのか……」
天は複雑な表情を浮かべた。
どちらかといえば、プロデューサーというよりファン側のような雰囲気だっただけに意外だった。
あのくたびれたオッサンが国民的アイドルのプロデューサーとは。
「じゃあ戦闘訓練は誰が担当してるんだ?」
「妃さんですわ」
アンジェリカが口にした名前。
それには覚えがあった。
妃氷雨。
確か、《ファージ》の襲撃の際に通信をしてきた女性がそう名乗っていた。
まだ声しか知らない女性。
彼女がALICEの戦闘部分を担当しているのなら、彼女から《ファージ》の出現を告げられたことにも納得がいく。
「……どんな人なんだ?」
「そうですわね――」
アンジェリカが一瞬考える。
そして彼女が選んだのは――
「わたくしたちの原点ですわ」
そんな表現だった。
「まだALICEという存在が体系化されるより前。《不可思技》など欠片も存在しない頃から《ファージ》と戦ってきた生き字引。実際、この訓練室も妃さんの戦闘データを元にして作られたと聞いていますわ」
「へぇ……」
声を聴く限り、妃氷雨という人物はそれなりに若い人物だった。
二十代。多めに考えても三十代前半くらいだ。
そんな女性が、天宮天をはじめとしたALICEが戦うための基盤を作った。
天の中で気高い女傑の姿が浮かぶ。
「そして――わたくしの背骨を折った人物ですわ」
「そいつだったのかよ!?」
思わず天は叫んだ。
彼女の中で築け上げられた女性の姿が鬼へと変貌してゆく。
「ええ。思い出しますわ……。わたくしが《不可思技》に目覚めたばかりの頃、つい出来心で自動販売機に使ってしまい――ジュースが止まらなくなりましたの……」
「で――」
「訓練室でボコボコにされましたわ」
「ぉぉ」
「ついでに、一週間クッションの上にしか座れない体にされましたわ……」
「エゲつねぇな……」
天は震えた。
だが、一方でアンジェリカは金髪を颯爽と払う。
「ですが、勘違いしないでいただきたいわ。妃さんは厳しい方ですが、数々の偉業を成し遂げられた方ですの。設備もおぼつかない状況にもかかわらず彼女が戦ってくださっていたからこそ、今のわたくしたちは当時よりも恵まれた状態で戦えていますの」
そう嬉しそうに語るアンジェリカの姿には、先達への敬意があった。
「妃さんはALICEの歴史の原点といって良い方ですわ。だからこそ、わたくしはあの方を尊敬していますの。確かに、端的にいって彼女は鬼ですわ。膝蹴りで背骨を折られ、膝蹴りで尾骶骨を潰され。膝蹴りで――ぅぅ……。ともかく、うつ伏せに寝た夜は数知れませんわ。正直、《ファージ》との戦いを恐ろしいと感じないのは、すでに鬼と地獄を見たからだと思い――」
「ほう。随分と面白い話をしているな」
「ますのぉぉ!?」
背後からの声にアンジェリカが跳びあがる。
「ぁ――」
(この声は……)
機械越しだったので多少は声音が変わっている。
それでも分かった。
そこにいる女性の正体が。
「どうした? 楽しそうに話していたじゃないか。訓練中に。随分と楽しそうに、なぁ? ほら、続きを話して良いんだぞ? ん?」
「アンジェリカ先輩……終わったな……南無」
天は心の中で合掌する。
もちろん相手は、これから死を迎えるであろうアンジェリカだ。
「い、いつから……いいえ、どこから聞いていらして……?」
冷や汗を流しながらアンジェリカは尋ねる。
生死がかかっているからだろう、彼女の顔色は悪い。
それに対し女性――妃氷雨は少し考える。
「そうだな。確か……『――していますの。確かに、端的にいって彼女は鬼ですわ』あたりからだな」
「あと4文字……! なんであと4文字前から聞いてくださいませんでしたのぉ……!?」
アンジェリカはその場で膝をつく。
まるでそれはギロチンの刃が落ちるのを待つ死刑囚だ。
残念ながら、彼女に逆転の余地はなさそうだった。
(この人が……妃氷雨か)
天の視線が氷雨へと向けられる。
腰まで伸びた黒髪。
怜悧は眼差し。
軍服を纏い、サーベルを携えている姿は驚くほど様になっている。
彼女の体は軍服越しでも分かるほどに引き締まっており、その姿は一本の刀を思わせた。
雰囲気だけで分かる。彼女が数多くの修羅場を越えてきたことが。
計り知れない。彼女が越えてきた修羅場がどれほどの数になるのか。
見るだけで圧倒される空気を氷雨は持っていた。
「まあいい。今日は、お前の訓練をしてやるとしよう」
「いやぁ……いやですのぉ……。背骨はぁ……尾骶骨は許してくださいましぃ……。アイドルができないお尻になってしまいますのぉ……」
「痔になりたくなかったら死ぬ気で耐えろ」
「そんなぁ……」
アンジェリカが氷雨に連行されてゆく。
そんな彼女に天は今度こそ本当に合掌した。
「天さんまで……。この世界には神も仏もいませんのぉ……!?」
「まあ鬼神はいるわけだし、それで我慢してくれってことで」
――もっとも、女神もいることを天は知っているのだが。
「威勢がいいな。お前も来い」
「あ、超ミスった」
天の声が聞こえてしまったらしく、氷雨の手が天のツインテールを掴んだ。
グキリと首が鳴る。
毛根ごと引っ張られてゆく感覚。
「あ、ちょ、誰か――!」
天は氷雨に引っ張られながら助けを求める。
だが彼女の目に映った仲間たちは――
美裂――手を振ってきた。
彩芽――目を逸らされた。
蓮華――そもそも見ていない。
結果――死。
「あ、あ、《象牙色の悪魔》ぅ……!」
噛みながらも天は《不可思技》を起動させる。
現在に存在するあらゆる情報を掌握し、未来を演算する。
そして、望む未来のために必要な行動を逆算する。
求める未来は『逃亡』。
「痔になりたくありませんのぉ……」
「大丈夫だアンジェリカ」
連行されながらも天は希望を捨てない。
「二人で、絶対に逃げよう」
「天さん……」
見つめ合う二人。
この死地から生還する。
たった一つの願いのもとに、二人の心は一つになった。
――演算が終わる。
固く結ばれた絆はどんな窮状でも――
「脱出不能……!?」
悪魔が鬼に屈した。
どんなルートを選んでもここからは逃げられない。
そう結論付けたのだ。
「二人で逃げるのは不可能なのか……」
「天さん。仕方がありませんわ」
アンジェリカは穏やかな表情でそう言った。
限界を超え、ある種の悟りに至ったのか。
「もう良いんですの――二人なら……二人なら、耐えられますわ」
「そうか――演算条件変更。『俺一人が逃げられる可能性』」
「あっさり見捨てますのぉぉ!?」
アンジェリカの悲鳴を無視して再演算する。
結果は――
「脱出不可能……だと……?」
それでなお、悪魔は解決策を見つけられなかった。
「一人で逃げようだなんて……わたくし、もう天さんを信じたりしませんわ……!」
――ついでに友情も壊れた。
――この後、同じ地獄で死に瀕した二人はより固い絆で結ばれるのであった。
アンジェリカ登場回の伏線――回収完了。
妃氷雨の正体はALICEの指揮官であり、プロトタイプのALICEでした。
それでは次回は『ライブ当日・朝』です。
1章も終結に向かっていきます。